はじめての恋




初めてそれを見たとき、誰かがオレの胸の辺りを思いっきり殴りつけて来たんじゃないかと思った。
一瞬本気でそう思って周りを見渡すもモチロンそんなことはなくて、ドンという衝撃の正体は、オレの心臓が派手に跳ねただけ。

色付きアイシールドのメット被ってたから、一瞬呆けたコッチの顔は多分バレなかっただろう。
それでもスグに表情を引き締めて、挑発し、ついでに思いついて500万の賭けを吹っかけた。

だって、練習試合一回じゃ、1クォーター15分をたった四回。
ちょくちょく時計が止まっても、せいぜい2、3時間で終わっちまうじゃん。
それくらいじゃ、全然足りない。

真っ先に目につくのが長い舌。
あの舌でしゃぶられたらどんなんだろう。

それから、長い腕に目が行きがちだけど、手にも結構特徴がある。
指先が丸くて、なんとなくヌルっとしたフォルム。

その手でシゴかれたら、どんな感じなんだろうか。


つまりオレは、かなり初期の段階、一目見たときから葉柱をそういうイヤラシイ目で見てた。






「カッ! これでイイのかよっ!」

500万をかたにバイクを人質にとったら、葉柱はアッサリ奴隷になった。
ただの口約束だからどーかなと思ってたのに、律儀にこうしてお使いまでしてきてくれる。

買ってきた荷物を乱暴にカジノテーブルに投げ出しながら、そのくせ「次の命令は?」って感じでこっちを睨んで待ってる。

バカだなお前、用が済んだらさっさと帰っちまえばいいのにさー。

「オレんち。送ってけ」

奴隷にしてから二週間。
計算外だったのがコイツの義理堅さと意外な記憶力。

電話で早口にまくしたてるお使いの注文を、未だ間違えたことがねェ。
忘れたり間違えたりしたら、オシオキだぜーとか言ってちょっと遊んでやろうと思ってたのに、ちゃんとキッチリ買ってきやがんだよなコイツ。

「ちゃんと捕まれよ」
「落ちねーって」

バイクの後ろに横乗りになると、決まってそう言われる。
ここに乗ったのはこれで3回目くらいか?
毎回こーして乗ってんだから、慣れりゃいいのに。

あと、そのセリフじゃ、まるで心配してるみたいじゃん。
オレが落っこちてくれた方が、お前にとって都合よくねェの?

「家ってドコだよ」
「ホテル麻黄」
「…………はァ?」
「いーから行けよ」

わざわざバイクで行くほどの距離じゃねェけどな。

一山いくらみてェなの雑居ビルに囲まれたビジネスホテルの前に着くと、葉柱が疑わしげにこっちを見る。
なに、疑ってんの? ホントにこんなとこ住んでんのかって。

まぁ、拠点はいくつかあるけど、ここ使ってんのもホントだぜ。
その中で、ここが一番無難そうだったから今日はココにしただけで。

だってさ、いくらお前らでも、ビジネスホテルに殴り込みかけたりしねェだろ?
まぁそうなったとしても、良く使ってたのは中学の頃までで、そろそろ捨ててもいいかなーと思ってたとこだし。

「上がってく?」

何号室にいるのか、確かめさせてやろうかと思って聞いてみる。

「お前、メシとかちゃんと食ってんの?」
「………………あ?」

なんで急にメシの話になってんだよ。
あぁ、こんなとこに住んでるから?

葉柱の視線が、コッチの頭からつま先まで確認するように往復する。
テメェまさか、オレに「痩せてる」とか言う気じゃねェだろうな。
言っとくが、それ最大の禁句だから。

大体、手足が長いせいでそう見られがちだけど、そんなに痩せてねェんだよオレは。
もっとも、腕の長さに関しちゃお前には負けるけど。

「なに、奴隷がご主人様の心配か?」

からかうように言ったら、自分の立場を思い出した葉柱がカァっと顔を赤くして、何にも言わずに踵を返して走り去った。
バイクで走り去る背中で、白い長ランが翻る。

まったく、「ごきげんよう」くらい言ってけよ。奴隷の分際で。




それからも、葉柱はたまに、まるで気を許したダチみてェな発言をポロっとこぼす。

今日も適当なお使い頼んで部室まで持ってこさせたら、「目、赤ェぞ」って。
まぁ、確かに昨日、夜更かししたけどさ。

「そんなんでパソコン弄ってんの、よくねェんじゃねェの?」

確かに、疲れ目に優しい作業じゃねェな。

つーかさ、500万のかたに奴隷にしてやったのに、こいつイマイチオレにビビってねェんだよな。
買い物や送り迎えの命令に、逆らいこそしねェけど、ぐちゃぐちゃ文句言ってきてよ。

テメェの立場をわきまえろっつーの。

今までオレにそんな態度とってきたヤツなんていないから、どう返したらいいか分かんねェじゃん。
糞ジジイと糞デブに関しちゃ別だけど、アイツらはトモダチでも、テメェとはそうじゃねェだろ?

「今日も送ってけ」

不機嫌な顔してる葉柱を無視して、持ってた鞄を投げ渡す。
そうそう、それ持って3歩後ろを付いてこい。うやうやしくな。



「そっちじゃねェ」
「あ?」

今日も「ちゃんと捕まれよ」っていういつものやり取りの後、結局葉柱が折れてバイクが発進される。
結局そうなんのに、なんで毎回言うんだろうな。

「だって、あのホテルだろ?」
「今日は違ェ、そこ右」

ギリギリで指示する右左折に文句を言いながらも、バイクは快調に進む。
今日送って来させたのは、一体築何年だって感じのボロアパート。

「ホントはココ住んでんのか?」

あぁ、この前のホテルはやっぱ嘘かって?

「いや? いろんなトコ住んでんぜオレ」

だから寝首掻くのは難しーぞって言ってやったら、変な顔しやがった。
なんだよそれ。どう解釈すりゃいいの。

「まぁ、ここは殆ど倉庫だけどな」

ボロいけど、そのせいで殆ど人が入ってないから、ここは結構気に入ってる。

「NFLの試合コレクションとか、まぁライブラリかな」

糞チビと糞サルに、良さそうな作戦があんだけど、あいつらバカだから口で説明してもイマイチ伝わんねェんだよな。
同じことやってる試合が確かあったから、それ持ってって見せてやりゃ話が早ェから。

この倉庫にあるのは、オレ的には相当自慢のコレクションなんだけど、誰に言ってもイマイチ理解されない。
アメフトが日本じゃ認知度低くてイマイチ人気ねェってのは分かってるけど。

「マジで?」

だから今も、薄いリアクションが返ってくるんだろうなと思ってたのに、葉柱は意外にもちょっと目を輝かせた。

「…………おぅ」

アレ、お前って結構アメフト好き?
そりゃアメフト部主将だけど、あんなん形だけで、体よく不良のたまり場に使ってるだけだと思ってた。

「93年の、ビルズ対オイラーズの、とか、あったりする?」

あぁ、32点差逆転したやつ?
つーかそんなのサラっと出てくるの、凄ェなお前。

「おー、あるぜ」
「マジかよ、オレ、あれダイジェストしか見たことねェんだよなー」

そう言って、何か期待するような目を向けられた。
なに、まさか見てェとか?
なんだってオレが、お前にそんなことしてやらなきゃなんねェんだよ。

「見てってもいーぜ」

なのに、口は勝手にそんなことを言った。

「マジで?」

葉柱は浮かれた顔を隠さずに、いそいそとバイクを止める。
まぁ、コレクションを自慢できるのはいいけどよ、お前ちょっと気やすくねーか?

大体、ホントに見たくて言ってんのか?
オレのこと油断させてヤっちまおうって腹じゃねェ?

そう思ったのに、部屋にいれてやった葉柱は、壁にずらっと並んだCD-ROMに、本気で感嘆の声をあげた。
まぁ、HDに入ってるからROMにしとく必要はねェんだけど、バックアップの意味も込めて並べてある。
こんだけ並ぶと壮観だしな。

「うわ、72年のまであんのかよ」

時系列に並べられてるそれを、葉柱が嬉しそうに声を眺めまわる。
勝手に触ったりはしねェのは、育ちがいいってことなのか。

「93年のプレーオフ見るんだろ?」

一枚抜き出してプレイヤーにセットすると、いそいそと前のソファに葉柱が座る。
この部屋には二人掛けのソファが1個しかねェから、そうすっとやっぱ、2人並んで隣に座って見るってことか?

なんとなく落ち着かないものを感じつつも、だからといってオレが床に座るのも変だろうと葉柱の隣に座る。

32点の得点差が付いてから、バッファロー・ビルズ逆転の狼煙となる1ヤードランタッチダウンが決まる。そこから第3Qのオンサイドキックの辺りで興奮が頂点に達したらしく、「おい、今の見たかよ」と画面から目もそらさずに言ってきた。

見たかよって、見てるに決まってんだろ。目の前でやってんだから。
大体、オレだってこの試合、テープだったら既に擦り切れてるだろうってくらい見てんだから。

結局飽きもせずに試合を丸々、オーバータイムまでしっかり見切ったあとも、オイラーズの失敗したキックオフがどーのだの、パスのインターセプトはQBのミスだとか、いやそうじゃなくてあのときはレシーバーが悪いとか、感想戦を散々繰り広げる。

オレが何言っても、ポンポン返ってくることに驚いた。
第4Qで決まった17ヤードのタッチダウンパスでのラインの動きに文句をつけたのにも。だって、オレも同じこと思ってたから。

「うわ、こんな時間かよ」

いくらでもつきそうにない話題に熱中していたら、メールでも来たのか葉柱の携帯が短く鳴る。
それでついでに時間を見た葉柱が、ちょっと焦った声を出した。

「わりーな、帰るわ」

あまりにも長居していたことを軽く謝って、葉柱が立ち上がる。
別に引き留める理由もないから「おぅ」とか返して、浮かれた葉柱の背中を見送った。

実は時間に関しちゃ、コッチも驚いた。
試合見終わったのが11時前くらいだったのに、すっかり日付が変わってる。
そんなに話してたか?

確かに、アメフトの話に飢えてたといえばそうだ。
うちの部のヤツらは基本的にバカばっかりだから、難しいこと言っても通じねェし。
糞ジジイだったら多少話は通じるけど、テンション低いからなアイツは。
あーでもない、こーでもないと、盛り上がるには向かない相手だ。

だからといって、葉柱相手にそうなるなんて思ってもみなかったけど。

「……………」

見終わったROMを元の場所にしまいながら、生まれて初めてかもしれない不安と焦りを胸に覚えた。

だって、オレは気づいてしまった。

あの舌でしゃぶられたら、あの手でシゴかれたらって思ってたのに。

今は、あの舌とキスしたら、手を繋いだら、指を絡めたら、なんて、思ってる。


'13.04.22