阿含から見たヒルルイ




オレは、ハバシラという男のことを、よく知っている。

昨日は寝坊して講義に遅刻したこととか、一昨日は部活中に転んで肘を擦りむいたこととか。

ただ、見たことはあっても、直接話したことはない。
だからって別に、ストーカーしてるわけでもない。

じゃぁなんでこんなクソくだらない近況を事細かに知ってるかというと。

「なぁ、昨日ハバシラがさー」

このカスが、なぜか毎日部活終わりには2人っきりになるよう狙ってやってきて、愚痴ともノロケともつかないどーでもいい話を延々と繰り返すからだ。

「へー」

この大学のいいとこは、設備が充実してるとこだ。
部員が200余名もいて、カスばっかりだけど、その分裂かれてる予算も多い。

神龍寺もそれなりだったけど、それ以上だ。
シャワー完備だし、着替えた後はダセェ道着着ねェですむし。

シャワーを使うのは、当然他のカスよりオレが優先されるべきで、今日もそうして着替え終わったあと、誰かオンナでも呼び出そうかななんて携帯を弄ってるところに、カスが、ヒル魔がのこのこと入ってきた。

オレが一人でここに座ってるときは、他のカスは遠慮して部室には入ってきやしねェのに、コイツだけは遠慮しねェ。
あぁ、あと一休とか。アイツはバカで空気読めねェから。
ただ、一休は叩き出せば出て行くのに、こっちのカスにはそれが通じない。

「帰ったら泣いてんの。部屋で。なんでだと思う?」
「さぁ」

カスはほとんど毎日こうやって、ハバシラ情報を伝えてくる。
多分、最初のときに、ちょっと聞いてやったのがまずかった。

コイツの口から、色恋沙汰の話なんて聞いたことは、それまでなかった。
それが、同棲してて、しかも色白で目がパッチリしてて、髪は肩までくらいで可愛いんだぜーとか言うんだから、おもしろそうなんて思ってしまった。

だって同棲だぞ。コイツが。
よくそんなメンドクセェことできるよな。
つまり、それくらい本気ってことかと思って驚いた。

そういう相手なら、隙あらば、ちょっとツマミ食いくらいしてやったら面白いかも、なんてことも思った。
ちょうど暇だったのもあって、結構熱心に話を聞いてやったりして、それ以降、ヒル魔はハバシラの話が出来る相手としてオレのことを認識したらしく、毎日飽きもせずに「昨日のハバシラ」について話しかけてくる。

「まつ毛が目に入ったんだって。アイツ、まつ毛長ェから」
「ふーん」

ただ、オレはもう興味ねェよ。その話。
だって、ハバシラって男じゃん。

ビックリしたわ。ビックリしたっつーか、引いた。

話にだけ聞いてたハバシラを見たのは、コイツがわざわざ大学までソイツを迎えに来させてたとき。
脅迫手帳とかいうものを振りかざしてコイツが非常識に振る舞ってることは知ってたから、可哀想にもそうやって脅迫されてるうちの一人だと思ったら、コイツが呼ぶんだよ。「ハバシラー」って。

そんでよく見たら、まぁ色白と言えなくもないし、目はギョロついてるし、髪は肩くらいまで。
色々条件が合致してる。
ただ、まったく可愛くはねェけど。

まさかと思うよな。
いくらなんでも、これは違うだろ。

それに、ヒル魔がいつも話す「ハバシラ」がそいつじゃないって思える要素は、他にもあった。

ヒル魔は、話の中では、そりゃぁもうハバシラを溺愛しているようだったから。
ハバシラがこうした、ハバシラがこう言った、可愛い可愛い、って、脳が腐ってんのかと思うほどデレデレした話しかしなくて、その相手だと思うには、迎えに来たハバシラに対するヒル魔の態度は冷たすぎた。

迎えに来た男を「オレの奴隷だから」なんて公言してたし、グズだのノロマだの衆人環視の中で罵って、脚や背中をつま先で小突くように蹴りつけてた。
荷物を投げ渡したら、その男は文句も言わずにそれを受け取って後ろをついて歩いたりして、どう見ても恋人同士ってより、苛めっ子と苛められっ子だ。

やっぱり違うよなーと納得して帰った次の日には、ヒル魔が「可愛かったろ?」とかなんとか、目をキラキラさせながら言ってきて、ようやっと把握した。

コイツはとんでもないバカで、いつも話してる「ハバシラ」は可愛い女の子じゃなくて、あの爬虫類みたいな男のことなんだって。

「泣いてたから、目がちょっと赤ェの。超可愛い」
「ほー」

つまりこのカスは、ハバシラを溺愛してて可愛くて堪らないけれど、本人相手にはまるで小学生の恋愛みたいに冷たい態度しか取れず、でもやっぱり可愛くて堪らないから、こうして人にノロケることで鬱憤を晴らしてるらしい。

「それにな、メシ食ってるときな」
「おー」

だいたいいつも15分くらいだ。
そのくらいの間、ハバシラについて延々報告して、そうすると満足して帰る。
「うるせー」とか「あっちいけ」とか対応するよりも、適当に聞き流してる方が早く終わるのが分かってからは、ずっとそうしてる。

携帯を弄って適当な女にLINEを送ったりして、返す相槌は「へー」と「ふーん」と「ほー」くらいをローテンションで繰り返してればいい。
コイツはとりあえず話したいだけで、特にこっちからの返答なんて期待してねーから。

「もー帰る。ハバシラ待ってるし」

別に、オレは引き留めてねーけどな。

やっぱり今日も15分くらいで「昨日のハバシラ報告」は終わって、ヒル魔がいそいそと立ち上がる。
ハカが浮かれた様子で部室を出て行くのを視線の端で見て、LINEのオンナとの待ち合わせ場所を決める。

めんどくせーことはめんどくせーけど、特に実害はない。

そう思ってた。






休みの日、家のチャイムで起こされた。
昨日明け方まで飲んで帰ってきて、今日は一日中寝てるつもりだったのに。

チラっと時計を確認すると夕方くらいで、無視してまた寝ようと思っても、しつこく何回も慣らされてまったく眠れない。

誰かオンナと約束してたかなー? と記憶を辿ってみるけど、思い出せない。
それでもこんだけ鳴らされてんだから、やっぱり忘れてる約束でもあるのかもと思ってベッドから抜け出して、不機嫌な顔を隠さずにドアを開けた。

これでなんかの勧誘だったりしたら、ぶん殴ってやろうかと思いながら。

「………………」

人との約束なんて簡単に忘れるけど、これは約束してないヤツだってのはスグわかった。

「よぅ」

なぜなら、オレは男とは約束なんてしねェから。

「暑ィから早く入れろ」

なんでテメェがオレんちなんか知ってんだ。
いや、でも、テメェなら知ってても不思議じゃねーか。

ドアを開けて前に居たのは、オレよりさらに不機嫌な顔をしたヒル魔で、あんまりにも予想外の人物だったからどうしようかと思ってる間に、ヒル魔が身体を押しのけるようにしてずかずかと部屋に上がりこむ。

「クーラーいれろクーラー」

そんで、ソファに座るやいなや、前のテーブルにあったリモコンを手にとってテレビをつけて、そんな注文をしてくる。

どうしようかな、とりあえず殴ろうかな、と思ってたら座ったばかりのヒル魔はスグに立ち上がって、今度はなんだと思ったら、勝手に冷蔵庫を開けて中を探ってる。

「酒しかねーじゃん」

まぁな。
それがテメェに、なんの関係があるんだよ。

「コーラくらい用意しとけ」

ヒル魔はぶつくさ言いながらも、ビールを1缶手に取ってまたソファに座る。

え、それ、飲む気かよ。
つーかテメェ、何しに来たの?

疑問は当然それなんだけど、なんとなく聞くのは躊躇われた。
だって、「なんか用か?」なんて聞いたら、相手してやらなきゃならなくなりそーじゃん。

男と並んでソファに座るのなんてぞっとしなかったので、ちょっと離れたところで椅子を引いて座る。

無視してたら帰ってくんねーかななんて思ってみたけど、ヒル魔はビールを煽って「なんか食うもんねーのかよ」とか言いながらテレビを見てる。
お前ほんと何しに来たんだよ。

昨日飲んだ酒のせいってよりは、寝過ぎたせいで頭が痛い気がする。
だらしない恰好でソファに浅く座って寄りかかってるヒル魔を無視して、風呂に入ることにした。

上がってきたら、いなくなってくれてりゃいいのにと思いながら。



「………………」

まぁ、いるとは思ったけどな。

風呂から上がったら、あっという間に日が落ちてて、部屋が暗い。
そのくせ、ヒル魔は電気もつけずにブスっとしたまま座ってテレビを見てる。
なんかお前怖ェよ。

とりあえず電気をつけたけど、こっちの方は見向きもしねェ。
かなりこっちを意識してるようなのに、意地で無視してるようだ。
そういうメンドクセェタイプのオンナとか、よくいるよな。
オレの凄ェ嫌いなタイプ。

「なんか用かよ」

しょうがないので、折れることにした。
だって多分、こっから延々無視してても、コイツはここに居座っていなくならないと思ったから。

「……………………」

そうやってせっかく話しかけてやったのに、ヒル魔はまだブスっとしてる。
コイツじゃなかったら、ブン殴ってるとこだな。
だからって、別にコイツに特別好意があるわけじゃない。
コイツの場合、ブン殴るとそっちの方がめんどくさいことになるからだ。

「…………ハバシラが」

それでもいい加減イライラするので、衝動に任せて一発くらい殴ろうかと思ったところで、ようやくヒル魔が口を開いた。

「あ?」
「ハバシラが口聞いてくんねー」
「………………」

だから?

「いや、知らねーよ」
「…………」

なにそれ。それ言うために、わざわざ家に来たわけか?
そんなこと言われて、オレにどうしろってんだよ。

つまりアレか?
テメェの大好きなハバシラとケンカして、それで拗ねてここまで来たのか?

オイオイ、こっちは部活終わりの15分、オンナとメールしてる間にテメェの話を右耳から左耳に聞き流すくらいはしてやってもいいけど、家で恋愛相談までしてやる気なんてサラサラねーぞ。

「帰れよ」
「ハバシラが迎えに来るまで帰んねェ」

なに言ってんだコイツ。

「なに、ソイツ、オレんち知ってんの?」
「知らねェ」

じゃ、一生来ねェよ。
オレはテメェとここに住むなんてまっぴらごめんだからな。

力ずくで叩き出してもいいけど、そしたらコイツ玄関先で暴れるんだろうな。
オレ、結構この家気に入ってんだよ。
どうしたら穏便にお引き取り願えるだろうか。

「なに、なんで口聞いてくんねーわけ?」
「……オレ、無理やりっぽいの燃えるんだよな」
「オイヤメロ」

聞きたくねーよ。
テメェの性生活の話なんて。しかも野郎同士の。

分かった。悪かった。切り出し方を間違えた。
つーか、コイツも大概間違えてるだろ。
なんでオレのとこなんか来たんだよ。

「そういう話は、ムサシんとこでも行け」

確か、そんな名前だったろ。テメェのお気に入りの。
アイツなら多分、オレよりちゃんと話だって聞いてくれるだろうし、よっぽどいい人選じゃねーか。

「ダメ。アイツ冷てェから。スグオレが悪ィとか言うし」

まぁ、ムサシがそう言うなら、テメェが悪いんだろうな。
というか、今の話の触りのとこ聞いただけでも、オレだってテメェが悪ィと思うけど。

「謝れば」

その、ハバシラに。

「オレが謝るわけねーだろ」

なんなのお前。王様?

「じゃ、適当に好きとか愛してるとか言って機嫌とればいーだろ」
「はーぁ? そんなこと出来っかよ。カッコ悪ィ」

あぁ、そうだったな。
テメェは大学生にもなって、小学生みてェな恋愛してるんだったな。

ただ、その「カッコ悪ィ」ってのは、カノジョとケンカしてオレの家でくだまく行為には当てはまらねーわけ?

ヒル魔がポケットから携帯を出して、画面を見つめて溜息をついたかと思うとそのままそれをテーブルの上に投げ出す。
どうやら、ハバシラからの連絡はないらしい。

それから目の前のビールの缶を引っ掴むと、勢いよくぐびっと煽ってカンとテーブルに叩きつける。
音が軽い。多分、もう空になったんだろう。

気が付けば2缶目だし。
人の酒勝手に飲んでんじゃねーよ。

「おかわり」

誰が出すか。

睨んで命令してくるのを無視してると、急にぎゅっと唇を尖らせたかと思ったら、横にあったクッションを引っ掴んでソファにポテンと横になる。

「はばしらー…………」

気持ち悪ィことしてんじゃねーよ。

「それはハバシラじゃねーよ」
「んなこた分かってんだよ」

人のクッションを抱きしめて男の名前なんて呼んでんじゃねーよ。
気持ち悪くてもう使えねーだろそれ。

ヒル魔が拗ねた様子でつかんでたクッションを投げて来たので、それを受け取って投げ返す。
結構な勢いで投げたのに、顔も上げずにアッサリ受けてんだからムカつくなコイツは。

それからまたそのクッションをぎゅっと抱き込んで、ソファの上で丸くなる。

「もー帰れよ」
「…………ハバシラが来るまで帰らねーもん」

もんってなんだよ。

「じゃ、勝手にしろ。オレが出てくから」

適当な女のとこにでも泊まるから。
コイツを家に放っておくのはぞっとしねェけど、2人でこうしてるよりマシだ。

いつまで居座る気かしらねーけど、部活があればコイツは必ず行くだろうし、今日一日やりすごせばいいだろう。

「テメェ、傷心のオレを置いてくつもりか」
「そーだよ」

だいたい、オレがテメェのこと、慰めてやるとでも思ってきたのか?
そんなわけねーだろ。

「オレのこと置いてったら、ここにハバシラ呼んでテメェのベッドでヤってやるからな」
「……そのハバシラとケンカしてんだろ」
「じゃ、オナニーしてやる。テメェのベッドで」

なんで脅しが全部そっち系なんだよ。

「枕にぶっかけるからな」
「………………」

勘弁しろよ。マジで。

うんざりしすぎて、反論する気も失せた。
それは多分コイツの狙い通りなんだから、ほんとあなどれねーよテメェは。

「じゃ、電話して迎えに来るように言え」

ハバシラは、テメェがここにいること知らねーんだろーが。
そんなんじゃいつまで待っても迎えになんて来ねェよ。

「アイツが連絡してくるまでオレからはしねェ」

オイほんとメンドクセェ。
コイツマジ死んでくれよ。

今度こそ殴ろうと思ったところで、テーブルの上に置かれたヒル魔の携帯が目についた。
それに手を伸ばして触ってみる。

目当ての番号は、すぐに見つかった。
「葉柱」とそっけなく書いてあるこれが、例の「ハバシラ」なんだろう。

ヒル魔を見ると、クッションを抱えて丸まったまま、目だけ出してこっちの様子を伺ってる。
思えば、コイツが携帯にロックかけてねェわけねーんだ。
それが今はこうして無防備に机に置かれて、オレが触っても文句すらつけてこないのは、オレに連絡して欲しいってことなんだろう。

コイツは、自分から電話するのは「カッコ悪くて」出来ねェみてェだからな。
バカか。

カスの思い通りに動いてやることは腹が立つけど、それよりもいつまでもコイツの面倒を見るほうが嫌すぎて、まんまと乗せられたような気持ちでそのまま通話のボタンを押す。

『…………なんだよ』

電話の相手は、死ぬほど不機嫌そうな声で開口一番そう言った。
そのくせ、出るのはかなり早いコールだったから、一体なんなんだコイツら。

「よぅ」

そういや、オレはコイツになんて言やいんだよ。
「初めまして」か?

『あ? 誰だよ』

ヒル魔の携帯からかけたのに、声が違うことに気づいたんだろう。
ハバシラが不審そうな声で警戒したように言う。

いや、そもそも、コイツはハバシラで合ってんのか?
一応「葉柱」宛ての電話だけど、こっちは声じゃ判断つかねーよ。

「テメェハバシラ?」
『は? 阿含?』

携帯宛ての電話だから、本人以外が出ることなんてそうないだろうと思っても、一応確認だけしてみた。
そしたら、なんでか向こうはそうやってオレの名前を言い当てる。
なんでだよ。
オレ、テメェと話したことなんかあったか?

つーか、馴れ馴れしく名前呼び捨ててんじゃねーぞこの野郎。

「そう。テメェんとこのカスがうちに居るから、迎えに来い」
『は? ヒル魔が? なんで?』

なんでなんて、オレが聞きてーよ。

『うちって……テメェの家?』

そうだよ。とんでもなくメーワクしてっからコッチは。

「早く連れて帰れよ」
『いや、あー、うん……。悪ィな。場所どこ』

もしかしたらハバシラまでが、「ヒル魔が謝るまで迎えに行かない!」とか言い出すんじゃないかと思って心配してたけど、電話の向こうの相手はアッサリそうやって了承した。

『30分くらいで着くから』

場所を伝えると、ハバシラがそう言って電話を切る。

なんでオレがこんな面倒臭ェことしなきゃなんねーんだと思って携帯を投げつけるようにテーブルに戻すと、ヒル魔がそわそわした様子でチラチラと見てきてる。

「…………ハバシラ、なんだって?」

一瞬、「付き合いきれねーから別れるってよ」とか言ってやろうかと思ったけど、余計面倒臭いことになりそうなんで止めた。
とりあえずコイツが帰ってくれりゃ、後はもうなんでもいい。

「迎えにくるって」

簡潔にそれだけ伝えると、ヒル魔の機嫌が目に見えてよくなった。
にまーっと口の端を上げて、身体を起こしてソファに座りなおす。

クッションは相変わらず抱いたままで、にこにこしながら「アイツはオレがいないとダメだからな」とかなんとか言ってる。

「他になんて言ってた?」
「別になにも」
「ふーん」

かなり冷たい視線と声で返したのに、ヒル魔の機嫌はそのままで、上機嫌に抱いたままのクッションを撫でてる。

「あのな、ハバシラは、指がちょっと、丸いんだよ」

勘弁しろよ。
まさか今から、「昨日のハバシラ報告」を始める気か?

「だから、手が気持ちい」
「…………へぇ」

凄ェ聞きたくねーわ。その話。

自分の携帯を取り出して、都合のよさそうな女を探した。
メールでもして気を紛らわせて、ハバシラが迎えにくるのを待つしかない。

「高校のときはな、制服が白くて、それが可愛くてさー」

すこぶる機嫌のいいヒル魔は、「昨日のハバシラ」どころか、「高校のハバシラ」の話まではじめてる。
悪ィけど、ハバシラには「可愛い」要素なんて一つもねーからな。

「ふーん」

「なにしてる?」とか送ったメールに、「寝てたー」なんてボケた返答を返してきた女を捕まえて、「これから遊び行かねェ?」とか誘ってみる。
でも寝てたから化粧してないとかなんとか言ってる相手に適当に話を合わせる。
まぁ、オレんとこに来るまでには、化粧はしててもらわねーと困るけど。
顔面ある程度整えてくんねーと、勃つもんも勃たねーから。

「それでな、そんときアイツバイク乗ってたんだけど」
「へー」

返信を待ってると嫌でも耳に入るヒル魔のハバシラトークを、極力聞かないように努力しながら、早くそのハバシラが家に迎えに来てくれるのを待った。



インターフォンのチャイムが聞こえたときには、やっとこのカスから解放されるって思いでいっぱいだった。
ピンポーンと鳴る音に、ヒル魔がパチっと目を見開いて、ちょっと髪を触ったり耳を触ったりしてる。
なんなんだろう。緊張でもしてるのかもしれない。

「……えーと、ドウモ」

玄関を開けると、爬虫類顔の男が、困った顔してそんなことを言う。
まぁ、オレもこんな場合、なんて言っていーか分かんねーから、コイツもそうなんだろう。

「中に居るから早く連れてけ」

迎えに来るってと伝えてからのヒル魔は上機嫌で、今か今かとコイツの到着を待ってた。
「ハバシラが迎えにくるまでは帰らない」と宣言してたそのハバシラが迎えに来てくれたんだから、これでやっと帰ってくれるだろう。

「オジャマシマス……」

ヒル魔とは違って遠慮がちにそう言って上がりこむ葉柱を後ろに従えて、ヒル魔の居るリビングに案内する。
案内ったって、べつに短い廊下ともいえない廊下があるだけの、目の前の部屋だ。

「おいカス、ハバシラ来たからもう帰…………」

リビングに入って、ちょっとビックリした。

さっきまで、ソファの上で、ぬいぐるみを抱くオンナノコよろしくクッションを抱いてたヒル魔は、今はそのクッションを横に置いて、横柄に足を開き、背もたれに寄りかかって手をかけて、ちょっと顎を上げて首をかしげるようにして、そしてなぜか、死ぬほど不機嫌そうな顔をしてた。

「なにしに来たんだよ」

え、テメェ、なんか凄ェ楽しみにハバシラが来るの待ってなかったか?

さっきまでデレデレと高校のときのハバシラがいかに可愛かったかを語ってた口は、今は歪められて唾でも吐きそうな顔をしてる。

「テメェこそなにやってんだよ。いーから帰んぞ」

あぁ、そうそう。
連れて帰ってくれよ。頼むから。

「オレが何してようと勝手だろ。わざわざこんなとこまで来て、暇人か?」

小馬鹿にするように言ったヒル魔の言葉に、ハバシラは明らかにカチンときたようだ。

「あ、そう。じゃ、置いて帰るからな」

オイ待てよ。置いて帰るんじゃねーよ。
オレが迷惑だろ。

「勝手に帰れよ。頼んでねーだろ」

そりゃ、テメェは頼んでねェだろうけど、オレに頼ませたんじゃねーかよ。

「じゃーな」

葉柱が怒って、今来た廊下をずかずかと大股で歩いて戻る。
待て待て待て。
コイツ置いてくんじゃねーよ。コロスぞ。

「オイ」

ハバシラの腕でも掴んで引き留めようかとする前に、玄関の前でハバシラがくるっと振り向いて止まる。

「悪ィけど、一時間したらもう一回来るから」
「あ?」

なんだそれ。
つまり、オレに、あともう一時間あのカスと付き合えつってんのか。
冗談だろ。

「今すぐ連れて帰れ」
「そんなこと言っても、アイツ帰んねーもん」
「…………」

まぁ、そうだろうな。
あのカスに言うこときかせられる人間なんて、この世には存在しないんだろう。
認めたくねーけど、オレを含めて。

「一時間後には、絶対連れて帰るから」

そんだけ言い切るからには、ハバシラには勝算があるんだろうか。
アイツのあの態度が、なんで一時間後には軟化するなんて思えるんだ。

「アイツ、適当に飲ましといて。アメフトの話してやりゃ、いくらでも飲むから」

そりゃ、酔い潰して連れて帰るってことか?
一時間かそこらじゃ、潰れたりなんかしねーだろ。

それでも、ここでコイツを引き留めてあのカスをどうにかさせようとしても、多分どうにもならないんだろう。
ハバシラは「悪ィけど頼むな」とかアッサリ言って、そのまま出て行った。
悪ィと思ってんなら、頼んでくるんじゃねーよ。

ハバシラさえ迎えに来れば終わるとばかり思っていたこの惨状が、あと一時間は終わらないと分かってちょっとした絶望感を覚える。
なんでオレが、テメェらの痴話喧嘩に巻き込まれなきゃなんねーんだよ。

面白くない気持ちでリビングに戻ったら、ソファの上でヒル魔が顔を赤くして憤慨してた。

「見たか!? アイツ、凄ェ冷てェ! 信じらんねーだろ!」

信じらんねーのはテメェのその二面性だよ。

なんで急にあんな態度になってんだよ。
っていうか、本人前にしたら、基本あのスタンスなワケか?

「テメェが追い返したんだろ」

ハバシラが冷たいことなんてなにもない。
電話一つでわざわざこんなとこまで迎えに来て、それのなにが不満なんだよ。

「あそこは、アイツが『それでも一緒に帰りたい』ってお願いしてくるとこだろ!」

もう知らねーよ。
コイツ本気でバカだろ。

コイツ、本気で思ってんだ。
マジで、ハバシラがそうするべきだって。
ハバシラがそうしないってことは、悪いのは全てハバシラで、ハバシラは冷たくて酷いヤツだと本気で思ってる。
王様だ。

ヒル魔はまたクッションを抱くと、ソファにうつ伏せになって丸くなった。
そんで「ヒドイ」とか「冷てェ」とかブツブツ言ってる。

つーか、そもそもテメェがハバシラを怒らせたのがケンカの原因じゃなかったか?
それなのになんで、ハバシラがそんな下手に出てくると思えるんだよ。

ソファを我が物顔で占領してるヒル魔をどうしたもんかと思い、それからハバシラの言葉を思い出す。
そういや、適当に飲ましとけっつってたな。

それでコイツが素直に帰るようになってくれるとは思えねーけど、それ以外、どうしたらいいのかなんてオレにも分からない。

「ほら」

しょうがないので、冷蔵庫からビールを取り出して、ヒル魔の前に置いた。
自分の分も持ってきて、プルタブを開けて一口飲む。
これはもう、酒でも飲まなきゃやってらんねーし。

ヒル魔はブスっとしたまましばらくビールを見つめて、それから細長い指で同じくプルタブを引く。
嫌そうな顔をしてちょっと口をつけて、またクッションに顔を埋める。

それ以降は、いじけた様に丸くなったまま、ビールにはもう手をつけない。

それじゃ困る。
テメェは、一時間後には潰れててもらわなきゃなんねーんだから。

「そういや昨日テレビでさー」

ハバシラが「アメフトの話してやりゃいくらでも飲む」って言ってたのを思い出して、昨日の地上波で流れてたNFLの試合の話を振ってみた。
そうしたら眉があからさまにピクっと動いて、急に身体をガバっと起こしたかと思うと、マシンガンのようにしゃべり出した。

笑ったり怒ったりしたがら止まることなく喋り続けて、そうすると喉が渇くのか前のビールをゴクゴクと飲む。
つい今まで腐ってソファの上で丸まってたのに、コイツ凄ェな。

適当に相槌をうちながら、冷蔵庫からまたビールをとってきて渡す。
そうやって渡せば渡すだけ、飲んで、それから喋りまくる。

まぁ、ハバシラがいかに可愛いかを延々聞かされるよりはよっぽどマシだな。

しばらくそうして話を聞いて、早くハバシラが迎えに来てくんねーかなと時計を見たときには、あれから50分経った頃。
あと10分もすれば、もう一度ハバシラがやってきて、今度こそコイツを連れて帰ってくれるはず。

そう思ってちょっと思案にくれてると、ヒル魔が急にピタっと黙って、それからまたポテンとソファに転がった。
ついでに、床に落ちてたクッションを、手を伸ばして拾い上げて、またぎゅーっと抱きしめる。

なんなのお前。それ気に入ったの?
それなら、それやるから帰ってくれ。

「…………ハバシラ、もう寝たかな?」

知らねーよ。

つーかまたハバシラの話かよ。
またこっからそれが始まるのかよ。

「カレー食いたい」

腹減ったなら、なおさら帰れ。
ここには食うもんなんかねーからな。

「ハバシラが作ったやつ。トリの。辛いやつ」

ダメだ。本気で殴りそう。
あぁ、例えばこういうのはどうだろう。
とりあえずコイツを、気絶するまで殴る。
で、10分後に迎えに来るハバシラに、気絶したコイツを投げ渡す。
完璧じゃねーか。

「アイツ冷たい。ただいまって言っても、キスしてくんねーし」

そんなことされてーのかよ。
オレだったら、そんなめんどくせーことする女殴って終わりだけどな。

「迎えにも来ねーし……」

迎えには来ただろ。
なのに、テメェが追い返したんだよ。

あと一言でも愚痴が続けば殴る用意はできてたのに、それっきりヒル魔が黙って大人しくなる。
なんだろうと思ったら、どうやら寝たらしい。

凄ェなコイツ。
ビールなんて水みたいなもんで、アッサリ潰れたのかよ。
しかも、ハバシラの予言通り、ぴったり一時間で。

殴って気絶させる手間が省けた。
このままコイツをそっとしておいて、ハバシラがきたら担いで持って帰らせりゃいい。

インターフォンが鳴ったときは、ちょっとドキっとした。
その音で、コイツが起きるんじゃないかと思って。

ただそれは杞憂で、コイツはクッションを抱いたまま、平和そうな顔して眠ったままだった。

「よう」

ドアを開けると、一回目よりは普通な顔したハバシラが見えた。
普通な顔っていっても、普通の表情をした爬虫類、って意味だけど。

「早く連れて帰れ」

なんだかんだで、結局一日無駄にしたじゃねーか。
オレはこの怒りを誰にぶつけりゃいんんだよ。
コイツ殴って、あのカスを連れて帰るヤツがいなくなっても困るし。

それでもここさえ乗り越えれば終わりだと思ってリビングへ入って、絶望した。
ヒル魔が、起きてたから。

ヒル魔を潰して家に帰す作戦は失敗ってことか?
テメェ一時間つったじゃねーかよ。
オレは、もうあと5分だって待てねーぞこの野郎。

「ヒル魔」

ヒル魔が起きたことでハバシラの作戦は失敗したのだと思ったのに、それを見たハバシラが平気な顔してヒル魔の名前を呼ぶ。

「ハバシラ!」

そんで驚いたことに、呼ばれた方のヒル魔が、満面の笑みを浮かべて名前を呼び返す。

え? これ、どういう流れだ?

「ほら、帰んぞ」
「うん」

うん? 今テメェ、「うん」つったのか?
そういうキャラだったか? お前。

「うん」なんて返事をしたわりには、ソファから立ち上がる気配のないヒル魔にハバシラが近づいて、腕をひっぱって立たせようとしてる。
ただヒル魔はその手をよけて、ハバシラの腰に手を回して抱き着いた。

オイ、やめろよ、人んちで。

「ちょ、バカ、やめろっ」

焦ったのはハバシラの方も同じなようで、顔を近づけてくるヒル魔から身を捩って逃げようとしてる。
それから、チラっとこっちを気まずそうな顔で見る。

あぁ、ハイハイ。
見てねェよ。
見てねェから、いーから、早く帰ってくれ。

ソファの前でイチャつきだした2人から目を離して、キッチンに向かう。
それからゆっくりとコップに水を注いで、そんでまたそれを極めてゆっくりと飲む。

まさか人の家でヤリ始めたりはしねェと思うけど、リビングに戻るときにちょっとだけ緊張した。
戻る前に帰ってくれてりゃよかったのに、2人はまだリビングに居て、ただ安心したことに服は脱いでねェようだったけど。

「悪ィな。帰っから」
「おー」

ハバシラがそうやって謝る背中には、ヒル魔がくっついてる。
腰に腕を回して、それはもうぴったりと。

帰るって、そうやって後ろにくっつけたまま帰んのか?
まぁ、帰ってくれりゃもうなんでもいいけど。

「あとこれ。コイツが飲んだ分と、あとは迷惑料」

そう言ってハバシラが手に持ったビニール袋を渡してくる。
中を見ると、6つパックになったビールが2つ。

「はばしらっ」

ハバシラの背中では、ヒル魔が怒ってる。
ハバシラが自分以外に意識を向けてることが気に入らないらしい。
それでもハバシラが「はいはい」とか返事して、ぞんざいに頭を撫でると、にこっと笑ってすぐに大人しくなった。

それから、その頭に置かれた手をとって、手を繋いでる。
そんでガキみたいにその手をぶんぶんと振って、「早く帰ろーぜ」とか言ってる。

コイツ本気で殺してーわ。

「そいつ、酔っぱらうといつもそうなわけ?」

「カッコ悪ィ」とかいって常にツンツンしてたくせに、デレデレじゃねーか。
そりゃ、連れて帰るのも簡単だ。

「うん、まぁ。本人覚えてねーみてェだけど」

そーなんだ。
バカだとは思ってたけど、本気でバカなんだなコイツ。

「テメェも大変だな」

この数時間、ヒル魔の面倒をみさせられたせいで、滅多に言わない、人に同情するような言葉が口から洩れた。
だってそのくらいメンドクセーからコイツ。

「うーん、まぁ、慣れた、かな。可愛いし」
「………………は?」

可愛い? 今「可愛い」つったのかコイツ。
マジか。なるほど。よく分かった。

コイツも大概頭おかしーわ。
イカレた者同士、お似合いよテメェらは。

「はばしらっ」

待たされてるヒル魔が、また怒ってる。
特に、自分の顔を葉柱が見てないってことに、一番イライラしてるようだ。
襟首をひっつかむようにして顔を向けさせようとしてる。

「じゃー、帰るな」
「もうソイツ来させんなよ」
「あー、うーん……」

心からのお願いに、葉柱は曖昧な返事をする。
まぁ、テメェがコイツの行動を制限なんて出来るわけねーか。

ヒル魔が繋いだ手をぐいぐいと引っ張って、ドアから出て行こうとするところでふと思いついた。

「なぁ」
「あ?」

玄関のドアからは、もうヒル魔が出て行って、片手を掴まれたままのハバシラがもたもたと靴を履こうとしてる。

「ソイツがただいまつったら、キスしてやれよ」
「はぁ?」
「してほしーんだって」

ハバシラは「なんだよそれ」とか言いながらも、笑って出て行った。

頼むから、そうやってカスのご機嫌とっとけよ。
そうすりゃ、こうしてオレが被害をこうむることなんてねーんだから。






次の休みの日にも、インターフォンが鳴った。

これは、オンナのやつ。
この約束は覚えてる。昨日したばかりだし。

金持ってる社会人のオンナで、車もあるし、かなり便利で顔もいい。
うまいもん奢ってもらって、高いもん買ってもらって、お返しに夜にちょっとサービスする。

多少浮かれた気持ちでドアを開けたら、驚いたことにあのカスがすぐ目の前にいて、何を言う前にずかずかと家に入り込んだ。

「クーラーいれろクーラー」
「………………」

なに、テメェ、なにしに来たわけ?

「あのさー、ハバシラがさー」

なんなんだよ。まさかまたケンカか?
その割にゃ、上機嫌みてェだけど。

つーかなんで来たの?
まさか、先週つきあってやったから、それに味をしめて、これからはここにも入り浸る気じゃねーだろうな。

「最近、ただいまっつったら、キスしてくんの。まったく、甘ったれで困るよなー」

困ってんのはオレだよ。


'13.07.18