※このお話は、以前の小説と同じ設定の後日談になります。
 お話はそれぞれ完結していますが、よろしければそちらからご覧ください。
 →ヒルルイと上下関係 →ヒルルイと上下関係2 →ヒルルイと上下関係3

ヒルルイの上下関係4




玄関で、ドアがガチャガチャいってる。
ガチャガチャさせてるのは多分ヒル魔なんだろうけど、鍵を開けてノブを回すだけの作業にしてはやたらと長い時間その音は続いて、それだけでやっぱりアイツ酔ってんなってのが分かった。

ドアまでは行かずに、ダイニングの椅子に座って待つ。
テーブルの上には、二人分の食事が乗ったまま。

別にどうってことないただの手抜き料理というか、まぁ殆ど買ってきたものを並べただけのようなものだけど、一応食事を用意してある。
自分の分にも、手をつけてない。

時間でいったら、もう12時を回ってる。
そんなんだから、そりゃどっかでメシ食って飲んできてんだろうなとは思ったよ。

帰ってきて食事を用意して、いつもだったらヒル魔が返ってくる時間を1時間過ぎたあたりで、あれって思った。
あれっというか、またかと思った。
最近飲んで帰ってくることが多くて、また今日もかと。

それでも、何か雑務が長引いてるだけで、もうちょっとで帰るかも、今帰ってくるかもとじりじり待ってたらこの時間だ。
まぁ、11時あたりでは完全に諦めてたけどな。
ただもぅそこまでくると、意地になってあて付けのように食事にも手をつけなかった。
空腹もピークを過ぎて、腹が減ってるんだかどうだかも分からない。

ガチャガチャ音は延々と続いて、このままだったらアイツは一生あそこでノブと戦ってんじゃないだろうかと思い始めたころ、やっとドアの開く音がする。
それから乱雑に靴を脱いでる音も聞こえてきた。
ヒル魔が鍵を無事に開けることに成功したのか、激闘の末ノブをブチ壊したのかしらないけど、ご機嫌な足取りがぺったりぺったりと近づいてきてる。

旦那様のご帰還だ。

「よ〜、ただいま」

2人用のダイニングテーブルは、オレの座る席は部屋に入ったとき背を向ける位置になってる。
あからさまに不機嫌なオーラを出しているつもりだったけど、ヒル魔はそれに気づかないのか、気づいても無視しているのか、呑気な声でそう言って、ぺたっと背中から抱き着いてきた。

「………………」

後頭部に、コツっと額があてられてる。
やっぱり相当酒臭い。

「テメェ、飲んでくるとき連絡しろつったろ」

無言の抗議なんてどうせ酔っ払いになんかは通用しそうになかったら、思いっきり厭味ったらしい口調になるように顔も見ないで言い捨てる。

だってそうだろ。
別に飲みに行くなとは言わねーよ。
ただこっちはわざわざ食事用意して待ってるんだから、そうなる前に、今日は遅くなるからメシいらねーくらいの一言の連絡が、なんで出来ねーんだよ。

「あ〜?」
「メシの準備無駄になんだろ」
「明日食うって」
「そうじゃなくて、オレも食わないで待ってんの! テメェが連絡したら先に食ってられるだろ!」
「あ〜」

こんなこと言うのも、もう何度目だ。

だいたいそのときだけは「わかったわかった」とか適当なこと言うくせに、それが守られたことなんて一度もない。
だったらもうコイツが帰って来ようと帰るまいと、夕食を一緒に取ろうとすること自体やめちまおうかななんてことも思う。
だけど、一緒に暮らしててそれっていうのは、なんだか味気なくて嫌だ。

ヒル魔は何を思ってるのかこっちの頭をわしわし撫でてきたりしてる。
それを無視してずっと俯いていたら、ヒル魔は背中から離れてよたよた歩いてソファにどっかり座る。

「聞いてんのかよ!」
「うるせーよ、分かったって」
「この前もそう言っただろ!」
「あー、うるせーうるせー」

帰宅直後は飲みの余韻でご機嫌だったヒル魔は一瞬で不機嫌になったようで、背もたれに寄りかかりながらツンと顔を逸らしてる。

なにテメェが不機嫌になってんだよ。
怒ってんのはオレの方だ。
怒る権利があるのもオレの方だし、謝る義務があるのはテメェの方なんだからな。

「別に飲みに行くなとは言ってねーの、連絡しろつってんだよ」
「うるせー」
「聞け!」
「あー、もー、うっせーな」

ソファに座ったヒル魔は目まで瞑って、首を逸らして背もたれに頭をあずけてる。
うんざりしたような声で返事をしてきて、それが怒られてる方がとる態度かよ。

「わかったわかった。ほら、セックスしてやるからコッチ来いよ」
「…………テメェなぁ!」

なに面倒臭ェからってセックスでうやむやにしようとしてんだよ。
だいたい、「してやる」ってなんだ。
オレのためか? オレのためだけに、したくもねェセックスをわざわざしてやるよとでも言いてェわけか!?

「今日こそちゃんと約束しろ! 連絡するって!」
「もーうるせーよ」
「だいたい、なんでそんな態度なんだよ!」
「葉柱」
「ちょっとは悪ィとは思わねーのか!」
「葉柱」
「聞けっていってんの!」
「葉柱、指輪とって」
「………………」

指輪とは、結婚指輪のことだ。
結婚指輪っていうか、結婚ごっこの指輪っていうか、そういう意味でってことで揃いの指輪を持ってる。

人前で堂々とつけてられるものじゃないから、家を出るときには外してて、帰ってくると指に嵌める。
今、自分の指には、ちゃんとその指輪が嵌まってる。

ソファに座ったままのヒル魔は、相変わらずべろんと背もたれにもたれながら、催促するようにひらひらと左手を振ってる。

指輪をつけたり外したりなんて無意味なこと、ヒル魔がするわけないと思ってたんだよな。
そりゃ、最初の頃はともかく、早々に面倒臭くなって、わざわざ指に嵌めずにどっかにしまっておくだけになるだろうって。

なのに、今でもヒル魔は帰ってくると、毎日ちゃんと指輪をつけてる。
オレはしたくてそうしてるだけで、別にヒル魔にもそうしろと言ったことはない。なのに律儀にちゃんと、つけたり外したり。
一回紛失しかけたことがあったけど、それ以来毎回決まった場所にもしまってる。

それを思い起こすと、イラだってた心が撫でつけられるような気分になる。

いや、でも今日という今日は、キッチリこいつに謝らせて、悪かったと思わせないと気が済まない。

「………………」

そうは思いつつも、指輪をとってあげるくらいはいいかもなんて、寝室に向かって指輪を取る。
ソファに座るヒル魔に近づいたら、ヒル魔は不遜な態度で左手を差し出してくる。
嵌めろってことかなと思ってその手をとり、すっと指に指輪を通した。

揃いの指輪が、お互いの指に嵌まってる。
家の中だけの、秘密の指輪。

思わずその指をマジマジ見ていたら、完全に思惑の外だったヒル魔のもう片方の手が、ぐるっと大回りして頭の後ろを引っ掴んできた。

「オイ……んっ」

前に倒れ込みそうになるのを、咄嗟に背もたれに手を付いて身体をささえる。
そういうのを一切構ってないヒル魔はぐいぐい掴んだ頭を引き寄せてきて、座席に膝をつくようにして押し止まったら、下から顔をあげて首を伸ばすようにしてキスされた。

こいつまたそうやって、キスのご機嫌取りでうやむやにしようとしてやがるのか。

顔を剥がすように首を捻ったら、頭の後ろを掴んでた手は背中に回って、身体を引きよせながら一緒にソファに寝転がろうとしてくる。

「テメェいい加減に……」

まだ話は終わってないのに、何事もなかったかのようにそんなことしてくるのにムカついて、脚を踏ん張ってそれに抵抗する。

「さっきの、うわっ」

酔っ払いになんて力負けはしないと思ってたら、ヒル魔が小賢しくも足払いをかけてきて、バランスを崩して手を付いたら身体ごと巻き込むようにしてソファに押し倒された。
腕ごと抱きすくめてきたヒル魔はもぞもぞ動いて上に乗っかり、体重をかけてソファに沈めてくる。

「テメェなに」
「うるせー、ヤラせろ」

締め上げてくるように巻き付いてきてる腕は解かれたけど、肩や身体で体重を乗せて抑え込むように乗っかってるヒル魔は、ごそごそと自分のベルトを外してズボンと下着を少しズリ下げると、むき出しになった性器を手をひっぱって握らせてきた。

「好きだろ? これ」
「ふざけんなっ!」

ヒル魔は酔った勢いで興奮してるのか、首に噛みついてきてる息が既に荒い。
こっちはもう着替えてるから、脱がしやすいスウェットのゴムに手をかけてそれをぐいぐい引っ張ってる。

「離せよ!」

脱がされないように下を抑えて、ヒル魔との身体の間に膝を入れて脚で剥がそうとするも、ヒル魔が後ろから手を回すようにして肩をガッチリ掴んでいて叶わない。

「ん、ハバシラ……」

こっちは明らかにイライラしてるのに、酔っ払いは勝手に雰囲気作った声なんか出して腰をこすり付けてきてる。

「痛ってェ! バカ、やめろっ!」

酒臭い顔を近づけてくるのにも辟易して、首をねじってそれを避けると長い指がわしっと頬を捕まえてきて口を吸われる。
手でそれを引き剥がそうとしたら、まるでそれを待ってたみたいなタイミングで一気に下を脱がされて、前戯なんか知ったことかとばかりに濡れてもない入口を強引に指が弄ってる。

だから、酔ったコイツとセックスするの嫌なんだよ。
こっちの都合なんか一切おかまいなしって感じで、自分のしたいように、自分のしたいことだけしてくる。

いや、それに関しちゃ普段もそうといえばそうなのかもしれないけど、酔ってるとなんかもぅ全てが雑なんだよ。
ヒル魔の手が興奮したように身体を這いまわってるけど、気持ちいよりも痛いし煩わしいで良いとこない。

「離せよっ」
「いーだろ、ヤラせろよ」
「よくねーよ離せっ!」

ヒル魔の背中をぐーで殴りつけてみたけど、酔っ払いはそれくらいじゃ動じもしないで首や耳を舐めてる。

「好きだぜ葉柱、いーだろ」
「………………」

またこの男は、こういうときだけスグそうやって言う。

コイツはとりあえずそれだけ言っときゃ、オレが喜んで大人しくなると思ってんだよ。

「ハバシラ?」
「…………わかったから、じゃ、ベッド行こーぜ」

その通りだよクソ野郎。

ヒル魔は、普段そんなに甘いっぽいこと言ったりやったりするようなタイプじゃない。
面倒臭ェからとりあえず言っとけみたいに思ってるコイツの魂胆なんか分かってるけど、心の内がもやもやうずうずして、嬉しいような恥ずかしいような気持ちが湧き上がるのを止められない。

最近それを指摘してからあんまり言わなくなったけど、酔っ払いだからそんなとこも雑なんだな。
分かってるのに分かってるのにと思いながらも、久しぶりに聞いた言葉には、心の方はやっぱりあっさりと陥落した。

オレはもう本物のバカ野郎だなと思いながらも、もういいやと身体の力を抜いたら、てっきりベッドに移動するかと思ったのにヒル魔はこのままここで続けようとしてる。

「おい、ベッド……」
「メンドクセー」

メンソクセーわけあるか。
数歩だぞ数歩。
ほんの隣の部屋に広々したベッドがあるのに、なんでこんな狭苦しいソファの上でヤラなきゃなんねーんだよ。

ヒル魔は唾液で濡らした指で後ろをまさぐって、ちょっと隣に行けばローションもあって快適に事が進められるってのに、横着してんだろうけど余計面倒臭ェだろ。

逆らわなくなったらヒル魔は機嫌を直したようで、身体の上でいそいそと準備にいそしんでる。
手の動きは丁寧でもなんでもなくて、痛みばかりが先行してる。

「おい、ゴム」

言ってもどうせ無駄だろうから黙ったまま従って、大人しくしてたらヒル魔がゴムもつけずに挿れてこようとするので、そこだけはと思って脚でヒル魔の太腿を軽く蹴りつけながら言う。

「あー、外に出すって」
「嘘つくなよ」
「大丈夫、腹の上に出すから」

絶対嘘だろ。
テメェがそうやって言って、守った試しなんか一回もねェ。

「一回退け」
「うるせー力抜け」

狭ェし忙しねェし気分も一向に乗って来ない。
ヒル魔は息を荒くして、上からしがみ付いたままもぞもぞ腰の位置を調整してる。

「テメェほんといい加減に……」
「入んねーよ、力抜け」
「いってぇ……んだよ、コロスぞっ!」
「あ、あ……、ん、ハバシラ…………」

だから勝手に雰囲気出してんじゃねェ。

ヒル魔は酔っ払いとは思えない力でガッチリ肩を捕まえたまま、慣らしも潤いも足りないようなとこに無理やり押し入れようとしてる。

「ちょっと待てって」

怒ったって聞きやしないだろうから、あえて優しい感じで言ってみたけど、ヒル魔は顔を寄せてきてちゅっちゅっとご機嫌にキスしてくる。
入れるとき、キスとかするのが好きなのはオレの方。
コイツは多分それも分かっててやってんだ。

そうしたら、オレが喜んで大人しくなるだろうとか思ってんだろ。

「ヒル魔…………」

そんでそれもその通りだよクソ野郎。

快感は遠くて痛みばかりを覚えてるけど、興奮して息の上がってるヒル魔を見てるとムラムラする。
頭を撫でてみたら更にご機嫌にキスしてきたので、息を吐いて身体の力を抜いた。

「は、ぁ…………あー、入る、ハバシラ、入れていい?」

もう入れてんじゃねーか。

無視して息を吐いて少しでも楽になるように努めてるのに、勝手なヒル魔は無遠慮に腰を動かして自分だけ気持ちよさそうにちょっと詰めた息を吐いたりしてる。

やっぱり気分なんかのらねーよと思ってふてくされたような気持ちになると、それを察してるのかどうかは分からないけどヒル魔がまた口を寄せてくる。

口を開いたらすぐに舌が入ってきて、気持ちいいところをゆるゆる舐めてる。
これは気持ちいい。

意識して口に集中するようにして、あとはもうコイツ早くイカねーかなと思ってヒル魔の首の後ろを撫でる。
そのまま背中を撫でたり腰を撫でたりすると、忙しなく動いてたヒル魔がたまに休んだりゆっくり腰をまわしたりして、コイツすでにイキそうだなってのが分かった。

「ん、ヒル魔……」

もっと気分が出るように小さめの声で名前を呼んでみたりして、ヒル魔があとどれくらいか注意深く顔をみる。

「く、ん…………」
「…………腹に出せよ」

のんびりしてたのから一転、ヒル魔が明らかに最後に向けて細かく腰を打ちつけてきだしたので、外に出すように念を押す。

「うー、ん。まだ、もうちょっと……」
「うそつけ……っ、あ、ホントに抜けよっ」
「あ、あ、ハバシラっ」
「テメェ、もう今抜け、今、あっ」

こいつ絶対抜く気なんかねェなと思って腕を突っ張って引き剥がそうとしたら、万力みたいな力でヒル魔はガッチリ腕を回して肩を掴んでて、二枚貝のようにくっついて離れない。

「ハバシラ、あ、イ……っく、あ、あっ」
「ばかっ、てめぇ、出てる、あ、出してんだろっ!」

ヒル魔がぎゅっと目を瞑って、ぐっぐっと腰を震わせながら押し付けてくる。

「ふぅ、う……んー…………」
「テメェ……バカ…………本気でばか…………」

ヒル魔はしばらくそうやってぎゅうぎゅう抱き着いたままで、落ち着くと一気に身体の力を抜いて「はー」とか脱力した溜息をつく。

「テメェ……腹に出すつったろ!」
「…………えー? あぁ」
「オレもう風呂入ってたのに! あーもぅ、スグ抜けよ! あと重てェよ!」
「………………」

こっちはイってもいねェってのに、自分だけ出すもの出したヒル魔は完全に脱力して上に乗っかったままになってる。

ほんともうなんなんだよこれ。
狭いソファの上で、下だけ脱いで、情緒もへったくれもなくもう殆どオナニーじゃねーか。

「オイ、退けって!」
「あー、うるせーなー……」

一発ヌいたことで、明らかにヒル魔はテンションを下げて面倒臭い感じを全面に出してる。

「重てェんだよ!」
「もーさっきからイチイチうっせーよ」

ホントこの男は、どんだけ身勝手に振る舞えたらそんなことが言えるんだ。

しかもヒル魔は本気で不機嫌そうにそうやって言い捨てて、むっくり身体を起こして雑にティッシュで性器を拭いてズリ下げていた下着を上げる。
ジーパンは脚から抜いて、ソファの下に脱ぎ捨ててさっさとベッドに向かって歩いて行った。

唖然としたような気持ちでそれを見てたら、のたのた歩いて行ったヒル魔は掛布団の上からどっさりとうつ伏せにベッドに倒れてそのまま動かなくなる。

信じらんねーわ。
この脱ぎ捨てられた服とか、オレが片づけるのか。

連絡無しにこんな遅く帰ったことも、結局一言も謝ってすらいない。

なんかもう見事だわ。
ここまで徹底して傍若無人だと、いっそ清々しいよ。

床に脱ぎ捨てられたジーパンを見る。くちゃくちゃだ。
ベルトも付いたまま、脚を抜いた形そのままにくちゃっと置いてある。

「………………」

こんなもんこのままにしといてやろうかと思うのに、ついてに取って形を整え、とりあえずソファの背もたれにかける。

ヒル魔を追いかけていって怒る気力も湧かないし、ソファが汚れてないかだけチラっと確認して、あとは風呂に向かった。





簡単に後始末をして風呂から上がりベッドに向かったら、掛布団の上からバッタリ倒れ込んでたはずのヒル魔は、ちゃっかり布団の中に納まって金髪の頭だけ見えてる。

それを見てたら、少し収まってたムカムカがまた湧き上がってきて、わざと乱暴にベッドに乗っかって布団にもぐりこんだ。
怒った上での報復行動が、こんなショボいことしかないってのに自分でもガックリくる。

空しくなってヒル魔に背を向けるように布団の中で丸くなったら、てっきりもう寝てると思ったヒル魔がもぞもぞ動いて背中にひたっとくっついてきた。

「怒った?」
「………………」

スキンシップを図られると、つい丸め込まれるのが常だけど、今は口を開いたヒル魔の酒臭さにそんな気にもなれない。

「悪かったって。気持ち良くて、つい出ちった」

嘘つけ。「つい」なんて感じじゃなかったくせに。
ガッチリ掴んで明らかに計画的だったくせに。

だいたい、怒ってるポイントはそこじゃねーよ。
いや、そこもそうだけど、その前からずっと怒ってんだろ。

しかもヒル魔の口調はまったく悪びれてない。あからさまにとりあえずって感じが透けて見えてる。

それでも、背中にくっついてるヒル魔が温かいなぁとか思うと、もぅいいかって気にもなってくる。
だからダメなんだろうけど。

ヒル魔がもう一言謝ったら、振り向いてキスしようと思ってじっと待つ。

「……………………」

うん。寝たな。コイツ。

機嫌を取るなら、もうちょっと粘れよ。
なに言いたいことだけいって、オレの返事も待たずにすやっと寝てんだよ。

後ろから首にかかる寝息が酒臭い。
腰に回されてた腕を払いのけると、ヒル魔はそのままくるっと仰向けになった。

寝てる。

「………………」

すぐ返事すれば良かったなんてチラっと思う。
いや、でもそんなんだからコイツはつけあがるんだ。
一旦本気で怒ってみせないと、いつまでも同じことを繰り返すに違いない。

多分、酔って帰ってきてるとこに言うからダメだったんだな。
粗相は即座に叱るのがペットの躾の基本だけど、酔っ払いには何言っても無駄だ。

飲んで無いときに、キッチリ言い聞かせなければなるまい。

明日だな。朝はバタバタしてるから、夜ヒル魔が帰ってきたら今度こそ叱りつけよう。
酔ってなければもう少しまともに話ができるだろうし、そうじゃなかったら叱りつけるからシバキ上げるにシフトチェンジしてもいい。

仰向けでアホみたいに口を半開きにしたヒル魔の寝顔を見てると、寝顔は天使なんだけどなぁと思う。

まぁそれが、世間一般から大分外れた認識であることは知ってるけど。








で、帰って来ねェよ。

「あ…………の、クソ野郎っ!!」

朝起きたとき、昨夜のことなんか覚えてないのか気にしてないのか普通の様子のヒル魔をわざと無視して、行ってきますも言わずに先に家をでた。

それはもぅ分かりやすいように怒ってるぞってアピールをして、そしたら夜にはきっと早く帰ってきて、少しは愁傷な態度を取ると思ってたんだよ。

「………………」

それがまさか、今日も帰って来ないとは。
もぅ22時。寄り道してなきゃとっくに帰ってる時間だ。
もちろん連絡なんて一切入ってない。

オイオイやってくれるなあの野郎。
まさか昨日に続いて今日もかよ。

しかも、朝オレがどう考えたって怒ってることなんか分かってたはずなのに。
なのに、またどっかで飲んでんだ。
誘われたのか誘ったのか知らねーけど、どっかで誰かと楽しくやってんだ。

なんだかんだでアイツ酒が好きというか、酒の席が好きというか、一回飲み始めたらもう一軒もう一軒って、全然帰ろうとしねーから、きっと今日も帰宅は終電前後だ。

「もしもし、井上?」

携帯をとってとりあえず目についた番号に電話をかける。

「よう、オレ。飲みいこーぜ」

いい加減頭にきたし、ここで一人じっと帰りを待つなんて癪すぎる

電話の向こうの井上が「今からすか?」みたいなことを言ってるのを無視して、一方的に30分後に駅なと言い捨てる。
あと適当に誰か呼んどけとも伝えてそのまま通話を切った。

そのまま携帯と財布を持って家を出る。
多分集まるのは井上を筆頭に代わり映えのしないメンツに違いないけど、ここでイライラとヒル魔を待ってるだけよりは全然マシだ。

最寄駅まで歩く途中で、そういえば飲み自体結構久しぶりかもなんて思ったら少し楽しくなってきた。
ヒル魔がヒル魔で楽しむなら、こっちもこっちで楽しく飲んでやる。

まぁ、明日休みなわけでもないからほどほどにとは思うけど、心は結構弾んできた。

イラついてた気持ちがスっと切り替わって、足取りが軽くなる。

どうせなら、ヒル魔より遅く帰るようにしよう。






狙った通り、日付を跨いで帰ってきたら、先にヒル魔が家に戻ってた。

オレが連絡もせずにこんな遅くまで帰らなかったことなんてなかったから、どんな態度で待ってるかななんて思ってた。

今まで散々テメェがやってきたことなんだから、やり返されたらこっちの気持ちも少しは分かるかもなんて期待もあったし。

「………………」

ただ、家に帰ってきて、明かりのついた部屋にシメシメと思ったのは最初だけで、中に入ってみれば、ヒル魔はソファに仰向けになって鼾をかきながら腕を投げ出して眠っていた。

なんだこれ。
酔っ払いか。

いや、酔っ払いだろうけど。飲んで帰ってきたんだろうけど。

ソファの前のローテーテルを見たら、ビールのロング缶が2、3個転がってる。

え、飲んだの。帰ってきてから。また飲んだのか。

オレが朝怒ってたの分かってて、その上で夜連絡なしに帰ってこなかったのに、反省も心配もせずにビールかっくらって高いびきか。

そりゃ、ヒル魔が愁傷な態度で、どこ行ってたんだよとか、心配しただろとか、今までオレがしてたのはこういうことだよな……ごめん……とか言い出すわけはないとは思ってたよ。
だからって、なんかあんまりじゃないかこれは。

「………………ア?」

そんな光景に怒りすらわいてこずにぼんやりと立ったままヒル魔を見てたら、視線に気づいたのか気配に気づいたのか、急にヒル魔がパチっと目を開ける。

瞬きしながら視線がキョロキョロとその辺りを彷徨って、目が合うとそこで止まる。

「…………水」

なんと言ったものだろうと思って無言でいたら、ヒル魔が言ったのはそんな言葉。
しかも、不機嫌で偉そうな言い方で。

その声で沸騰するように頭に血が上り、一瞬で最高潮のイラつきを覚える。

「……テメェでとれ」

だから、ヒル魔よりもさらに不機嫌で偉そうで冷たい言い方になるように吐き捨てたら、ヒル魔が片眉を上げるようにして不機嫌な顔を作る。

「水持ってこい」
「テメェでやれって言ってんだろ」
「ア?」

再度の要求も突っ返したら、ヒル魔は明らかに怒ったような顔をしたけど、ソファの上でもぞもぞ動いて「お?」とか言ってるだけで向かってはこない。

なにやってんだ。まさか、飲み過ぎて足腰立たねーんじゃねェだろうな。
バカかコイツは。

これはもう本格的に付き合いきれないと思って、芋虫のようにのた打ち回ってるヒル魔が「オイ」とか怒った声で呼んでるのを無視して、さっさと風呂場に向かった。

もう放って置こう。
一晩くらい、ヒル魔がソファで夜を明かしたって大した問題じゃない。

ただ、QBが肩冷やすような寝方したらまずいかな? なんて思いもチラっと頭を掠める。
なんか、上に掛けるくらいはしてやった方がいいのかも。

本格的に気分が悪そうだったら、水くらい、とってやってもいいし。

一人でシャワーを被ってると、なんか分からないけどそういう気持ちばっかり湧いてきて、温まるのもそこそこに多少焦ったような気持ちで風呂からあがった。

ただ、リビングに戻って見れば、いもむし程度にしか動けないようだったヒル魔が、どうやったのかは知らないけどちゃっかりベッドの上で布団の中に納まってて、それを見たらなんか脱力した。

シンクを覗いたら空のコップが一つ置いてある。
水も飲んだらしい。

そうだよな。
オレで世話やいてやらなきゃ、部屋こそ汚いし洗濯物だって溜まるけど、食事は結構ちゃんとしたものとるし、体調管理だって自分でする。

オレがコイツにしてることって、それが無いとどうしてもダメってことじゃなくて、あったらまぁ良いかも、とか、その程度のものだ。
良かれと思ってしてるけど、有難迷惑になってることすらあるかもしれない。

もしかしたら飯用意して待ってるのも、ヒル魔にとっては迷惑なことなのかも。
だから最近、鬱陶しくなって夜飲み歩いてくるようになったのかも。

でもだったら、結婚ってなんだよ。
できれば夜くらい一緒に飯食って、遅くなるときは連絡くらいするのが普通じゃねーのかよ。

そりゃ、夫婦の在り方の価値観なんて人それぞれだろうし、ヒル魔がオレと同じ思いでいないってのはしょうがない。
でも、以前より酷くなってないか?
こんな頻度で飲んで帰らないことなんて、前は無かった。

もしかしたらヒル魔は、「結婚」したことで、一種安心感を覚えたか、もしくは飽きのようなものを覚えたのかもしれない。
いわゆる「恋人」だったときよりも、オレの優先順位は落ちたのかも。

「………………」

考えてると、気持ちが暗くなってくる。

ただ、いつもの習慣としてベッド脇にあるサイドテーブルの引き出しを引いて、中を見たら心はちょっと落ち着いた。
中にある指輪を嵌める。
今一番大事なものは何かって聞かれたら、この指輪だと思う。

同じ所にしまってあるはずのヒル魔の指輪は中に無かった。
ってことは、酔っぱらいながらも自分でこの指輪を嵌めたんだろう。

布団に隠れて見えないヒル魔の指には、きっと指輪が嵌まってる。

ヒル魔が一生に一回しか言わないといった言葉がある。
その言葉を、指輪を見る度に思い出す。

ヒル魔が自分で指輪をつける限り、きっと今も同じ気持ちだと信じてる。

だからもしヒル魔が指輪をつけなくなったときが、終わりなんだろうなとも思ってる。

今はこうして自分で指輪を嵌めてるんだから、夜飯を用意して待ってるなんて押し付けがましいオレの行為が鬱陶しくなったんだとしても、別れたいわけじゃないと思っていいんだよな?

「ん」

ヒル魔はもう寝てるんだろうと思って、出来るだけそーっとベッドに潜り込んだのに、中に納まって枕の位置を調整したら、ヒル魔が半分くらい目を開いた。

「………………」

なんか、ボケっとした顔してんな。
酔っぱらってて、目元が赤い。
それに加えて眠いのか、寝ぼけてるのか、視線にいつもほどの鋭さがなく、頻繁にする瞬きが酷くゆっくりだ。

最近は、顔を合わせたらオレが文句言って、ヒル魔が不機嫌になるのが常だったから、こういう穏やかな顔は久しぶりに見たなと思う。

なんとなく頬を撫でたら、顔を摺り寄せるようにして手に懐いてる。
珍しい。
やっぱり半分寝かかってるな。

腕を撫でて手を繋いでみたら、ヒル魔の指に指輪の感触があった。
ヒル魔は何を考えてるのか、ぼんやりした顔で辛うじて目を開いてる感じ。

「なぁ、明日、まっすぐ帰ってこいよ」

自分が料理上手だとは思ってない。
上手くもない手料理食わされるのが嫌なら、出来合いのもの買ってくるんでも、デリバリーでも、なんだったら外食してもいい。

だから、早く帰ってきて、たまにはオレと飯食ったっていいじゃん。

「………………」

ヒル魔は何かを考えてるのか、またゆっくりと瞬きをする。
ただ、その寝ぼけた顔は、なにかを考えてるというよりは、何も考えてない顔にしか見えない。

「…………イヤだ」

こんな状態じゃ、会話や返事を期待するのは無理かなと思ったところで、ヒル魔が小さい声で、ボソっと返事をした。

「え、な、なんで?」

ヒル魔の声は怒ってる感じでも呆れてる感じでもない。
なのに聞き間違いじゃなければ、今「嫌だ」って言ったんだよな。

繋いでる手は、弱い力だけど握り返してきてる。
指輪の感触と、その手の力に、まさかそんなハッキリと否定の返事をされるなんて思ってもみてなかった。

「なんで…………」

驚きすぎて、二の句がつげない。

どうやらヒル魔は寝ぼけてるみたいだけど、ってことは、今言ったのはヒル魔の掛け値なしの本心だ。

嫌味でもなく駆け引きでもなく、回らない頭でぽろっと本心を漏らした。

「ムリだ」じゃなくて、「嫌だ」って。

「なんで」

なんで、嫌なんだよ。
オレのこと、そんなに鬱陶しくなったわけか?

オレが居る家に、帰ってきたくねーわけか?

テメェがここに住めって言ったんだ。
一回出て行こうかなって言ったときだって、止めたくせに。

あのときから、気持ちが変わった?
本当はもう、出て行って欲しいと思ってた?

でもだったら、なんで指輪なんか嵌めるんだよ。
それを見る限り、オレが期待するのはしょーがねーじゃん。

「め、飯なら、外、食いに行ってもいいし……」
「いやだ」

震える喉からなんとか言葉を紡ぎ出してみたけど、帰ってきたのはさっきと同じ否定の返事だ。
さっきより早く、はっきり言った。

そのくせ、待ってみてもそれ以上は喋らない。

「なんで…………」

こうやって聞いたら、「もうテメェとはムリ」なんて言葉が返ってくるかもしれないと思うと、胸が苦しくなる。

ヒル魔になにも答えてほしくないような、なにか言って欲しいような気持ちで口元をずっと見てると、尖ったキバがチラっと覗いて、ヒル魔の口がゆっくり開く。

「だって……」

だって、なに?


「テメェ、オレが帰ってきても……きす、しねーし…………」


……………………。


「…………は、はーぁ?」

ヒル魔の瞼がゆっくり閉じて、瞬きと呼ぶには長すぎる時間目を瞑っていたからそのまま寝るんじゃないかと思ったけど、その瞼がまた偉い時間をかけてゆっくりと開く。

「前は、したのに…………今はしねー…………」

前はって、なに?
きすって、キスだよな?

帰ってきても、って、いわゆる、おかえりのチューみたいなことか?

そりゃ、まぁ、してたな。
そのー、指輪を貰ってすぐの、浮かれてた時期なんかは。

いつそれを止めたんだっけと言われても、正直覚えてない。
あんなもん、頭の中がお花畑になってたときの一時の気の迷いというか、日がたつにつれて冷静にもなる。
だいたいテメェが帰ってくるときって、こっちは飯の支度してたりでバタバタしてるし、それ以外でも着替えてたりなんだりで手が離せなくて、いつの間にか無くなった習慣だ。

ヒル魔がもぞもぞ動いて、なんだろうと思ってたら、首を伸ばしてちゅっとキスをされた。

「………………」

展開についていけずにボケっとしてると、ヒル魔がちょっと眉を寄せるようにして、変な顔を作る。

「オレがしてやっても、かわいくねー…………」

眉を寄せたその顔は、怒ってるというより拗ねてる顔だ。
口調も、なんかイジケてる。

今のキスに無反応だったのが不満らしい。

そう言われれば、ヒル魔の飲み歩きが頻繁になったのは、おかえりのチューがなくなってきた頃辺りか?

まさか、それが不満だったわけか?
抗議のつもりであて付けのように遅く帰ってきてたわけか?

いやいや、お前、そういう感じじゃないだろ。
そういうの、好きな方のタイプでもねーだろ。
どっちかって言ったら面倒臭がる方のタイプだろ。

「ハバシラ」
「な、なんだよ…………」

急に変なこと言い出して、なにを考えてるのか分からないヒル魔の目になぜか心拍数があがる。

「結婚して…………」
「は…………はァ?」

今度はどんなとんでもないことを言いだすんだろうと思ってドキドキしてると、ヒル魔がそんなこと言ってぎゅっと抱き着いてくる。

「け、けっこんは、し、しただろ…………」
「………………」

指輪だって、お互いしてる。

「ゆ、ゆびわもしてるし…………」
「ちがう」

ヒル魔の声はノンビリしてる割に、強くてハッキリしてる。

「違くねーだろ……」
「テメェは違う」
「な、なにが…………」

こいつは一体、何を言ってるんだよ。

「ハバシラ……」
「な、なんだよ…………」
「オレは…………一生…………………」
「………………」

抱き着いてきてるヒル魔の顔は見えない。

多分だからだ。もしかしたらヒル魔は泣いてるかもしれないなんてバカなことを思うのは。
そんなワケないのに。

「どーせ、テメェは…………」

ヒル魔の口から出る言葉は、殆ど文章になってない。
舌もうまくまわってなくて、たどたどしい。

なのに、「どーせ」って言葉は、強い衝撃で胸に突き刺さった。

「………………」

だって、「どーせ」なんて言葉は、オレがヒル魔に使う言葉だと思ってた。

どーせヒル魔は、自分が飽きたらオレのことなんて簡単に忘れたりするだろう。
どーせヒル魔は、「結婚」なんて言ったって、そんな口約束は反故にする日がくるだろう。

どーせヒル魔は、どーせ。

オレは一生、ヒル魔を好きでいるだろうと思ってる。
こんな強烈な男を、忘れることが出来るわけがないと思ってる。

でも心の中では、きっとヒル魔はそうじゃなくて、プロポーズに浮かれてても、どっかあきらめたような気持ちってのがずっとあった。

結婚してって言われたとき、するって返事をした。
家の中のソファの上でだったけど、教会で神に誓ってもいいくらいだと思ってた。

それでも、ヒル魔がオレのこと嫌になったら、心底嫌われる前に別れようと考えずにはいられなかった。
頭の片隅には常に、ヒル魔との別れっていうのはあった。

そういう思いを、多分今責められてる。
その覚悟のなさを、ヒル魔は分かってて、こんなのは結婚したってことじゃないだろうって言ってる。

どーせオレは、病める時も健やかなるときも、生涯愛することを誓ってはいないんだろうと詰られてる。

「だって…………」

だって、テメェ相手だぞ?
テメェが本当に一生、オレと居るなんて思えねーじゃん。

それに、ムリして一生一緒になんて居てほしくないと思ってる。
ヒル魔がやりたいことがあるとき、それを邪魔しないでいたいと思ってる。

オレはそれを、オレの覚悟だと思ってた。

なのにその思いは、ヒル魔に「どーせ」なんて言葉を使わせた。

本当は逃げてるんだ。
だって、そう思っておかないと、そうやってオレは心の準備は出来てるんだって言い聞かせておかないと、いざそのときがきたら、悲しすぎるだろ。

泣き喚いてみっともない姿を見せるかもしれない。
そんな風になりなくない。

本当はヒル魔のためじゃない。オレのために、ずっとそうやって保険をかけてた。

それを「覚悟」と呼んで、情けない自分の胸中を、自分で誤魔化してた。

「ひるま」

本当にテメェには、本物の覚悟があるの?

ケンカしたご機嫌取りに、買ってきただけの指輪じゃねーの?

オレのことに飽きたり、面倒臭くなったらどうすんの?

「結婚しろよ、ハバシラ」
「………………」

答えらんねーよ。

ここまで言われて、それを信じたら、別れるときにきっとオレは死んでしまう。
心が死んで、きっと二度と立ち直れない。

ほら、やっぱり思う。

きっと、一生じゃない。いつか別れる。

「う、嘘だ、テメェは、嘘つきだから、生涯オレとなんていない……っ」
「そんなことねーよ」
「そんなこと、あるっ、テメェは、テメェは……っ!」

喉がひきつって言葉にならない。

ヒル魔は勝手だ。

ワガママで、自分勝手で、嘘つきで、実は結構だらしなくて、気分屋で、オレ様で、アメフトが好きで、意地悪で、皮肉屋で、悪魔で、信用なんかできない。

「け、けっこんしたいっ、ひるま……っ」

それでも、一生一緒に居たい。

「けっこんしたい……っ」
「うん」

踏みとどまらなくちゃいけない。
悪魔に自ら心臓を捧げるなんて、バカのすることだ。

「けっこんしてっ、けっこんする…………」

でもオレは今、多分一歩超えてしまった。
もしかしたら戻れるであろうギリギリのラインを、一歩踏み越えてしまった。

その先で悪魔に殺されるしかないのに、進んでしまった。

「別れなくない、指輪も、返したくない、一生……っ!」

本心を口に出してしまった。
これがもしかしたら、将来オレを殺す呪いの言葉になるかもしれないのに。

「オレも」

テメェは、恐ろしくねーの?

本当に、死ぬほどオレのことが好きだとして、オレに嫌われる未来を想像することはねーの?

ヒル魔は自信家だから、そんなことは露程も思うはずがない人物だと思ってた。
でも、さっきのヒル魔の「どーせ」って発言は、実はそうじゃなくて、ヒル魔だって普通の人間だってことを想わせた。

オレは、ヒル魔を特別視しすぎてた。
精神的に、完璧な人間だと思い過ぎてた。

自惚れているようで恥ずかしいけど、きっとオレに一生一緒に居る覚悟がなかったことを、不満に思ったり、不安に思ったりしてる。

「明日、早く帰れよ、キス、するから…………」
「………………うん」

だから、おかえりのキスひとつで、そんなに拗ねたりできるんだ。

ヒル魔はもしかしたら、今日のことは覚えてないかもしれない。
大分酔ってたし、寝ぼけてた。

オレが今日、今、テメェと生きて、テメェと死ぬ覚悟をしたことを、ヒル魔はいつ気が付くだろうか。

黙ったままでいたら、ヒル魔の呼吸が規則正しい寝息に変わってる。
やっぱりきっと、覚えてないだろう。

明日、おかえりどころか、いってらっしゃいのチューまでしたら、きっと驚く。

一生に一度だけの言葉を、オレはまだ大事にとっておいてある。
今言いたくて堪らなくなったけど、やっぱり我慢した。

オレの一生に一度の言葉は、一生が終わるとき、そのときまでずっと側にいて、そのときに言うと決めたから。


'14.01.04