ヒルルイの上下関係2
最近の生活は、とても楽しい。
大学が終わって家に帰ると、先に帰ってる葉柱がわざわざ玄関までぺたぺたと歩いてきて、ちょっと照れたような顔で「おかえり」とか言う。
「ん」
そこで荷物を置いて腕を広げると、葉柱は「もー」みたいなことをごにょごにょ言いながら、更に近寄ってきて腕の中に納まる。
「メシ食う? 風呂も沸いてるけど」
照れると饒舌になるのは葉柱のクセで、腰に手を回してきながらも、世間話でもするような口調でそんなことを言う。
まぁ、言ってる内容は、どこの新婚だよって感じなんだけど。
「メシなに?」
「え? えーと、カツ丼。作った」
指輪を渡してからの葉柱は、なぜかちょくちょくと料理を作るようになった。
別に指輪を渡すときの条件に料理を作ることなんて言わなかったけど、結婚=手料理、というベタな意識が葉柱の中にあって、それを実践しているんだろう。
ただ、カツなんて上げる時間もスキルもないから、どうせカツは惣菜で買ってきて、卵でとじただけ、とかそんなんだろうけど。
それでもまぁ、手料理には違いない。
「風呂。一緒に入る?」
背中を撫でてた手を下にずらして、やんわりケツを掴みながらいうと、葉柱は「はー?」とか言いながら身を捩って嫌がるようなフリをして笑う。
そのくせ、ベルトに手をかけると、腰に回されてた手はすぐ首に回ってきて、もう風呂場といわずここでOKみたいな雰囲気になって、数歩あるけばベッドがあるような距離なのに、結局そこで始めたりして。
「美味い?」
結局壁に葉柱を押し付けて後ろからハメたりした後に風呂に入って、そういうムチャをしたときには大抵機嫌が悪くなるはずの葉柱は、にこにこしながら見てくれの悪いカツ丼をテーブルに並べて一緒に食事をとる。
「うん」
正直言って、別にまぁ特別美味くもなくまずくもない。
葉柱も「手料理を作って食べさせている自分」に酔ってるだけのようだし、とりあえずはいはい言っときゃ問題ない。
正面に座る葉柱の指には、例の指輪が嵌まってる。
男と結婚したなんで誰にも言えないし、外に指輪なんてつけていけない。
だから葉柱は、朝家を出るときには指輪を外し、帰ってくるとまた嵌める、というやたらメンドクサイ作業を飽きもせず毎日続けてる。
まぁ実はそれは、オレも一緒なんだけど。
別に指輪なんてどうでもいいと思ってるけど、これを嵌めておくと葉柱の機嫌が目に見えて良い。
食後にソファに並んで座ってるときも、指輪の嵌まってる指を見るとにこにこして手を繋いできたりする。
指輪を渡すときの条件に「可愛くしろ」と言った通り、こうして最近の葉柱はやたらと可愛らしい。
約束を守ってるつもりなのか、ただただ浮かれてるだけなのかは知らないけど。
夜はうとうとしながらもオレが寝るのを待って、ベッドに向かうと後ろからひょこひょこついてきて、おやすみのちゅーなんてして、こっちに顔を向けて寝る。
朝も早起きして朝食やらなにやら準備するつもりらしかったけど、目が覚めたときに隣が空っぽなのはなんとなく寂しいような気がして止めさせた。
起きたときに目をしょぼしょぼさせた葉柱が「うん」とか「むん」とか言いながら懐いてくるのを見るのが楽しいというか、これが俗に言う「幸せ」ってやつなのかもしれないなーなんて考えたりして。
指輪を渡してからの一週間。最近の生活は、概ねそんな感じだ。
葉柱が可愛らしく振る舞うので構いたくなるし、構うと喜んだ葉柱は更に可愛く振る舞うという好循環。
つまり、指輪一個でこういう生活を手に入れたわけで、まったく安い買い物だったなーと思う。
こんなんなら、もっと早くにそうしておけばよかった。
「あ」
朝もいってらっしゃいのちゅーなんてアホみたいなことして家を出て、車に乗ったところで指輪を嵌めたままだったことに気づく。
別に指輪してることが誰にバレようと構わないけど、葉柱はやたらとそういうことを気にするし、それに部活のときにはどうせ外さなきゃいけない。
だからといって家に戻って置いてくるのもめんどくさくて、とりあえず指からだけ外しておいた。
その日は家に帰るとまだ葉柱は戻って無くて、今日はおかえりのちゅーは無しかーとか思いながら脱いだ上着をその辺に放って風呂に入る。
腹が減ってはいたけど、葉柱は特に今日用事があるとも行ってなかったから、そのうち帰ってきてまたいそいそとメシを作ったりするだろう。
風呂からあがったときには、思った通り葉柱はもう帰ってきていて、「うなぎがなー」とか言ってた。
なにやら、実家からうなぎをもらってきたらしい。
実家からもらってきたってことは、やたらといい食材だろうに、コイツの手にかかるんじゃうなぎも浮かばれねーなーと思ってたら、「大丈夫、タレがついてる」とか言いながら炊飯器からご飯をよそう。
既に出来合いのかば焼きなのか。
うなぎを食べてる間、葉柱は「実はうなぎの旬は冬なんだぜ」とか、おそらくついさっき、うなぎを貰ったときに聞いたんであろうウンチクをドヤ顔で語る。
なんにせよ、こいつん家が金持ちでよかったなーと思いながら、脂ののったうなぎを食べて、空の器を下げた葉柱が食器を洗い、手を拭きながら戻ってきて指輪を嵌めたときに、そういえばまだ指輪してなかったなと思い出した。
いつも指輪を置いてる寝室のベッド横の引き出しをあけて、あれ、と思う。
指輪がない。
あぁ、そういえば、そうだった。
今日は、朝指輪を外してここにしまうのを忘れたんだった。
「………………」
そこまで考えて、少し途方にくれる。
朝、指輪を外したことは覚えてる。
車に乗って、ハンドルを握ったときに、指輪をしたままだったのに気付いた。
だから、指からその指輪を抜き取った。
「…………」
で、どうしたんだっけ。
指から抜いた記憶はある。
そこまではあるけど、じゃぁその抜いた指輪をどうしたかと聞かれたら、覚えてない。
まぁ、どっかにしまったんだよな。多分。
ポケットか、鞄か、どっかに。
どうしたんだっけ。完全に無意識のうちの作業だったようで、まったく思い出せない。
一番ありそうなのは上着のポケットだろうと思って、帰ってきたときにソファの上に放り投げた上着を探すと、最近良妻を気取ってる葉柱が既にハンガーにかけてコート掛けに吊るしてある。
ポケットを探ると、ガムの包み紙が見つかっただけで他には無し。
じゃぁズボンのポケットかと、洗濯籠の中からそれを引っ張り出して探すも、やっぱり指輪は見つからない。
鞄をひっくり返してみても、どっかに落ちたかと床を見ても見つからなかったけど、この時点ではまだ別にそんなに深刻にも思わなかった。
車通学してるんだから、歩いててどっかに落としたってことはないだろう。
多分、車の中にでも置いたんだろうな。
ただ、今日一日指輪をしなかったら、葉柱はそれに気づくだろうか。
ソファに座ってアホみたいな顔でテレビを見てる葉柱を見てみる。
葉柱の定位置は左側だから、悪いことに、ヒル魔の左手がよく見えるだろう。
いつも手を見て指輪を見ては、にまにま笑って手を繋いでくるくらいだから。
だからと言って、隣に座らずにぼけっと突っ立ってるのも不自然で、ちょっと考えてから隣に座り、それからすぐに葉柱の肩に手を回した。
こうしておけば、葉柱が指を確認することはない。
そういうつもりでとった行動だったけど、葉柱はなんだか照れ照れしながら喜んで、夢中になってたはずのテレビから視線を逸らして寄りかかってくる。
葉柱の指に嵌まってる指輪を見るとちょっと気まずいような思いにとらわれて、それを誤魔化すように頭を掴んで引き寄せてキスをした。
「ベッド行く?」
いいこと思いついた。
もうベッド行って、早々にコイツを寝かしつけよう。
そうすれば、今指輪をしてないことには気付かれない。
明日指輪を探して、また嵌めるようにすればなんの問題もない。
「早くね?」
誘いをかけながら身体を撫でたら、葉柱は呆れた風を装って苦笑するように笑ってるけど、全然嫌がってる素振りはない。
不自然じゃない程度に肩を抱いたままベッドに連れ込んで、これまた手が見られないように身体をぴったり重ねて覆いかぶさる。
葉柱が左に首を捻る度にちょっとひやっとして顔を向けさせてキスをすると、こっちの心の内を知らない葉柱はそうされる度に喜んで鼻を鳴らしてる。
「ひるま……」
後ろを慣らして挿入する頃には、葉柱はいつも以上にメロメロになってて、ちょっとでも身体を離すと甘えた声で名前を呼んできてキスを強請るようになる。
そういやコイツは、こうやってベタベタ甘やかされるの好きだからな。
そんでオレは、そういう葉柱をイジメたり辱めたりするのが好きなんだよなー。
「気持ちい?」
「う……うん……うん…………」
ゆっくり動くと、上の空のような声で相槌を打つ。
これも気持ちいときの葉柱のクセで、こうなると、もう何も話しかけなくてもうんうんと返事なのか感嘆なのか分からない声をあげる。
「ここは?」
「あっ……あ、あ……」
仰け反らせられて見える白い首に満足感を覚えて、それを指で撫でると葉柱の喉が震えてるのが分かる。
感じきってめそめそした雰囲気を出してる葉柱に、今日は本当に可愛いなー、このまま可愛がろうかなー、それとも苛めてやろうかなーとか考えてたから、縋るように二の腕を握ってくる葉柱の手が、するすると腕をなぞって下に降りてくるのに気付くのが遅れた。
「あ、指輪……」
それに気づいたのは、甘えたように動く葉柱の指が、左手まで降りてきて指を絡めてそう言ってきたとき。
「好きだぜ葉柱」
「あ、あっ……!」
ヤバい、と思った心境とは裏腹に、口は勝手にそんなセリフを吐いて、考えるより先に、反射的に葉柱の腰を掴んで強く突き入れた。
「ひ……ん、ん、ぁ、ひるま……」
そのまま葉柱に口をきかせないように激しく責めたてると、指輪のことを忘れたかどうかは分からないけど、葉柱はすぐに首元にしがみ付いてきて合わせるように腰を振ってくる。
「………………」
正直、またやっちまったなーと思う。
都合が悪くなったら、「好きだぜ」とセックスのコンボで有耶無耶にするって手段を、ついこの間葉柱にも釘刺されたばかりだったのに。
「あ、オレも……オレも好きぃ……」
「…………うん」
ちょっとまずいかなと思ったけど、まぁ、大丈夫だろ。
なんだかんだ言って、コイツはそうやって甘やかされるの大好きなはずだし、今もこうして喜んでるし。
そのまま、前から後ろから葉柱を散々可愛がって、力が抜けてぐんにゃりなった葉柱を、思惑通り腕の中でよしよしと寝かしつけた。
翌朝、葉柱が起きる前に家の中を確認して、そこに無いと分かると、何食わぬ顔でいってきますと家を出たあとに車の中もさらうように確認した。
「………………」
けど、ない。
これはヤベェ。
正直、昨日の時点では、絶対車の中にはあると思ったんだよ。
指輪を外したのは車の中だったし、指から抜き取って、無意識にその辺に置いたんじゃないかって。
ここに無いとしたら、あとは部室か?
ポケットにでも突っ込んだ指輪を、着替えたときに落としたとか。
そこになかったらもうお手上げだろ。
そういう思いで行って帰って、結局なんの収穫もないまま家に戻った。
「おかえり」
音が立たないようにそーっとドアを開けてみたけど、今日は先に戻ってた葉柱がやっぱりぺたぺた歩いて近寄ってきた。
咄嗟にいつもみたいに手を広げると、葉柱もいつも通り抱き着いて懐いてくる。
「今日メシなに?」
普段だったら照れてしゃべり出すのは葉柱の方が先なのに、つい間が恐ろしくてこっちから先に口を開く。
そんで、なんとなく葉柱の頭を撫でる。
浮気男が急に饒舌になったり優しくなったりするのって、こういう心理か、とかちょっと納得したりして。
「えーと、からあげ。買ってきた。あ、サラダは作った」
メシの話題を出したことで、今日は先に食べるんだと思ったらしい葉柱が腕の中から離れてキッチンに戻る。
普段だったらここで一回寝室によって、指輪を嵌めてくるところなんだけど、その指輪がねーんだよ。
いつ葉柱が「指輪は?」とか言い出さないかとハラハラしながら食事をとって、食後に淹れられたコーヒーも、意識して右手で持つ。
ついつい目が行く葉柱の左手には、当然のように指輪が嵌まっていて、それを見る度にやべーやべーと心臓に汗をかくような気分になる。
指輪を失くしたと言ったら、コイツは一体どういう態度をとるだろう。
怒るか悲しむかは分からないけど、楽しいことじゃないのは確かだ。
どうするかなーと思いつつも、特にこうしようって案も思いも出てこない。
アメフト以外のことに関しては、なんだかんだ先送りするのも悪いくせだよなーと思いながらも、今日も指輪の無い左手を誤魔化すために、ソファの隣で葉柱の肩に手を回す。
「あのなー、明日さー」
肩に寄りかかってくる葉柱が、語尾を伸ばしてアホみたいな口調で喋る。
こういう口調のときは、甘えてるか、何かお願いがあるときだ。
「ん?」
「明日さー、暇?」
「なんで」
明日は日曜日。これは多分、デートのお誘いだな。
「デートする」
思った通り、葉柱は照れ照れしながらそう言い切った。
というか、なんで「する?」じゃなくて「する」なんだ。決定事項か。
明日、特に大事は用事はない。
でもやろうと思えばやることはいっぱいあるし、わざわざデートなんて面倒臭い。
「いーぜ」
ただ、指輪を失くした後ろめたさとか、後、外にデートに行くなら、指輪をしてなくても不自然じゃないだろう、とかそういう打算的な思いが加わって、了承の返事をする。
「あのさ、それでさー」
そうすれば、葉柱が喜んでそれで終わり、と思ったのに、葉柱はまだ言いたいことがあるのか、腕の中で俯いてもじもじしてる。
「指輪して、デートする……」
「………………」
いやいや、なんだって?
「……外で指輪はまずいだろ」
正直なところ、別にそうは思わない。
そうは思わないけど、指輪はねーんだよ。
だからしょうがなく常識人ぶってそんなことを言ってみる。
「だから、車で遠出して、あ、ドライブでもいーし」
男同士でどうのこうのしてるのをバレないように苦心してるのはいつも葉柱の方のくせに、なぜか今はやたらと指輪デートに乗り気だ。
それ、先週言ってくれてたら、全然よかったんだけど、今はムリだわ。
「指輪はやめとけ」
「…………」
焦る胸中がバレないように、平然とした口調で諭すと、葉柱がちょっと拗ねたような雰囲気を出してくる。
「じゃぁ、外じゃなくて、家にいる」
「あ?」
「DVD借りてきた。家でいーから」
なんでそんな準備がいいんだよ。
つまりアレか? 「指輪無し外デート」じゃなくて、「指輪有り家デート」にしようってことか?
一旦デートを了承したからには、「やっぱり忙しいから」とかなんとか言って止めにするのも憚られる。
そりゃ、テメェがその指輪をいたく気に入ってるのは知ってたけど、なんで今に限って急にそんなこと言い出すんだよ。
「なんで? どっか行きてーとこあるんじゃねーの?」
「ない。家がいい」
どうにか指輪無しデートに持って行きたいのに、葉柱は既に家デートに決定したかのように浮かれてにこにこしてる。
「オレ、買い物いきてーんだけど」
少し不自然かとも思ったけど、軌道を修正したくて苦し紛れにそんなことも言ってみる。
葉柱が顔を上げて目をみてきたので、咄嗟に逸らしそうになる視線をぐっとこらえて、「どーした?」って顔で笑って見る。
大丈夫。そういうのは得意だ。
「あのさー、明日家でデートするならさ」
「ん?」
ムリだけどな。
「…………今日、なんでもしてやるよ」
にやんと笑った葉柱の手がするするとシャツの下に入ってくる。
「………………なんでも?」
いやいや、聞き返してる場合じゃねーよ。
なにしてもらおうと、指輪はねーんだから。
「うん。なんでも」
Tシャツを胸の上まで捲り上げられて、葉柱が鎖骨の下辺りにちゅっとキスを落としてくる。
そのまま顔が下に向かって、ベルトに手をかけられた辺りで、静止するかそのままやらせるかにちょっと迷う。
迷ってるうちに下半身はむき出しにされて、葉柱の舌が躊躇いなく性器に伸びる。
「ん…………」
コイツの長い腕がアメフトの為にあるっていうなら、この長い舌はオレのアレ舐めしゃぶるためにあるんじゃねーかなーとか、常々思ってる。
フェラチオ超うまい。
そのくせ、あんまりやってくれないから、これはかなり貴重だ。
「なぁ、明日……」
頭を撫でながら舐められるに任せてると、葉柱が口を離して懇願するような目で見てくる。
「ん? うーん」
うーん、じゃねーんだけどな。
ねーもんはねーんだから。
ただ、止めて欲しくなくて適当に言葉を濁す。
早く早くと手で押して促すと、期待通りにまた温かい口の中に性器が含まれる。
「明日、家でデートする?」
「…………うん」
家デートっていうのは、一緒に家でイチャイチャしようぜってことの他に、お揃いの指輪をして、ってのが含まれる。
完全にムリな相談なんだけど、咥えられると気持ちいし止めてほしくないしで、とうとう無責任にもそんな返事を返した。
しょうがない。一回チ×コ勃った男の思考なんてそんなもんだ。
そうして了承したら、葉柱は更に熱心にジュルジュルと音を立てながらしゃぶってくれて、最終的には自分の乳首を指で弄り倒しながら上に跨って散々腰を振ってくれるくらいのサービスっぷりに、「じゃぁ明日はずっと一緒な」なんてセリフをサラっと言ったような、言わされたような。
分かってるよ。
そんな場合じゃねェ。
結局遅くまで大ハシャギして、大満足って感じで眠りについた。
出来もしない約束なんかして、一体どーすんだよと我に返ったのは、翌朝まだ眠ってる葉柱を腕の中に抱きながら目が覚めたとき。
時計を見ると、午前7時。
これはもう、アレしかねーな。
買うか。指輪。
「………………」
同じ指輪がもう一個あればいいだろ、とかそういう問題じゃないのは重々承知だけど、無いよりはマシだ。
葉柱がまだ起きないうちに急いで指輪を買って、指に嵌めときゃ問題ない。
同じ指輪がすぐに手に入るかどうかは分からないけど、最悪、よく似た指輪でも構わない。
しばらくそれで誤魔化して、そのうち同じ指輪を手に入れればいい。
そう思って葉柱を起こさないようにそーっと腕を離したところで、葉柱が「うーん」とか言いながら身じろぎして薄く目を開ける。
「…………」
ボケボケした顔をした葉柱は、目があうとへらっと笑う。
このままもう一度寝ないかなと思って声をかけずに見守ってると、腕を回してきてぎゅっと腰を捕まえられた。
これじゃ、葉柱が寝たとしても抜け出せない。
「……ちょっと出てくるから、テメェもうちょっと寝てろ」
優しい感じで声をかけて、さりげなく回された腕を外そうとすると、葉柱がむずがるような仕草で余計にぎゅーっと抱き着いてくる。
「今日、ずっと一緒にいるって言った……」
「………………」
まぁ、言ったな。
上に乗っかられて、身体中舐められながら、いーぜとか気持ちいとかの言葉の合間にも、そんな適当なことをベラベラと喋った気がする。
だって、なんだかんだ言って、コイツセックスうめーんだよ。
オレが仕込んだんだけど。
「一時間だけな。スグ戻る」
はたしてたった一時間で指輪が手に入るかなーとも思うけど、そこはもうどうにかするしかない。
「オレより大事な用事?」
「…………」
おいおい。なに言ってんだ。
たかだか一時間でかけるだけだぞ。
いつもはそんなこと言わねーだろ。
なんだってんだ。………………なんか可愛いじゃねーかよ。
「……テメェが一番大事」
つい昨日、気持ちよさと雰囲気にのまれて適当な約束をしたばっかりだっていうのに、今もあっさり葉柱可愛さから適当な言葉を返した。
そうすると、葉柱はにこにこと喜んで余計懐いてくる。
楽しいけど、やっぱりそんな場合じゃない。
「あと一時間だけ寝てろ」
葉柱の目はまだ半分しか開いて無くて、眠たげに多く瞬きをしてる。
だから大人しく眠ってくれてりゃいいのに、なぜかイヤイヤと駄々を捏ねて掴んでくる腕を離さない。
「じゃぁさ」
「ん?」
「…………キスしたら、行ってきてもいーぜ」
なんだそれ。
やっぱりコイツ新婚気分で大分頭イカレてるな。
「うん」
だからってその言葉に呆れるわけでもなく、やっぱり可愛いなーとか思ってんだからどうしようもない。
よしよしと頭を撫でてキスをしようとしたのに、なぜか葉柱が顔を伏せてそれを避ける。
「なんだよ」
「そーじゃなくて、指輪して」
「………………」
キスに指輪は関係ねーだろ。
葉柱は右手をするする伸ばしてきて左手に繋いでくる。
結婚指輪して、手繋いで、キスするのな、あぁ、なるほど。それは凄ェイイ思いつきだ。
指輪があればな。
「帰ってきたらな」
指輪はいつも、すぐそこの引き出しにしまってある。
こうして葉柱に抱き着かれたままでも、ちょっと手を伸ばせばする取り出せるようなとこだ。
葉柱も当然それが分かってるから、ぴったりくっついたまま離れる気は無いらしい。
「昨日も指輪してなかった」
「あ? あぁ、そうか?」
そうか? っていうか、まぁそうなんだけど。
やっぱり、昨日今日と指輪をしてないことに、葉柱は目ざとくも気付いていたらしい。
「とにかく、帰ってきたらな。DVD見んだろ?」
これ以上突っ込まれては堪らないので、適当にキスして早く行こうと思うのに、葉柱はうつ伏せになるようにベッドに顔を伏せて、キスされないように力を入れて抵抗してる。
可愛くねー態度とってんじゃねーぞこの野郎、とでも言ってやろうかと思うけど、指輪の負い目があってなんとなく強く出れない。
「…………結婚、やっぱ嫌になったんだろ」
「………………」
どう宥めようかなと思ってたら、葉柱が小さい声で、顔を伏せたままそんなことを言う。
「……違ェよ」
「だって指輪しなくなった」
指輪しなくなってたった二日で気が早くねーか?
まぁこんなの、とっとと指輪して手繋げば一瞬で終わる問題だ。
多分葉柱はそう思ってる。
だから、のらりくらりと指輪することをかわそうとするコッチに、ふつふつと不審の念を募らせてるらしい。
「違ェって」
こうなったらもう言うか? 指輪は失くしましたって。
そうすれば、「結婚が嫌になった」なんてアホみたいな誤解は解ける。
ただし、確実に別の問題が勃発するだろうけど。
それに、昨日調子に乗って、指輪デートをダシに中出しセックスまでやらせといて、その指輪はねーんだけどな! とか言えるわけない。
「とにかくちょっと出てくるから」
強引に切り上げようとする言葉に、葉柱からの反論はない。
ただ、ベッドに顔を押し付けたまま、黙って動かない。
おいもう勘弁してくれよ。まさか泣いてんじゃねーだろうな。
とりあえずこの状況に目を瞑って、急いで指輪を買ってきてからまたご機嫌取り作業に戻るべきか、もしくはどうにか今指輪無しでこの状況の打開を試みてみるか。
勝算でいったら、前者しかありえない。
指輪がないと、この状況はどうやったってどうにもならない。
だけど、もしかしたら泣いてるかもしれない拗ねた葉柱を前にしたら、その当然の計算結果に従って葉柱を置いていくことが出来ない。
なんて優しくなったんだオレは。
「葉柱、こっち向け」
確かに、これからは優しくしようって決めたのは、つい一週間前だ。
とりあえずまた「好きだぜ」とか言ってみようかなーなんて考えも浮かんでくるけど、流石にそれはまずいか。
いや、どうかな? 意外といけるかも。
「もう指輪したくねーんだろ」
「違ェって言ってんだろ」
「したくねーんだ」
「違ェよ」
違う違うと言いながらも、いっこうに指輪は嵌めない。
どうしたって説得力のない言葉だけど、だって、無いんだから。
「嫌になったならそう言えよ」
「だから」
「したくねーんだろ」
「違ェって」
「したくても出来ねーんだろ」
「だから違ェって…………あ?」
「だって指輪は、ここにあるから」
泣いてるかもしれないと思った葉柱は、うつ伏せのまま急にぐりっと顔だけをこっちに向けて、それから差し出してきた右手のまるっこい指先には、指輪が一つ挟まれていた。
「それ…………」
思わず、葉柱の左手を確認してみる。
指輪はしてる。
ということは、今この右手に持ってる指輪は、オレの指輪か。
「………………」
なんでコイツが持ってんだ。
いや、コイツが持ってるってことは、コイツはオレに指輪が無いと分かった上で、「指輪しろ」「指輪しろ」とかごねてたわけか。
この野郎。
「……なんでテメェが持ってんだよ」
「拾った。床に落ちてたから」
それは多分、オレが指輪を失くしたと思った一昨日のことってことだよな?
指輪は、やっぱり上着のポケットかなんかに入れてて、ソファの上に放り投げたときにでも転がりおちたってことなんだろう。
「なんでスグ言わねーんだよ」
そんなもん、スグにオレに渡してくりゃ、なんの問題もなかっただろーが。
「言おうとしたけど?」
「言ってねーだろ」
「いやー、なんか、『指輪』って言った途端、 な ぜ か テメェが急に「好きだぜ」とか言い出して、激しくするからさー」
「………………」
そうかアレか。
まぁ、覚えてる。
コイツが手に触ってきて、「指輪」みたいなこと言いかけたから、てっきり「指輪しねーの?」とか、「指輪どうした?」とか聞かれると思って、適当に誤魔化したアレだ。
つまりコイツは、オレが指輪を失くしたことも分かってて、あまつさえそのことを、例の手段で誤魔化そうとしたことも、全部お見通しだったってわけだ。
最初はただ指輪落ちてたぜーとか言って返そうとしたんだろうけど、例のアレで誤魔化そうとしたことでそんな気は一気に失せて、嫌がらせのように「指輪」「指輪」と連呼しては、困るオレの態度でも楽しんでたってことか。
だからって、よくもまぁそれだけであんなアホみたいな態度とりやがったなこの野郎。
ちょっと可愛いと思ってたのに、どうしてくれんだ。
「…………怒ってんのかよ」
「別にー?」
完全に怒ってんな。これは。
なんだかんだ言って、あのときはテメェだって喜んでやがったくせに。「オレも好きー」とか言ってよ。
そんなこととても言い出せる雰囲気じゃねーけど。
「まぁ、またかーとは思ったよなー。ちょっと都合が悪いことがあると、テメェがお得意の『好きだぜセックス』で誤魔化そうとするのはさー」
「………………」
勝手に妙な命名してんじゃねーよ。
そんでやっぱり、相当怒ってんじゃねーか。
「ごめんって」
腰を掴んで引き寄せながら謝る言葉は、我ながら薄っぺらいなーとは思った。
だって正直、指輪は見つかったしどうでもいいかーみたいな思いが結構ある。
そのまま葉柱の右手に手を伸ばして指輪を取り返そうと思ったのに、なぜか葉柱は手の内に指輪を握りこんで渡そうとしない。
なんかこれじゃまるで、指輪を渡したときの再来みてーじゃねーか。
立場は逆だったけど。
「なんだよ」
「落っことしても放っておくくらいだから、指輪なんかどーでもいいんだろ」
なにをまだ拗ねてんだ。謝ったのに。
「いーから返せよ」
葉柱に腕を伸ばされたら、常人はその先の手にはどうやったって届かない。
とりあえず、返せよー、やだー、みたいなくだらない茶番劇にしばらく付き合ってやれば葉柱の気も晴れるんだろうと踏んで、適当に身体を撫でたりキスしたりしながら、ジャレ合いを続けてみる。
思った通りちょっとしたら、葉柱の顔からは険が取れて、顔に手を添えると猫みたいにすり寄ってくるようになる。
これでもう気は済んだだろうと葉柱の右手にもう一度手を伸ばしたら、逃げはしなかったけどやっぱりまだ指を開かない。
「返して欲しい?」
「…………おー」
もともとオレの物なのに、なんでこんな上からの発言をされなきゃいけないんだとは思ったけど、とりあえずこの場を収めるのが先かと思って、特に反論もせずに返事を返した。
ここはとにかく、葉柱のことを甘やかしておいた方がいいだろう。
そうしておけば、そう時間のかからないうちに、コイツの機嫌だって直るはず。
「じゃぁさ、あのー、あれ、もう一回言ったらいーぜ」
「あ?」
あのあれって、なんだよ。
「あのー、け、結婚するとき、言ったやつ」
言った葉柱は、なんでか勝手に照れて、きゅーっと喉を鳴らしながらまたベッドに顔を埋めてる。
「………………」
それってまさか、あのあれじゃねーだろうな。
あの、あれ。
愛、が、どうとか、なんとか……そんなやつ。
「…………結婚して?」
「……違う」
「大事にする」
「それじゃなくて、もう一個の」
じゃぁやっぱり、あのあれか。
「………………嫌だ」
最初に思った通り、葉柱が期待してる言葉があのあれだってことが確実になった時点で、葉柱を甘やかして懐柔しよう計画はあっさり放棄した。
「な、なんでっ」
葉柱は、まさかこの雰囲気の中断られると思ってなかったのか、ビックリした顔をしてポカンと口を開けてる。
なんでもクソもあるか。
あんときだって、あれは、一生に一回だけだからと思って、目を瞑って歯を食いしばるような気持ちで言ったんだぞオレは。
それを、こんなくだらねーことでホイホイオネダリなんかしてきてんじゃねー。
というか、テメェだってオレにそんなこと言ったことねーくせに。
「なんで、いーだろっ」
葉柱のご機嫌をとるために、背中を撫でるように回してた手をひっこめると、葉柱は慌てたように手を回してくっついてくる。
「嫌だ」
絶対に。
あのあと3日くらいは、思い出しては「ぎゃー!」とか叫んでベッドにダイブして、枕に顔を埋めては脚をジタバタさせたいような気持になってたんだから。
まぁ、そんなバカみてーなことはしねーけど。
それくらいってことだ。
さっきまでは、こっちが下手に出てたことで調子に乗ってツンツンしてた葉柱は、不機嫌そうな顔を見せたことで急に不安を覚えたのか、今度は逆に縋るように腕を掴んできてくっついてきてる。
葉柱が、口をはわはわさせながら、「なんで」とかちっちゃい声でいうと、大抵のことは叶えてやってもいーかなーって気になるけど、今回ばかりはそんな気にはサラサラならない。
絶対嫌だ。
あれだけは嫌だ。
腕をひっぱる葉柱を無視して答えないでいると、葉柱の眉と口角がじわーっと下がってくる。
しまった。泣くかも。
いや、いい。もう泣いても知らねー。
泣いても無理。
胸中では、ここで葉柱が「じゃぁオレのことなんて愛してねーんだな!」とか言い出さないかとハラハラする。
頼むから、そんな昼ドラみてーなことだけは言いだすなよと祈るような気持ちでじりじりと待つ。
「なんで……」
腕の中の葉柱はすっかり元気をなくして、何度目かの「なんで」を、また小さい声で繰り返す。
「嫌なものは嫌だ。あんなもん一生に一回しか言わねーって決めてたんだよオレは」
ホントに泣いたらどうしよう、と思いながらも、絶対に譲れないので一息でそう言い切った。
葉柱の目に涙が浮かんでくるか注意深く見ていたら、そういう思いとは裏腹に、葉柱はパチパチと瞬きをしたかと思うとキョトンとした顔をする。
今度はなんだよ。
「一生に一回?」
「…………そーだよ」
まさか、それじゃ不満だとか文句つけだすつもりじゃねーだろうな。
「じゃぁ、今まで誰にも言ったことねーの?」
「あたりめーだろ」
オレが、そんなことホイホイ言うタイプだとでも思ってんのかテメーは。
「これからも、誰にも言わねーの?」
「…………そーだよ」
もう、一生に一回言ったんだから、テメェが最初で、それに最後。
「じゃぁ、いい」
葉柱はそう言って、だらしない顔でデレーっと笑った。
これはこれで恥ずかしいような気がしたけど、とりあえず葉柱は納得したようなので黙っておいた。
「手」
へらへらしたままの葉柱に促されて、左手を渡す。
どうやら、指輪を返して嵌めてくれるつもりらしい。
葉柱の丸っこい指で差し出される指輪が薬指に通される様子を見ていると、なんとなく、手錠か首輪でもつけられてるような気分になった。
「結婚は人生の墓場」とかいうベタな文句もチラっと頭を掠める。
「あのな、オレも、一生に一回だけ言うことにする」
指輪を嵌め終えた葉柱が、そう言ってぎゅっと抱き着いてくる。
それは今のことなのかと思ってちょっと待ってみても、それ以上葉柱の言葉は続かない。
どうやら、葉柱の「一生に一回」のタイミングは、今ではないらしい。
「いーぜ、じゃぁ、一生待ってる」
多分そういうつもりなんだろうと思って言ってみた言葉に、思った通り葉柱は感激したように抱き着く腕の力を込めてきた。
こういう墓場なら、まぁそこに埋もれるのも悪くない。
'13.08.29