賊学から見たヒルルイ




「今日、雨降るみたいッスね」

練習終わりに着替えていたとき、窓から見える雲がどんよりしてたので、誰に言うでもなく、なんとなくそんなことが口から洩れた。

「あぁ、そういやヨウもそんなこと言ってたな」
「え? 誰ッスか?」

返してきたのは葉柱さんで、独り言みたいな口調だったけど、聞いたことない名前が出てきたので反射的に聞き返す。

「あ? 誰って、ヒル魔だろ」
「………………」

咄嗟に回りの部員を見る。
全員下を向いたまま、黙って着替えを続けてる。心なしか、少し慌てて。
早く着替え終わってここから抜け出そうとしてるかのように。

待てよ。バカ。テメェら、今の聞こえてなかったワケねーだろ。
黙ってんじゃねェ。頼むから、誰かなんとか言えよ。
いや、違ェよ。今の話の続きをしろってことじゃねーんだよ。
なんか違う話題を持ってこい。
今の会話なんか無かったかのように、違う話題を持ってこい。

え? つーか、なに、この人。
ヒル魔って、ヒル魔だよね? 「ヨウ」って呼んでんの?

あぁ、そうだった。あの悪魔のフルネームって、確か「ヨウイチ」とかそんな感じのだった。
で、「ヨウ」って呼んでんの? なんで?

賊学では、ヒル魔の話ってのは、なんとなくタブーになってる。
だって、葉柱さんがそれの奴隷になんてされてるから。

正確に言えば、奴隷なのは葉柱さんだけじゃなくて、部のヤツ全員なんだけど、悪魔からの指令にはいつも葉柱さんが出向いていて、専属奴隷のようになってる。

一時期、なんの根拠もなくエロい噂みたいなのが出たことがある。
奴隷なんつって、下の世話までしてんじゃねーかって。
ヒル魔が男好きで、葉柱さんが抱いてやってんだとか、それとは逆で、葉柱さんは悪魔にヤラれちまってんだとか。

そうなると余計に、「ヒル魔」って単語は禁句になった。
エロ漫画じゃなるまいし、そんなことあるわけねーと思うのに、なんとなく口に出せなくなる。

で、なんでこの人、ヒル魔のこと「ヨウ」って呼んでんの。

「………………」

葉柱さんを見る。
別に、普通の顔だ。特に慌てたり照れたり困ったりもしてない。
「ヒル魔だろ」って言ったテンションも、どっちかっつったら面倒臭そうな感じだったし。

そりゃ、「ば、ばかっ! 別にヒル魔のことなんかじゃないんだからねっ!」みたいな、典型的なツンデレみたいなリアクションされても困ったけどさ。
ただ、そんなに普通にされてんのも、「ヨウ」って呼んでるのが、マジ普通の日常的なことなんだって思えて恐ろしい。

まさか、ヒル魔は葉柱さんのこと「ルイ」とか呼んでんじゃないかと考えて寒気がした。
いやいや、ありえねーだろ。

だって、以前冗談半分で葉柱さんのことを「ルイちゃん」呼ばわりして、病院送りにされたヤツを見たことがある。
ソイツ、倒れて動かなくなったのに、その頭をまるでサッカーボールみたいに思いっきり蹴り上げたんだよこの人。
しかも、マジ冷たい顔で。
怒ってもねーし笑ってもねー顔で、ピクリとも動かなくなった相手の頭を更に踏みにじってた。

それみたとき、あ、この人本物だ、って思った。
マジカッコイイって。

ホラー映画とかを、わざわざ好んで見る感覚に近いかもしれない。
でもそれよりもっと、ゾクゾクするし、スリルがある。

で、それがなんで、ヒル魔のこと「ヨウ」とか呼んでんの。
え? あの噂、ホントなの? 葉柱さんて、ヒル魔とデキてんの?

助けを求めるような気持ちで、もう一度周りを見渡してみる。
全員俯いて、目も合わせてきやしねェ。

あぁ、そう。お前らも、同じこと考えてんのな。
葉柱さん、ヒル魔のこと、「ヨウ」って呼んでんだなーって。
やっぱデキてんのかなーって。

明らかにおかしくなった部室内の空気に気づきもしないのか、その当の葉柱さんはつまらなそうな顔で着替えを続けてる。
冷めた横顔は、やっぱりカッコイイ。

それを見てたら、「ヒル」なんとかってやつは、やっぱり聞き間違いだったんじゃないかって気がしてくる。
だってそうだろ。意味分かんねェよ。葉柱さんがヒル魔とデキてるとか。

だけどやっぱり、このタイミングで鳴りだした葉柱さんの携帯には、ちょっとドキっとした。
部活終わりのこの時間にかけてくるのは、決まってあの悪魔だから。

「カッ! なんの用だよっ!」

死ぬほど面倒臭そうな口調で葉柱さんがその電話をとる。
それを見ると、ちょっと安心する。
そうだよな。葉柱さんは賭けのせいで嫌々ヒル魔の命令を聞いてるだけで、名前で呼び合ったり、ましてやデキてるなんてこと、あるわけねーんだよ。

「あ? なんで?」

いつもだったら数秒で切られる電話が、なぜか今日はまだ続いてる。
電話のヒル魔は、いつも葉柱さんの言うことなんか聞かずに言いたいことだけ言って切ってるようだから、こんなことは珍しい。

「はぁ? いーじゃん。いつも通りヨウん家で」

……………………。

あのー、一応、確認しときたいんですけど、電話の相手って、ヒル魔ですよね?
え? 違うの?
つーか、今また凄ェ普通に「ヨウ」って言ったよね。
さっきのことがなかったら、そのまま聞き流すくらい自然に。

つーか、「いつも通りヨウん家」って何。
えーと、あのー、オレ、葉柱さんて、毎日悪魔に命令いいつけられて、忙しく仕事させられてんだと思ってたんですけど。
違うの?
なんか、普通に、家とか行って遊んでんの?

「だって、オレん家、お前の着替えとかねーじゃん」

で、泊まってんの?
その「ヨウ」さんの家だったら、葉柱さんの着替えがあんの?

「だいいちアレも無ェし。やだ。テメェが買ってこいよ」

このまま電話の内容を聞き続けるのは良くない。
でも、気になってどうしても会話を耳が拾ってしまう。

「フザケんな。つけねーならしねーからな」

怒ってるのと、面倒臭さがってるのが半分ずつくらいの口調と顔。
正直、その表情をしてるときが一番カッコイイと思う。
そういう冷めた顔で、簡単に人のことブン殴ってるときとか、マジ惚れる。

……………………。

ただ、オレってさ。やっぱバカだよなー。
だって、今の会話の「アレ」って、「ゴム」のことなんじゃねぇの? とか思ってるから。

そんなワケねーのにな。

そんなワケ……。

「あ、おいっ!」

葉柱さんが慌てた声を出して、それから携帯を耳から離した。
多分、相手に勝手に通話を切られたんだろう。

そのころになると、全員死んだ魚みたいな目になって、着替えることも忘れたように動かなくなった。
ただ一人、葉柱さんだけが、チャキチャキと着替えて、トレードマークの白い長ランをバサっと羽織り髪を撫でつける。
何度もみた仕草だけど、見る度いつもカッコイイと思う。

「ヨウ」は、「ヨウコ」とか、そんな感じの、葉柱さんの新しいオンナのことかもしれない。
そうだよな。
それだと、さっきの電話も、ちょっとは納得が行く。

カノジョが今日は葉柱さんの家行きたいー、とか、電話してきたのかも。
だからこれからそれ迎えに行って、よろしくやろうってことかも。

「オレ、泥門寄ってっから、お前ら適当に帰れよ」

あぁ、そう。ヒル魔っすか。

トドメの一言をアッサリ言った葉柱さんは、そのまま長ランを翻して部室から出て行った。
遠ざかるバイクにその長ランがはためいてる。

つーか、今、アンタのせいで、この部室内の全員HP0みたいな感じになってるんですけど。
気付いてくださいよ。
なに普通の顔して帰ってんだ。

ザオリクかけてけザオリクをよ。
「最近できたカノジョのヨウコが我儘でよ」とか言っていけ。
「悪魔の用事の済ませた後、迎えに行くんだ」とか言って行け。

じゃないと、やっぱり「ヨウ」ってのはあのヒル魔のことで、ヤってるかどーかは知らねーけど、少なくとも家にお泊りして遊んでる仲だってことになるじゃねーか。

つーかもぅ、ヤってんだろ! ヤってんだな!?
だったらいっそ、そう言い切ってくれよ!

うんざりした気持ちで隣のヤツを見たら、一瞬目があって、すぐに逸らされた。

全員が、「今のってさ……」って、話したくて堪らない感じだけど、自分が口火をきるのが嫌で、誰もしゃべり出さない。
当然、オレだって嫌だ。

その日から、賊学アメフト部のタブーには、「ヒル魔」と、それから「ヨウ」が追加された。


'13.04.27