ヒルルイの上下関係
特にそういう予定じゃなかったけど、なんとなく大学の奴らと飲んでから帰って家のドアを開けると部屋の中が真っ暗だった。
もうとっくに日付も変わってるのに、まだ葉柱は帰ってないんだろうか。
先に寝てるときも、オレがまだ帰ってないときは玄関の明かりくらいはつけといてるはずなのに。
多少違和感を感じたけど、いい感じに酔いが回ってる頭にはどうでもよくて、手探りでリビングまで歩いて、部屋の明かりをつけたところで驚愕した。
まだ帰ってきてないのかと思った葉柱が、先に寝てるわけでもなく、置物のようにソファに座ってたから。
これは葉柱じゃなくて、この世に未練を残したまま死んだ者の地縛霊ですよ、とか言われたら信じるくらい陰気くさい感じで、オレが帰ってきて電気をつけたことに当然気づいてるはずなのに、微動だにせずにただむっつりと座ってる。
「…………ただいま」
なにやってんだコイツ、と思いながらも、なんとなく尋常じゃない様子にそうやって声をかけてみる。
返事がないからなんか拗ねてんのかなと思って、ソファの隣に座って肩に手を回してみる。
怒ってたらきっと身体に力をいれて抵抗してくるだろうと思ってたのに、引き寄せてみると簡単に腕の中に納まったから、余計わけが分からない。
「ただいま」
もう一回言うとやっと顔をあげて、それでもやっぱり変な顔をしてるから、とりあえずちゅっとキスをしてみる。
そういえば最近あんまり構ってなかったから、寂しかったのかなーと思ってそのまま抱きしめると、葉柱もすぐに腕を回してきて身体を撫でてきた。
やっぱりそうかと思って、気分もいいし今日は久しぶりにヤルかなーと葉柱の服を脱がそうとしたら、その葉柱の手の動きが、なんだか変なことに気が付いた。
身体に触ってくるわりには、雰囲気出してる感じじゃないし、特に重点的にポケットの辺りを探っては、中のものを取り出して確認したりしてる。
なんだ?
ポケットの中から、鍵を見つけては取り出し、携帯を見つけては取り出し、他にはないかと触ったり撫でたり確認を続けて、もう他にないと分かると手をひっこめる。
「なんだよ」
「プレゼントは?」
「は?」
なんで、オレが突然テメェにプレゼントなんて買ってくると思ってんだよ。
誕生日でもあるまいし。
「あ」
そこまで考えて、気が付いた。
コイツ、誕生日だ。
「………………」
マヌケな声を出したことで、スッカリ忘れてたことが葉柱にもバレたんだろう。
多少拗ねたくらいの感じだった顔が、みるみるうちに目が吊り上って眉が顰められ、じわーっと目の淵に涙が盛り上がってくる。
しまった。
完全に忘れてた。
今までの経験から考えると、この後葉柱はぎゃーっと喚きだして暴れるはずなので、そうなる前に両腕ごとぎゅっと抱き込んで動けないように閉じ込める。
「誕生日オメデト」
全然忘れてなんかいなかったぜ? って感じで努めて優しい声で言ってみる。
喚きだす前に機嫌をとらなければと思って額や頬にちゅっちゅっとキスを繰り返して、ついでに目に溜まる涙もこぼれる前にちゅっと唇で吸い取る。
「もう誕生日じゃねーもん……」
まぁ、確かに、とっくに日付は変わってるけど。
とりあえず機嫌をとるようにキスを続けると、そういう行動が功を奏したのかは分からないけど、葉柱は暴れ出したりはしなかった。
代わりいじけたように腕の中でイヤイヤと身を捩って抜け出そうとするフリをしてる。
その割には力が入ってないから、本当にフリだけ。
「日曜日、デートする?」
「……なんで」
「プレゼント買ってやるよ。なにがいい?」
「……日曜日は、誕生日じゃねーもん」
あーぁ。
相当イジケテやがんな。
デートなんて滅多にやらない餌だから喜んで食いついてくるかと思ったのに、葉柱はぶすっとしたまま斜め下の方をみて怒ってる。
一応今まで、葉柱の誕生日を忘れたことはなかった。
別に覚えておかなくても、誕生日の一週間くらい前になると、コイツがそわそわしだして、なんかあったっけ? っと考えればすぐに誕生日に思い当るから。
今回は、なんでそうじゃなかったんだろうかと考えたてみる。
こんだけいじけるからには、コイツは誕生日をえらく楽しみにしてたはずで、多分例年通り盛大にそわそわしてたはずだ。
つまり、このところのオレは、そんな様子にも気が付かないほど、葉柱をないがしろにしてたワケだ。
葉柱は腕の中で拗ねてるけど、押しのけて離れたりはしてこないから、多分怒り加減でいったら7割くらいだ。
怒ってるけど、抱きしめたりキスされたりすると嬉しくて、離れたくはないんだろう。
「ベッド行く?」
首の後ろを撫でながら、甘い感じで問いかける。
こういうときの、葉柱の機嫌の直し方は簡単だ。
撫でてやって、キスしてやって、ベッドでたっぷり可愛がってやればいい。
「行かねー」
拗ねてる葉柱は、怒ったフリして顔を背けたりしてるけど、構って欲しいだけの可愛いワガママだ。
「なんで。いーだろ」
「いやだ」
ツンツンしてる葉柱の顔を捕まえて口にキスをすると、最初こそ嫌がるようなフリをしながらも、すぐに舌に吸い付いてきて離れなくなる。
なんて簡単なヤツだ。
「気持ちいことスル?」
「…………しねー」
口の中を探って、舌で散々遊ばせてやってからもう一度聞いてみると、まだ意地を張ってるようだ。
「ベッド行こーぜ」
「行かねーつったろ」
「なんで? テメェソファで寝んの?」
「……そぅ」
多少意地悪のつもりで聞いたら、思ったよりも葉柱の拗ね具合は直ってないらしく、白々しく口を尖らせてそんな返事をする。
「あっそ。じゃ、オレベッドで寝るから」
冷たく言ったら、多分まだオレが下手に出て機嫌をとってくることを期待してた葉柱が、ビックリしたような顔をしてる。
こっちが引いたら折れてくるかなと思ったのに、葉柱は目をうるうるさせながらもまだ元気に睨んできて、無言で抗議をしているようだ。
「風邪ひくなよ」
明らかに嫌味みたいなセリフを吐いて葉柱から離れると、それでも葉柱は黙ったまま手を離してソファにうつ伏せになって丸くなった。
本当ここで寝てやるよってアピールしてるらしい。
ま、いーけどな。
意地悪ついでに「おやすみ」と言って電気を消したら、当然のように無視された。
ベッドまで歩いていって、ベルトを外してジーパンを脱いで倒れこむ。
解放感とけだるさが一気にやってきて、かなり気持ちいい。
ソファの葉柱は動いてる気配はなくて、意地になってまだソファに臥せってるらしい。
どーせ無駄なのに。
4年も付き合ってたら、葉柱の扱いはもう完璧だと言っていいほど分かってる。
このまま放っておけば、5分くらいで寂しさに耐えられなくなった葉柱がメソメソと泣きだすだろう。
そしたらもう一回ソファに行って誘いをかける。
アイツは「うん」とは言わねーけど、「いや」とも言わなくなってて、キスしてやったらしがみついて離れなくなるから、そのまま抱っこしてベッドに連れてきて、甘い感じで抱いてやれば一発だ。
誕生日みたいなイベントのときは、アイツ燃えるタチだから、今日は結構激しいだろうなー。
そう思って瞬きをした次の瞬間、部屋の中が明るくなっててビックリした。
「あれ?」
電気はついてない。カーテンの隙間から、外の明かりが差し込んできてる。
まさかと思って枕元の目覚まし時計を見ると、AM7:00。
おいおい、朝じゃねーか。
あれ? オレ、今、一瞬目閉じただけだよな?
驚いて身体を起こすと、なんだか頭がスッキリしてる。
ヤバい。完全に寝てた。
ぐっすり朝まで快眠してた。
一応隣を確認してみるけど、やっぱり葉柱はいない。
まさかと思ってベッドを降りて、そーっとソファに近づいたら、夜に不貞腐れてソファに蹲った格好そのままの葉柱がそこにいた。
寝てる。
「………………」
これは、流石に、ちょっとまずいことをしたなと思う。
どうしようかと思ってそのまま立ってると、気配を察したのか葉柱がもぞもぞ動いて、何回か瞼を痙攣させたかと思うとゆっくり目を開ける。
最初、なんで自分がこんなことにいるのか分からないかのように視線をキョロキョロさせて、自分がソファで寝ていたことを不思議がってるようだ。
それから目が合うと、なんで自分がソファに寝てるのかと、昨日のことをスッカリ思い出したようで、無言ですっと立ち上がると、おはようも言わずにスタスタと洗面台の方に歩いていった。
これはまずい。
応急手当のタイミングを逃して、完全に拗らせたパターンだ。
どうしたもんかと、とりあえずソファに座って葉柱が戻ってくるのを待ってると、洗面所から出てきた葉柱は、ソファには来ないでキッチンに入る。
それからカチカチっとコンロの火をつける音がして、すぐにカレーの匂いが漂ってきた。
カレーの。…………カレー?
おいおいマジかよ。
冷や汗すらかきそうな気持ちで座ってると、カレー入った皿を持った葉柱が戻ってくる。
ただし、一皿だけ。
葉柱は無言のままぺたっと床に座ると、やっぱり無言のままそれを食べだす。
「…………オレのは?」
「ねーよ」
一応問いかけてみたら、視線も上げずにそんな返事。
ねーわけねーだろ。
カレーなんて、一皿分だけ作る料理でもあるまいし。
つーかもう、マジかよ。コイツ。
カレーとか作ってたわけ。
まだ同棲してないころ、冗談めかして葉柱にカレーを作らせたことがあった。
雑に野菜を切って、市販のルーで作っただけのなんの変哲もないカレー。
それを美味しいって褒めたら、碌に料理なんてしないくせに、カレーだけはたまに作るようになった。
なんかのイベントがあるときなんかは、特に。
例えば…………誕生日とか。
葉柱の皿のカレーは、鶏肉が入ってる。
オレが、それが好きだって言ったから。
コイツは昨日、誕生日だからって浮かれてカレーまで作って、うきうきしながらオレが返ってくるのを待ってたんだろう。
それが、待てど暮らせどオレは帰らず、ついに日付が変わったときには、どういう気持ちでいたんだろうか。
「………………」
悪魔と言われていようと、オレだって一応人の子なんだから、ここまでくると流石に良心が痛んでくる。
なにも言えずに葉柱を見てると、無言でひたすらスプーンを口に運ぶ動作だけを繰り返してた葉柱の動きがぴたっと止まって、急にぎゅーっと顔をしかめると、デカい目にすぐ涙が溜まってくる。
ここでいつもみたいに怒鳴って来れば、ごめんとでも謝ってどうにか取り繕おうと思ったのに、葉柱は大きく溜息をついただけで俯くように頭を項垂れる。
「…………おい」
「カレー、鍋にあるから、勝手に食えよ」
「………………」
2、3回深呼吸した葉柱は、それだけ言ってまた食事を再開させる。
取りつく島もねーな。
とりあえずキッチンに行って炊飯器を開けると、中でいっぱいご飯が炊けてる。
当然、昨日炊いたんだろうな。
数少ない調理器具の一つである鍋の中には、相変わらず雑に切られた野菜と大きい鶏肉がゴロっと入ってるカレー。
水が飲みたいな、と思ったけど、冷蔵庫を開けるのは躊躇われた。
この中には、ケーキが入ってる気がする。
怖くて見れねェ。
アイツはバカだから、自分の誕生日だっていうのに、自分用のケーキを平気で自分で用意してたりするはずだ。
ホールの、いかにもお誕生日ってケーキが、この中に多分入ってる。
鍋の中のカレーに次いでそんなものまで見たら、良心の呵責でオレは死ぬんじゃないかと思う。
冷蔵庫を視界に入れないようにしながらカレーをよそってリビングに戻ると、葉柱はまだ黙々とカレーを食べてる。
誕生日を忘れてたことはまだ良かった。
いや、良くはねーんだけど、そのくらいなら、全然取り返しがついたと思う。
問題なのは、なんでよりによって、昨日に限って遅くまで飲んで帰ったかってとこだ。
いつもの時間に家に帰ってりゃ、コイツはきっとウキウキしながらカレーを出してきて、なんでこんな浮かれてんだ? って疑問から、すぐに誕生日だってのには気付く。
別にプレゼントなんかなくても、おめでとうとか言って、一緒にケーキ食べて、ベッドで仲良くすればなんの問題もなかったのに。
いや、あともう一個あるな。ターニングポイントは。
コイツが拗ねてソファから動かないとき、ベッドに連れ込むまでもうチョイ粘ればよかった。
そうじゃなくても、あそこで寝なけりゃよかったんだよ。
完全に失敗はそれだ。
いやー、酒って怖ェわ。
多分、思ったより酔ってたんだな。
スムーズに事を進めるために多少葉柱を焦らしてやろうと思っただけなのに、一瞬で寝落ちした。
「なぁ、日曜日、どこ行く?」
「行かねー」
重たい空気をかいくぐるようにして笑顔を作ってみても、葉柱は顔も上げない。
「いーじゃん行こーぜ」
いつもデートしようぜって言ってくるのはテメェの方のくせに。
「今日2限からだろ。準備しなくていーのかよ」
お前、よく人のスケジュールまでそんなに把握してんな。
確かに、今日は2限から。
風呂にも入りてーし、そろそろ準備しねーとなーって時間だよ。
「風呂使うなら早く入れ。オレも使うから」
そういう言い方されたら、さっさと先に入るしかねーじゃん。
オレはテメェが今日何時に家を出るのかは知らねーけど、今日は水曜日だから、確かいつもオレより後に家を出てた気がする。
ただ、この状態で平然と大学へ行ってもいいものかちょっと迷う。
うきうきしながらカレーを作って待ってたのに、恋人は誕生日を忘れられて当日に帰ってこなかったあげく、ソファで寝かせられたことによって出来上がったのが、この今の葉柱だ。
無表情で機械的に腕を上下させてカレーを食ってる。
ちょっと不気味で怖い。
正直、こんな顔はいままで見たことが無い。
つまり、未だかつてない拗らせ方をしている。
「入らねーならオレ使うぞ」
「いや、うん」
空になった皿をさっさと下げながら言われる言葉にただただ従うしかなく、シャワーを浴びながら今後の行動について考えてみる。
講義くらいサボっていいから、今日一日一緒にいようぜって誘ってみるとか?
でも、部活があるんだよな。
部活は、サボれねーよな。多分、お互い。
そうするとやっぱり、2人揃って時間があるのは日曜日ってことになる。
考えがまとまらないまま風呂から上がると、声を掛ける間にさっさと葉柱が入れ代わりに風呂へと入る。
もう、考えたってしょうがねーか。
時間が解決してくれないかなーと無責任なことを思いながら、葉柱を置いて家を出た。
結構反省したつもりでいたし、悪いコトしたなと思ってたのに、家に帰って葉柱を見て初めて、そういえば拗らせたままだったと思い出す自分のいい加減さにはちょっと呆れた。
ソファに座ってテレビを見てる葉柱は、怒ったような顔はしてないけど、隣に座ってもニコリともしない。
葉柱は、怒りをいつまでも継続してるタイプじゃない。
怒っても、その場でばーっと発散して、その後にぐちぐち言ったりしない。
だから多分、今葉柱が引きずってるのは、怒りじゃなくて悲しみの方なんだと思う。
忘れてた罪悪感がまたむくむくと胸の内に湧いてきて、葉柱の機嫌に気を付けながら肩に手を回してみる。
怒らないし、逃げない。
だからといって、身体を預けてくるわけでもない。
つまり、昨日の夜みたいに、構って欲しくて嫌がるフリをする気すら、今はないわけだ。
「どこ行きてーか決まった?」
キスかデートかセックスで葉柱の機嫌は直るはずだから、朝にはあっさり切って捨てられた日曜デートの話をまた蒸し返す。
「行かねーつったろ」
「買い物行く? 好きなモン買ってやるよ」
葉柱はテレビから視線を逸らさないけど、よしよしと頭を撫でて髪にキスをする。
「なにがいい?」
「…………ロレックスのデイトナ」
…………この野郎。
それ、確か100万くらい余裕でする時計だろ。
場合によっちゃ、300万もくだらないくらい。
「じゃ、それ買ってやる」
「…………っ! 冗談に決まってんだろ!」
アッサリ言ったら、能面みたいだった葉柱の顔が、やっと焦ったような怒ったような表情を浮かべる。
気持ちは沈んでるけど、多少心をグラつかせるくらいの効果はあったらしい。
ここでもうひと押し、更に心を揺さぶるような言葉をかけてやれば、それがコロンと転がって機嫌を直すかもしれない。
ソファに片膝を乗せるようにして葉柱を抱き寄せたら、さっきと違って緊張で身体を硬くしてる。
中々いい感じだ。
「好きだぜ、葉柱」
滅多に言わない言葉を言ってやれば、コイツはあっという間に陥落するだろうと思ったのに、雰囲気を出しながら耳元で言った言葉にも、葉柱はなんだかよく分からない、微妙な表情を浮かべた。
テメェ、このオレにこんなことまで言わせといて、まさかまだ拗ね続ける気じゃねーだろうな。
「……オレ、風呂入る」
しかも、さっと目を伏せて、止める間もなく腕から抜け出すとあっさり脱衣所に向かって歩く。
あの野郎、信じらんねェ。
オレに奥の手まで使わせといて、そんな態度あるか?
なんか、昔に比べて可愛げがなくなったんじゃねーの?
風呂から上がったら上がったで、ぼそぼそと「先に寝るから」とか言って、さっさと布団に入る。
しょうがないのでそれを追いかけてベッドに入れば、葉柱は反対の方を向いて寝転がってて、腰に手を回してみても振り向きやしない。
「なぁ」
セックスしようぜって意味を込めて、後ろから抱き着いて腰を押し付けてみる。
「やめろよ」
「なんで」
「……腹痛ェから、ムリ」
「………………」
正直、一発ヤっちまえば、コイツの機嫌をあっという間に直せる自信がある。
葉柱が言う腹痛なんて多分嘘だと思うし、でもだからといって、体調不良を訴える恋人にそんなの関係あるかって襲いかかるのも、そりゃどうかと思うよな。
しかも、今のところオレは、誕生日を忘れてすっぽかしたあげく、ソファで寝かせた最低の恋人ってことになってるし。
「ハバシラ」
後ろから抱き着いたまま髪にキスしてみたけど、それっきり葉柱の反応はない。
寝たのか、寝たフリをしてるのか、多分後者だとは思うけど。
まったくいつまで拗ねてんだよ。
オレ、そんな酷いことしたか?
いや、酷ェことはしたけど、そこまで引きずるようなことか?
だいたい、オレが冷てェのなんて昔からだし、そんなのテメェも知ってたことだろ。
多少放っておいても、要所要所で押さえておけば、コイツは満足してるようだった。
まぁ、その「要所」ってのが、つい先日忘れきってた誕生日だったりするわけだけど。
ここはやっぱり、多少強引でも今機嫌をとっておいた方がいいだろうなと思って、葉柱の肩をつかんで仰向けにして、そのまま上に覆いかぶさった。
腹が痛くても、キスくらいなら出来るだろうと顔を捕まえて口を重ねると、手を突っ張って離れようとするのを許さずにしつこく口の中を犯す。
頭を捕まえたままずっとそうして、くんくんと捨て犬のように葉柱が鳴くようになったころには、葉柱の手がすっかり腰にまわって抱き着いてくるようになる。
一応、腹痛に配慮するようなフリでケツには手を伸ばさずにキスを繰り返して、ようやっと懐いて胸に縋ってくる葉柱の背中をそーっと撫でた。
「デートする?」
「………………」
答えねェけど、手ごたえはあったな。
多分、明日の朝には機嫌が直ってるだろう。
翌朝、先に起きてた葉柱は、思った通り機嫌を直したようで、多少怒ったような照れたような顔をしながら、せかせかとパンを焼いてた。
オレの分も用意して、はいっとばかりにマーガリンを差し出す。
「あのな、明日、映画がいい……」
明日は日曜だから、どうやらデートに行く気になったらしい。
「うん」
返事をして頭を撫でると、にまにまと見慣れた顔で笑う。
その顔を見て、真っ先に今日はセックス出来るなと思った。
我ながらゲスくてビックリした。
「おい、明日王城が練習試合するって」
そういう声を聞いたのは、部活も終わって早く帰ろうと準備をしてるところ。
「あ? 聞いてねーぞそんな話」
王城大は高校と一緒で、練習試合は部外者立ち入り禁止の敷地内、しかも高い塀で囲まれた中極秘で行われたりしてる。
だからまぁ、練習試合があったからって、スパイできるワケでもねーんだけど。
「遠征だって。山梨。多分試合見れるぜ」
マジで?
王城大は、OBか王城高校と試合することが多くて、同じ都内の他校と交流することはほどんどない。
秘密主義ゆえにわざわざ極秘にことを進めて、山梨くんだりまで行ってこようってことだろうか。
「おい、1年でビデオ班組め」
ホームの大学と違って、山梨にまで隔離されたフィールドなんてないだろう。
撮りたい放題調べたい放題じゃねーか。
「オレも行くから」
偵察メンバーやら山梨までの交通手段を調べて忙しくメモするマネージャーにそう伝える。
いやいや。覚えてはいるよ。
葉柱のことだって。当然。
やっと機嫌を直した葉柱のことは気になるけど、天秤の片方にアメフトボールが乗っかれば、それは簡単に傾いた。
まぁ、大丈夫だろ。
ことアメフトに関しては、アイツだって結構寛大だ。
映画なら、来週だってかまわないし。
「なぁ、明日映画、2時からのでいーか?」
家に帰って葉柱にそう話を振られて、やっぱり来たかと身構える。
今度は誕生日と違って、忘れてたりなんかしねーよ。
ただ、ちょっと急に、大事な用事が入っただけで。
ソファで隣に座りながら、葉柱がペラペラ雑誌を捲って「これがなー」とか目当ての映画の宣伝記事を指さしてる。
とりあえず肩に手を回すと、ちょっと照れたような顔をして、キスされるのを待ってる。
要望通りにキスをして、頭を撫でるとごろごろと胸に懐いてくる。
「それさぁ」
「ん?」
言いにくくても言わなきゃしょーがねーし、思い切って口を開くと、明日のデートをまったく疑わない様子の葉柱が笑って顔をあげるから、一瞬怯んだ。
「それ、来週にしねェ?」
「………………」
一息でそれだけ言って、気まずすぎて咄嗟に葉柱から視線を逸らす。
だって、これはつまり要約すれば、誕生日をすっぽかしたお詫びのデートを、さらにすっぽかすけどいいですか? って話だ。
「…………そっか」
怒って怒鳴るか、めそめそといじけるかのドッチかと思った葉柱からの返事は、ビックリする程普通の声だった。
驚いて顔を見ると、怒っても泣いてもない、なんか平然とした顔をしてる。
これは、別にどうってことなかったと思っていいんだろうか。
「じゃぁ、いいや」
「来週でいい?」
「いや、いい。もういい」
そんなわけねーか。やっぱ怒ってるよな。
「実は明日……」
「王城だろ。知ってる。うちも1年がビデオ撮り行くし」
なんだよ。
知ってんなら、そんな怒ることねーだろ。
門外不出の王城の練習試合だぞ。こんなチャンス滅多にねーってことくらい、テメェだって分かんだろ。
「一緒に行く?」
「行かねー。テメェとオレが一緒に行ったら、変だろ」
そりゃそうだけど。
どう考えても、同じ大学のヤツらといないのは不自然だ。
「オレ、やっぱ体調悪い。寝るから」
淡々と言いながら葉柱は離れて、ぺたぺたとベッドに向かってすぐに横になる。
昨日と同じようにそれを追いかけてベッドに入れば、やっぱり葉柱は反対の方を向いて身体を丸くしてた。
これはもうどうしたものかと思ってぼんやりその後ろ頭を眺めて、それから急にその後ろ頭を、最近はいつも見てることを思い出した。
最近寝るときは、だいたいコイツはこうして向こうを向いていた気がする。
葉柱がどっちを向いてるかなんて気にしたことなかったけど、最近はずっと、寝るときに見るのはこの後ろ頭ばかりだった。
誕生日の失態ばかり気にしてたけど、問題はもっと根深いのかもしれない。
このところ特に忙しくて、遅く帰ってはパソコンに向かいっきりだった。
オレが集中したいとき、コイツは邪魔にならないようにいつも静かで、コイツが何をしてようが先に寝てようが、まったく気にもとめてなかった。
そういう状況で葉柱はふつふつと不満を溜めつつ、それでも誕生日に期待して、心のよりどころにしてたのかもしれない。
それが台無しになってくしゃくしゃになった心を、強引に開かせて、今また握りつぶしたようなものだ。
「こっち向けよ」
肩を掴むと、力を入れて振り向かないように抵抗してる。
「こっち向けって」
抵抗するってことはまだ寝てねェってことだなと思って、今度はもっと強引に肩を掴んでひっくり返して驚いた。
「………………」
葉柱が、音もなくはらはらと涙をこぼして泣いてたから。
「おい」
咄嗟に顔に手を伸ばすと、それより前に葉柱がさっと手で顔を覆う。
「………………」
くそー。
なんだよコイツ。
女々しいことしてんじゃねーよ。
もしかして、今までもオレが知らないうちに、そうやって泣いてたことがあったのかよ。
ベッドの上で葉柱を泣かせることなんて、半ば趣味みたいになってるようなものだったけど、流石にこれにはちょっと心が痛んだ。
ていうか、テメェそんなキャラじゃねーだろ。
不満があるなら、いつもみてェにぎゃーぎゃー騒いで文句言って来りゃいいのに。
「ごめんって……」
顔を覆う手の上からキスをしたら、葉柱がひくひくと喉を震わせて嗚咽を漏らしてる。
「ごめん」
もう一度言って抱き寄せたら、ようやっと葉柱が胸に懐いて来たので、そのままよしよしと頭を撫でた。
正直、ヤリたくて堪らなくなったけど、流石にそんな雰囲気じゃねーなと思って我慢して、しくしくと泣いてる葉柱を撫でる。
「明日、夕方には帰ってくるから」
山梨まで、車で2時間弱。
試合は昼からだから、ちょくちょく時計が止まっても、せいぜい3時か4時には終わるだろう。
本当は、王城には心当たりのあるバカが数人いるから、試合の後にちょっとちょっかいをかけて情報を探ったりもしたかったけど、それは止めにして急いで戻って来れば、映画だって行けるし、メシ食ってデートするのになんの問題もない。
バカへの偵察は、別に明日じゃなくていい。
明日山梨には行かないからとまでは言えない自分を酷いと思うような気もするけど、これだけはしょうがない。
「いい」
「なんで。メシ食って、レイトショーでいいだろ」
「いい」
胸には縋ってくるものの、葉柱の態度は頑なだ。
「どうせテメェ、楽しくなって帰って来ねェもん」
「………………」
まぁ、的を射た意見と言えるな。
「そんなことねーよ」
我ながらリアリティーのない言葉だと思う。
自分でさえそうなんだから、言われた葉柱がそんなセリフ信じないってのも当然だ。
「オレ、家出ようかな…………」
「あ?」
泣いてるけど、甘えるように腕の中に収まってるのでまだ安心してたのに、急にそんなことを言いだした葉柱にドキっとする。
家を出るって、この家を?
どういうことだよ。
それってつまり。
「……別れてーの?」
「違ェけど、別にオレ、この家に居る意味ねーじゃん。お前、オレが居ても無視するし」
「無視はしてねーだろ」
言葉では否定しながらも、正直本音のところでは、否定しきれない思いもある。
アメフトに関する作業があれば夢中になったし、メシさえパソコンの前で食って、コイツが居ても居なくても変わらないって言い分も分かる。
でも、それってテメェだって気ィ利かせて大人しくしてたからで、双方納得の上でのことじゃねーの?
「たまに会うだけのときの方が良かった」
「………………」
大学に入ってから極端に葉柱と会うことは減って、お互いの都合も簡単につかなくなった。
特に入学当初は生活パターンが変わってお互いバタバタしてたし、一ヶ月に一回会えばいい方なくらい。
それが寂しくて堪らなくなったのは、実はオレの方。
自分でも驚いた。根を上げるなら葉柱の方が先だと思ってたから。
だから生活が一段落したところで、渋る葉柱を強引にこの家に連れ込んで住まわせた。
帰ってきたら葉柱が居て、構いたいときにいつでも構えたし、触りたいときにいつでも触れた。
そういうのを死ぬほど幸せだと感じてたのは、蜜月と呼べる最初の方だけで、最近は慣れて麻痺した感は否めない。
平気で葉柱の存在を無視したし、気が付きゃ全然会えなかった時期よりも、よっぽど放っておいてる。
「ダメ。行かせねー」
「…………」
それでも、今葉柱が家を出るなんて言葉を聞いたら、スっと心臓が冷えるような思いになった。
こんだけ蔑ろにしてたくせに、帰っても葉柱が居ない生活なんて、今はもう考えられない。
「好きだぜ葉柱。知ってんだろ?」
「………………」
俯いたまま答えない葉柱の腰を撫でて、そのまま腿まで滑らせる。
葉柱が怒らないので、少し上に手を向かわせてケツも撫でる。
これを手放すなんて堪らない。
今すぐヤりたい。
「お前、オレの機嫌とるときだけ、そういうことすんの止めろよ」
葉柱のセリフには、まるでスパっとナイフで身体を切られたような痛みがあった。
だって、否定できない。
甘い言葉を吐いて抱いてやれば、コイツが大人しくなって機嫌を直すと思ってた。
酷い話、面倒臭ェときの手っ取り早い手段だとさえ思ってる。
セックスするのは、単純にヤリたいときってのもあるけど、そう言われりゃ最近はご機嫌伺いの手段に使ってるのが多い。
今でさえ、このまま抱いてやったら、多分葉柱は機嫌を直すと思ってる。
ベッドの上で泣くまで苛めてやって、何回もオレのことが好きだって言わせる。
死ぬほど焦らしてやったら、コイツは甘えた声で「なんでもするから」って言うだろう。
そうなりゃなんでも命令できる。家を出て行かせないのだって簡単だ。
そういう手段ばっかりとってきたから、葉柱の心はここまで荒んでるっていうのに。
「………………」
万能だし万全で、最善の手段だと思ってたことを封じられたら、驚いたことに次に掛ける言葉を失った。
つまりオレは、だいたいいつもそうやって葉柱に接してきた。
そんなことねーよ。ホントにテメェが好き。
これは心からの本心だけど、今言っても多分無意味だろう。
葉柱は何も話さなくなって、身体からは力が抜けてる。
顔を見れなくて、黙ったまま腕の中の頭を撫でた。
結局そのまま何も話さず2人で寝て、翌朝まだ葉柱が寝てるなかベッドから抜け出す。
それでも山梨まで行くオレのこと、コイツはどう思うんだろうな。
もしかしたら、帰ってきたらもう家には居ないかもなんて思ったけど、多分大丈夫だろう。
昨日の夜も、出て行こうかな? と言っただけで、ハッキリと出て行くとは明言しなかった。
同棲解消するなら、多分コイツはそういうとこちゃんと明確させてからにするやつだと思う。
家を出る前に一回寝顔を見に戻って、キスでもしようかと思ったけど、なんだかそんな権利は自分にないような気がして、結局なにもしないで家を出た。
「ただいま」
多分、9割は大丈夫だと思っていても、外から家の電気が付いてるのを確認したときには安堵の溜息が出たし、中に入って葉柱がちゃんといつものソファに座ってるのをみて更に安心した。
まぁ、もしかしたら、こっから同棲解消についての話し合いが行われるのかも知れねーけど。
「おかえり。早かったな」
葉柱は、ギリギリ嫌味に聞こえるか聞こえないかくらいの感じでそんなことを言って、昨日の夜にあんなに泣いてたとは思えない程普通の態度で出迎えてきた。
もしかしたら、昨日のことは、なかったことにしようぜってことなのかもしれない。
「これ」
すぐに出て行くからなんて話し出さない葉柱にまた安心して、それから今日一日で、苦労して手に入れたそれを葉柱に向かって放り投げた。
「あ? なんだよ」
「プレゼント」
小さい箱を受け取った葉柱は、「別にもういいのに」とか言いながらちょっと笑ってる。
その態度があんまり普通すぎて、また胸が痛い。
コイツは、今までの不満やら、昨日のことやら、また一人で心の奥に閉じ込めて、忘れるようにしまっておく気らしいから。
こんなんで罪滅ぼしになるとは思ってないけど、包装を剥がす葉柱をちょっと緊張するような気持ちで見る。
箱を開けた葉柱が、死ぬほどビックリしたような顔をしたのを見て、ちょっとだけ満足感を覚えた。
中身は、葉柱が拗ねて強請ったデイトナ。
「……ば、ばっか! テメェ、冗談だって言ったろ!」
知ってるよ。
でもそれ、テメェが欲しがってヤツだろ。
ネットで見て、口半開きにしながらいーなーとか言ってたの、そのモデルだろ。
テメェがパソコン弄ってるの珍しかったし、顔があまりにもアホみてェだったから、覚えてる。
「もー! バカかよ! これ……マジかよ……」
大学生の身分じゃ不相応すぎて、本気で手に入れるつもりは無かったことだって当然知ってる。
でも、持ってて悪い気のするもんでもねーだろ。
葉柱は「バカか」「バカか」と繰り返しながらも、キラキラした目で時計を見てる。
触るのも恐れ多いのか、箱を傾けて覗き込んだりしてる姿がアホみたいだ。
まぁ、そんだけ喜んでもらえりゃ幸いだよ。
急に手に入れるのに、定価ってなんだっけ? ってくらい使ったんだから。
ただ、それは所詮前座だから、あんまり喜ばれ過ぎても困るんだけどな。
「ホントに、冗談だったのに……」
「知ってる。ホントはコッチ」
まだ驚きが抜けきってない葉柱に、本命のプレゼントも投げ渡した。
あぁ、別に心配しなくても、そっちの時計もオマケでやるから。
これも、見た目はただの小さい箱で、それを受け取った葉柱は、まず恐々と時計をテーブルの上に置いた。
オレとしちゃ、本命の方こそ、そんくらい丁寧に扱って欲しいもんなんだけどな。
興奮で顔を上気させてる葉柱が、今度は何が出てくるのかとビクビクしながら包装を開いて箱を開ける。
「…………」
中に入ってるケースの形状を見て、多分中身を察した葉柱が息を飲む。
そのままいつまで経ってもケースを開けないので、隣に座ってそれを取り上げて、蓋を跳ねあげて中身を取り出した。
それから中身を、指輪を取り出して、固まってる葉柱の手を取って左手の、もちろん薬指にはめる。
「お前……これ……これ…………」
「結婚指輪」
あわあわ言ってる葉柱に、自分の左手にもはまってる同じ指輪を、ひらひらと手を振って見せる。
「な……なん…………お前…………」
値段で言ったらデイトナの方がよっぽど高かったけど、葉柱はそれ以上に驚いてふわふわとアホみたいな声を出してる。
「結婚して」
葉柱の手をとって、今はめた薬指の指輪にちゅっとキスをしたら、急激に葉柱の顔が赤くなって、コイツもう頭が爆発でもするんじゃないだろうか。
「お、お、男同士は、結婚、は、できねーんだよ……」
そんなこと、テメェに言われるまでもなく知ってるよ。
「テメェがうんって言や、それでいい」
多分、喜んでるんだとは思うんだけどどうだろう。
試しに抱きしめてみると、まだ固まったまま動かない。
「オレと結婚してどうすんだよ……」
どうするって、一緒に住んでるのは前からだし、戸籍だのに拘ってるわけでもねーから、変わりないといえば変わりないけど、まぁ、強いて言うなら。
「大事にする」
「………………」
「愛してる。葉柱。結婚しろよ」
これは、言うか言うまいか、最後まで迷った。
だって「愛」だのなんだのって、どの口がほざくんだって話だ。
痒いにも程がある。
それでも、「好きだぜ」ってセリフは、例の使い方ですっかり地位を落としてたし、一生に一回、最初で最後だと思えば、言ってやれないことはない。
そうやって思い切ったけど、コイツは相変わらず固まったまま答えねェし、恥ずかしさと後悔が、怒涛のように押し寄せてくる。
勘弁してくれよ。
いい加減衝撃から立ち直って、そろそろなんとか言って欲しいんだけど。
「で、でも…………」
「なに?」
「でも……」
「うん」
葉柱は今度はでもでもとアホみたいに繰り返して、5回目くらいでは喉が震えて声にならないようになってた。
あーぁ。また泣いてるよ。
それは、嬉し涙の方だと思っていいわけ?
「結婚する?」
「………………うん」
喉の奥でひいひい言いながら、葉柱がやっと了承の返事をした。
ここはキスする場面かな? と思ったけど、それより先に葉柱が身体に抱き着いてきて離れなくなる。
首元に齧りつくようにして離れない頭を撫でると、一層激しく嗚咽を漏らして、過呼吸でも起こすんじゃないかと思うくらい。
「こ……」
「ん?」
「今度誕生日忘れたら、離婚する……」
泣きじゃくってるくせに、生意気言ってんじゃねーよ。
「結婚記念日も覚えとく」
こんだけ誕生日と近けりゃ、一緒に済ましてもいいくらいだけど、ちゃんど別々にしてやるから。
「だ、だいたい、お前、普通こういうときって、婚約指輪だろ、結婚指輪って、気が早ェよ」
「そーなの?」
嗚咽の収まってきた葉柱は、多分泣きじゃくったことでバツが悪くなったんだろう、今度は照れ隠しに文句を並べたりする。
「そう。普通そう」
「給料三ヶ月分の?」
「そう。それ」
「じゃ、1000万くらいかな。それも買ってやるよ」
給料ってわけじゃねーけど。
年収を12で割ったら、それくらいじゃねーの?
「…………お前、なんかアクドイことしてる?」
「聞きてーの?」
「………………いや、いい」
そりゃ、懸命な判断だ。
そんで、こういうときにこんなコト言うのもなんだけど、オレ今死ぬほどヤリてーんだけど。
「…………ベッド行く?」
誕生日のときには断られた誘いを、またかけてみる。
「うん」
そんなことは無いと思うけど、一応もしここでも断られたらどうすっかなと思いながらかけた言葉に、葉柱はあっさり頷いた。
お姫様抱っこでベッドまで連れてきゃ気分が出るだろうと思ったのに、照れた葉柱がそれだけは嫌だとあまりにも必死に抵抗するので、大人しく手を繋いでベッドに向かう。
座らせてからそーっと押し倒して顔を覗くと、当然目があうと思ってたのに、葉柱が全然こっちを見るそぶりも見せないからなんだと思ったら、自分の指にはまった指輪をしげしげと眺めて、たまに右手で確かめるように触ったりしてる。
悪ィけど、お前が結婚したのはその指輪じゃなくて、オレの方のはずなんだけど。
「ルイ」
これは、呼ぼうって決めてた。
「愛してる」よりはよっぽど緊張しねーなと思って口に出すと、葉柱がビックリした顔でやっとこっちを見る。
「ば……っ! な、なに言ってんだよ」
ば? テメェ、今「ばか」って言いかけなかったか?
「なんで。だって結婚したら、もう葉柱じゃねーじゃん」
蛭魔ルイ。まぁ、割とイイ感じなんじゃねーの?
葉柱ルイっていう、ある意味奇跡的なテメェの名前が変わっちまうのは多少残念かもしんねーけど。
ここはコイツも名前を呼び返してくるところだろうと思って、髪を撫でながら呼ばれるのを待つ。
どうせ照れまくってすぐには呼べないだろうから、テメェの気持ちが落ち着くまで待ってやってもいい。
思った通り、葉柱は身体の下でもじもじして、そわそわと落ち着きなく身体を捩ったりしてる。
別にいくらでも待ってられるつもりだったけど、照れたようだった葉柱の顔が、だんだん困ったような顔になっていくのを見て、あれ? っと思う。
「………………」
おいテメェまさか。
「テメェ、オレの名前……」
「違う! 違う! ちょっと、ど忘れしただけで! ココまで出てる! もうココまで出てるからっ!」
フザケんなよこの野郎。コロスぞ。
まさか、4年付き合ってる恋人の名前を知らねェほど薄情なヤツだとは思わなかった。
「だって! テメェの名前って聞いたことねーし! 誰もテメェのこと名前で呼んでるヤツいねーし!」
明らかに焦った葉柱が、まったくフォローにならない言い訳を並べてる。
コイツ、本気で信じらんねー。
そりゃ、フルネームで自己紹介したことなんかなかったけどよ。
普通忘れるか?
テメェの頭の中身はどうなってんだよ。
今度は「ヒントヒント!」とかバカみたいなことを言って騒いでる葉柱を無視して、左手首をガッチリ捕まえた。
「あっ!」
気付いた葉柱が指を握りしめるより前に、ついさっき薬指に嵌めた指輪を抜き取る。
「あー! あーっ!」
「うるせー。もう結婚しねー」
「うあぁああ、オレの、オレの!」
返して返してと慌てる葉柱は、さっきと違った意味でまた号泣してる。
取った指輪を取り返されないように右手で握りしめると、葉柱が指をこじ開けようとして齧りついてくる。
「オレの、返して……うう、ヒル魔、結婚する! 結婚するっ!」
「もうしてやんねー」
身体を起こしてベッドに座ると、葉柱がまだ右手に縋りついて、土下座するようなポーズでベッドに這いつくばってる。
こいつはもう、ホントどうなってんだよ。
「そこに座れ」
右手を引っ張って葉柱から離して命令したら、まだオレのオレのと泣いてる葉柱は鼻をグズグズ言わせながらベッドの上に正座する。
「ううぅ、結婚する……ひるま…………」
子供みたいに泣いてる葉柱は、ションボリして膝の上で手を握りしめてるけど、視線はまだガッチリとオレの右手を凝視していて、まさに獲物を狙うカメレオンさながらだ。
「おい」
呼びかけると、やっと顔をこっちに向けて視線が合う。
「オレの名前は?」
そのくせこの問いには、すぐにサっと横に視線を逸らせた。
「妖一」
「し、知ってるし……今、言おうと思ってた…………」
あからさまな嘘ついてんじゃねーぞこの野郎。
ケーキを盗み食いした子供が、口の端に生クリームつけながら「ケーキ? 知らないよ?」とか言ってるのと同レベルだ。
「あの…………」
葉柱が、こっちの顔色をチラチラ盗み見ながら、またそーっと右手に手を伸ばそうとしてくる。
「いーから大人しく座ってろ」
「…………」
くそー。
別に、コイツがバカなんてのは知ってたし、今更そんなことでどうこう思ったりしねェけど、ここまで盛り上がってたところにこの仕打ちじゃ、いくらなんでも腹の虫が収まらねーだろ。
つーか、そもそもオレがテメェの誕生日を忘れたのが、事の発端だったんじゃねーの?
それが、テメェは誕生日どころか名前も忘れてんだから、酷いのはドッチだって話だろ。
「そんなに結婚してーの?」
「…………うん。する。………………よーいちと」
とってつけたように呼んでんじゃねェ。
「どーしよーかな」
自分の指に嵌まった指輪を見ながら冷たく言ったら、葉柱が焦って顔色をなくしてる。
「テメェ可愛くねーし」
「だ、大丈夫。可愛くする。これからは」
なにが「大丈夫」だ。
だいたい、いつもは「可愛い」って言ったら、もっと照れたり怒ったりしてなかったか?
もう結婚のためには恥も外聞もねェって感じだな。
「ほー。じゃぁ、もう二度とオレに可愛くねー態度はとらねーな?」
「うん。うん」
「オレがヤラせろって言ったときには断らねーな?」
「うん。だから」
「オレより先に寝ねーな? オレより後にも起きねーな?」
確かなんか、こういう歌があったと思うけど、続きはなんだっけ。
とりあえず何を言っても、葉柱は「うん」「うん」と必死に頷いて、ちゃんと聞いてますよってのをアピールするように上目使いで顔を見てきては、たまに堪えきれずにチラっと右手を盗み見てる。
「誕生日忘れても文句言わねーな?」
「うん」
「結婚記念日も覚えとかねーからな?」
「うん」
その場のノリと勢いでした約束であっても、コイツは自分で口にしたからには必ず守るだろう。
この指輪一個を餌に、思いつく限りの約束をとりつけておけば、今後一生安泰だ。
「ううぅー…………」
他に、なんかいい条件はあるかなーと思案にくれると、ちょっと黙ったことで葉柱は急激に不安になったのか、またガバっと土下座するように顔を伏せると、右手に縋りついてきた。
「うぅ、結婚する……するって言ったのに、オレの……うぁあああ、オレの、オレの」
まったくしょーがねーなと思って頭を撫でて身体を起こさせると、葉柱の顔はちょっとヒくくらいぐしゃぐしゃになってた。
お前なぁ。
多少空気ってもんを考えろ。
仮にもプロポーズの瞬間だってのに、鼻水垂らして泣いてんじゃねーよ。
それでもそういう顔を見たら、そういや昔は、こんくらい酷ェ泣き顔、たまに見てたことを思い出した。
ヤキモチ妬いたり寂しがったりで、こうやって子供みたいに泣いてたことがよくあった気がする。
最近は拗ねたりこそしても、ここまで素直に要求を伝えてくることって、そういえばなかった。
4年も付き合ってたんだから、そりゃ、大人になったってのもあるだろう。
いつまでも、そんなガキみたいに泣いてたんじゃしょうがねーし。
まぁ、高校の時点でも、相当どうかと思う仕草ではあるけど。
でも多分コイツは、大人になったとか落ち着いたってよりは、色々あきらめて、そうなったんだろうな。
泣き喚いてもオレは冷てェばっかりだったし、口先だけで適当に甘いこと言ってはすぐ忘れたりしてたから。
無視されたり裏切られたりしてるうちに、もうずーっと泣き疲れて、ワガママも言わなけりゃ、家でもただただ大人しく静かに一人で待ってるようになったんだろう。
本当にこれからは、大事にしてやるつもりがあるよ。
結婚なんて、そりゃただの口約束なだけだけど、指輪だって、本気で覚悟決めて買ってきたんだからな。
アメフトのことは、そりゃしょうがねーけど、誕生日だけ手っ取り早くセックスするだけなんてやめて、ちゃんとするから。
だから、これからはまた、ちょっとくれェそうやって泣いたっていい。
まぁ本当は、泣かせないようにするのが一番なんだろうけど、多分ムリだろうから。
それでも我慢しないでそうやって泣いてりゃ、今度からはもっとちゃんとしてやる。
「ルイ。手」
左手を差し出すと、葉柱が不安そうな顔をしたまま、おずおずとその上に左手を重ねてくる。
その指に、右手で持ってた指輪を、またそーっと嵌めた。
葉柱は、また取られてはかなわないとでも言うように、すぐにぎゅっと指を握りしめて手を自分の胸まで引く。
「うぅ、け、結婚する……?」
「おー」
既に雰囲気作ることには疲れてて、ぞんざいな返事を返しただけなのに、涙でベタベタな顔をした葉柱は、それでも死ぬほど幸せそうに笑った。
「…………」
その顔を見たら、色々条件をつけてみたけど、結局尻に敷かれるのはオレの方なんじゃねーかなんて嫌な予感がしたけど、もうどうしようもねーか。
既に葉柱は絶対指輪が抜けないようにぎゅーっと手を握りしめて、それを更に右手で覆ってる。
そこからもう一度指輪を抜き取る隙は、一生ありそうにねーし。
'13.07.28