ヒルルイとパンツ




大学から買える途中、ヒル魔から「めしいらねー」とだけメールが入った。

高校卒業以降、特に一緒に暮らそうと言ったわけでもないけど、なんとなく、流れで同棲のようになってる。
同じ家に帰るわけで当然メシも一緒に食うわけだけど、お互いの都合なんかもあって365日一緒ということはない。

メシいらねーってことは、飲み会かな。
泊まるなら泊まるって言うだろうし、帰ってはくるんだろうな。

ヒル魔は意外と酒好きというか酒の場が好きというか、基本お祭り騒ぎな性格なので、ご機嫌に酔っぱらって帰ってくるんだろうなと思うと面倒くさい。
しかしヒル魔がいないということは今日メシどうするか考えなくてすむから、それはそれで楽だなーと思う。
一人分の食事をわざわざ用意するのも面倒だし、どっかで適当に食って帰ろう。

何を食べようか思案して、それからどうせだったら買い物でもしようと、帰り道をちょっとはずれてショッピングモールに立ち寄ることにした。

特になにか目当てがあったわけでもないけど、服やら靴やらを適当にブラブラ見て、そういえば下着が大分くたびれてたなーと思い、ふらっと下着コーナーに入る。
いつものメーカーのものを数枚手に取って、それからどうせついでだからヒル魔のも買ってくかと、ヒル魔の分も同じく数枚手に取った。

それを持ってレジへ向かおうとしたところで、ふと目の前の鏡が目に入る。
ショッピングモールというものは、そこかしこに鏡があるものだ。
いつもだったら別にそんなもの気にしないし、無意識のうちに素通りする。

ただ、今は、ふとその鏡の中に映る自分が目に留まった。

なんか、パンツを大量に持っている。

「…………………………」

パンツを持つ、オレ。

いや、パンツくらい買うよ。普通。
いくつになっても「お母さんが買ってくれたパンツ」を着用してるよりよっぽど良いと思う。

だから、パンツを買うことは、変じゃない。

変じゃないけど、こうして大量にパンツを持つ自分の姿というものを客観的に見てみると、なんかどうしようもないガッカリ感があった。
パンツを大量に買う男。

まぁでも、知ってる。
オレがパンツを何枚買おうと、世界はそんなこと気にしてないって。
下着売り場なんてだいたいみんなパンツ買ってくんだから、店員だってオレがパンツ買おうと気にも留めない。

ただなぜか、一旦気になってしまうと急に大量のパンツをレジに持ち込むことに若干の恥ずかしさを覚える。
この人こんなに大量のパンツどうするのかしら、などと思われるだろうか。

いやー、違うんですよ。オレのだけじゃなくてね。あのー、友達のも。あるから。

いやいやそれの方がオカシイだろ。
なんで友達のパンツ買ってんだ。

パンツ買ってやるってそれはもう確実に友達じゃねーだろ。
まぁ、友達じゃねーけど。

「……………………」

そこまで考えて、はたと気付く。
そう。ヒル魔の分。

ヒル魔の分まで買うから、オレはこうして一度に大量のパンツを購入する人となっている。
よく考えたら、なんでオレがヒル魔のパンツまで世話してやんなきゃなんねーんだ。

なんとなく、買い出しやら雑務的なものはオレの領分となっていて、今まで何の疑問もなくパンツの用意まで行ってた。
もういつからそうしてるのかも分からないくらい自然に。

おかしいおかしい。
もう奴隷でもねーのに、なんでパンツ。
奴隷でもねーのにっていうか、それはもう奴隷の領分でもなくねェ? それはもうお母さんの領分じゃねェ?

「……………………」

手の中のパンツをじっと見る。

黒い、なんの変哲もないありふれたボクサータイプ。

昔からヒル魔が履いてたのはそれだったし、だから購入するときもそうしてた。
なんかアイツは、だいたい黒いもの与えとけば満足する。
服も、だいたい黒い。

色々考えだしたら、なんとなくムカムカしてた気分から悪戯心が生まれてきて、手の中の一枚を元に戻した。
それから、同じ棚に並ぶ色違いを手に取る。

ピンクの。

ショッキングピンクとまではいかないけど、濃いピンク。
ウエスト部に黒いラインがあるけど、他はピンク。

ふふふ。ピンクのパンツ。

これを、ヒル魔の分としよう。

ヒル魔がピンクのものを身に着けてるところなんて見たことない。
しかも、パンツ。

部活があるから、パンツは割と人目にさらされる。
もうお前なんて、ピンクのパンツ履いて部活行け。

もし文句つけてきたら、パンツくらい自分で用意しろ! と怒鳴りつけよう。

そう考えたら楽しくなってきて、もう鏡は気にならずに意気揚々とレジに向かった。






「あれ、おかえり」

酔っぱらったヒル魔というのは、ガチャンバタンと大騒ぎして帰ってくるから、てっきり今日もそうだと思っていたら、意外と静かにヒル魔がスルリとリビングに入ってきた。
時間もまだ早い、21時前程度。

「メシは?」
「くってきた」

予定がなくなったのかなと思ったけど、メシが済んでるということはそうでもないらしい。
飲み会かと思ってたけど、メシだけの予定だったのかな。

「風呂」
「あー、湧いてる」

ちょうど、オレが入ろうかなーと思ってたとこだったから。

それだけ聞いたらヒル魔は肩にかけてたカバンをドサっと床の上に落とし、上着を脱いでぽいっとソファに放る。
それから器用に足だけで靴下を脱いで、最後はその辺に蹴り飛ばすとペタペタ歩いて脱衣所の方へ消えていった。

「……………………」

改めて、残された惨状を見る。
投げ置かれたカバンと上着、そして転がる靴下。

王様か。王様だ。

オイ靴下捨てちまうぞ王様。
まぁ、捨てたところで、そしたら買ってくるのはきっとオレなんだけど。

カバンを定位置に移動させて、上着をハンガーにかけ、靴下を拾う。
靴下を脱衣所にある洗濯機まで持っていくと、風呂の中からはシャワーの水音が聞こえた。

当たり前のように脱衣所に脱ぎ散らかされているヒル魔の服を洗濯機に放り込んで、それからその洗濯機の上に、タオルと着替えを用意した。

冷静に考えれば、これも酷い。
いつも、ヒル魔が風呂から上がったらすぐ使えるように、タオルと着替えとパンツを、一揃い用意する。
オレ、もしかして、ヒル魔のことを甘やかしすぎてたんじゃないだろうか。

「……………………」

まぁ、良い。
良いだろう。

今日はこれがある。

いつもの通り用意するタオルとTシャツとスウェット、それからパンツ。

「うくく…………」

堪えきれずに自然と笑いが口から洩れた。
でも大丈夫。シャワーの音で、ヒル魔には聞こえてないはずだ。

これを見るまで、こんなものが仕込まれていることには気づかない。

この、ピンクのパンツに。

なんだこりゃ! と怒ってくるヒル魔を想像する。
そこでオレは余裕綽綽に、「ハーァ? 文句があるならテメェで用意しろ」と言う。

できるだけ、冷めた感じで言った方が良いな。
ちょっと小馬鹿にした感じで。

ふふふ。うくく。

ヒル魔を揶揄う機会なんてそうそうない。
どう言ったらヒル魔が一番ムカつくだろうなというのと考えるのは思いのほかおもしろくて、何事もなかったかのようにそっとパンツをいつものように置いて、それからソファに戻った。

ソファに座って、テレビを眺めながらシャワーの水音が止まるのを待つ。
ヒル魔はそう長湯するタイプでもないから、きっともうすぐだ。

オレの想像では、ヒル魔は腰にタオルを巻き、ピンクのパンツを手に持ち、「なんだよこれ!」と怒鳴りに来る。
バカ野郎め。パンツすら自分で用意しねーからだ。

ウキウキしながら待ってたら、微かに聞こえてたシャワーの音が止まって、それから風呂場のドアが開く音がした。

きた。きたきた。

もうすぐ、多分もう十数秒後には、ヒル魔がやってくるはずだ。

「…………………」

身体や髪を拭いたって何分もかかるものでもない。
あまりにも待ち遠しく思うから時間が長く感じるのかな? と思ったけど、それにしてもヒル魔が怒って飛び出してくる気配が全然ない。

「………………?」

まだ気づいてねーのかな。
なにしてんだよ。

脱衣所の方に耳を澄ましヒル魔がいつドアを叩き開けるかを待つ。
テレビの音なんかもう聞こえないくらいそっちにばかり集中していたら、カラカラと、引き戸がのんびり開く小さい音と、それから、これまたのんびりヒル魔がこちらへ歩いてくるペタペタという音が聞こえた。

あれ?

「……………………」

Tシャツとスウェットを着たヒル魔は肩にタオルをかけていて、濡れて束になった髪はいつもと違ってペタンと垂れている。
歩きながら肩にかけていたタオルでその髪をガシガシと拭いていて、細かい水滴が周りに散ってる。

それヤメロっていつも言ってるのに。
まったくもって聞かねーなコイツは。

「……………………」

いや、そうじゃねーよ。そこじゃねーよ。

アレ? パンツは?

ぼんやりとヒル魔を見ていたら、ヒル魔はペタペタとキッチンの方に向かって、戻ってきたときには牛乳パックを持っていた。
そんで、それに直接口を付けて飲み始める。

それもヤメロって言ってんだろ。

しかも恐らく中身を飲み切ってはいないその牛乳パックは、何口か飲むと用が済んだとばかりに適当にテーブルへ置かれた。
仕舞うつもりなんてサラサラない。

仕舞えよ。
牛乳は自分で歩いて冷蔵庫に帰ったりなんかはしねーんだよ。

「置きっぱなしにすんなよ」
「……………………」

注意しても、ヒル魔はツーンと無視したまま牛乳には一瞥もくれない。
それもまぁ、いつものことといえばいつものことだ。

しかたなく放置されて牛乳を手に取り、ついでに嫌味っぽくため息をついてみせる。
当然のようにそんなもの聞いちゃいないヒル魔は、パソコンの前に陣取ってなにやら作業を始めた。

なんて嫌な野郎だ。

「………………」

こうなるともう押し問答にすらならないので、あきらめてヒル魔が放置した牛乳を手に持ち、冷蔵庫に向かう。

まぁ、こんなのは、いつものことだ。
ヒル魔が出しっぱなしにする牛乳をしまうのも、脱ぎ捨てた靴下を洗濯機に放り込むのも。

そんで、風呂上りのヒル魔の着替えを用意するのも。

「………………」

パンツは?

いや、パンツどうなったんだよ。
あの、ピンクのパンツは。

牛乳をしまったあと、リビングには戻らず脱衣所へ向かう。
確認のため覗き込むと、洗濯機の上に置いた着替えはもうない。
Tシャツもスウェットも、ヒル魔が着てた。

で、パンツは?

パンツもない。
ないということは、履かれたということか?

まぁ、パンツなんだから、置いてあったら履くだろう。
風呂あがって、パンツ置いてあって、他にパンツなかったら、履く。

え? 履いたの?

「……………………」

ピンクの?

なんのリアクションもないってことは、別に何も気にせず履いたってことか?

なんでだよ。
「なんでピンクなんだよ!」って言えよ。
それを待ってたんだよコッチは。

オカシイだろ。お前がピンクのパンツ履いてたら。
明日部活どうすんの? そのパンツで行くの?

まぁ実際は、部活で誰かが着替えてるとき、パンツがピンクだったからって別にどうってことない。
派手なパンツ履いてるやつなんでいくらでもいるし、そもそもピンクっていったって、柄があるわけでもない無地のもので、「派手」に分類するほどのものじゃない。

ただヒル魔には似つかわしくないと思ったから、嫌がらせとして買ってきたのに、どうやら通じなかったんだろうか。

今まで用意されたことなんてなかったピンクのパンツを見ても、「ふーん」くらいで気にも留めず、普通に着用したんだろうか。

「………………」

まぁアイツ基本、頭オカシイからな。

ヒル魔は、拘らないものには本当に拘らない。
栄養面さえ満たされているなら、三食毎日同じ物を食べていても平気だし、オレがうっかりヒル魔のマグを割って買い換えたときも、まったくもって気にしてなかった。下手すれば、気付いてすらいない。

パンツの色は、ヒル魔にとってそれらと一緒なんだろうか。
黒だろうと赤だろうとピンクだろうと、まったく気にならないどうでも良いものなんだろうか。

なんだよ。せっかく買ってきたのに。

どうやらオレがウキウキした気分で仕掛けたちょっとしたイヤズラは、華麗にスルーされたらしい。
「ピンクでも別にいいや」と思われたか、もしくはまったく何の感情も持たれなかった可能性さえある。

なんだよ。揶揄ってやろうと思ってたのに。

分かりにくかったか? 分かりにくかったのか?

オレ的には「ヒル魔がピンク」って時点でオカシサ満載だろうと思ったけど、いつもの物の色違いってだけでは、インパクトに欠けたんだろうか。
もっとこう、股間部がゾウになってるとかそういうのじゃなきゃダメか? 気づかないか?

無関心野郎め。
もっと生活を楽しめよ。

使うものや着るものに、もうちょっと頓着したっていいだろう。

「……………………」

リビングに戻ったら、無関心野郎はまさにパチパチとキーボードを叩いていた。

なんだよ。ツマンネ。





そういうことがあったその翌日、オレは再び下着店へ来訪していた。

なんとか、どうにか、ヒル魔を驚かせたい。
「なんだよこれ!」って言わせて、そんで、「パンツくらい自分で買え!」と言ってやりたい。

色違いなくらいじゃダメだ。
ピンクだろうと、その上から服を着てしまえば分からないし、履き心地も変わらない。

もっと違いがないとダメなんだ。
なんかアイツバカだから。気付かない。色違いくらいじゃ。

いっそヒョウ柄とかか?
いや、見た目じゃダメなのか? 見た目じゃなく、もっと大胆な違いが必要なんじゃないか?

ジョークグッズとして定番の、股間が動物を模してあったりするものが真っ先に頭に浮かぶけど、ちょっと探した感じではそういうものは置いてなかった。

普通の店じゃダメなのかな。
もっと、大人のお店で扱ってるものなんだろうか。

まぁでも、あったとしても、それをオレが買うっていうのは、かなりハードル高いけど。

そこまでいかなくても、何かないかとウロウロと店内を物色した。

いっそ白いブリーフにしてみるとか?
でもそれも、シレっと履きそうな気もする。

いちご柄などというのもインパクトがあるか?
でもそれも結局見た目の違いだけじゃ、また「いーや」と流される危険がある。
そもそも、ヒル魔が自分が履くパンツの柄を、ちゃんと認識しているのか怪しい。

イマイチこれだってものがないなーと、ただ店内をフラフラして、ふと、一点のパンツに目を止めた。

「……………………」

色は、黒い。ただの黒一色。
色だけでいったら、いつもと同じだ。

ただ、小さい。

「…………………………」

引き寄せられるように腕を伸ばし、手に取って見てみる。

布の面積が、極小だ。

前部分がやや立体的な作りになってるけど、それにしたって小さすぎねーか?
タマ的なものとか、大丈夫なのか?

そういう心配をしながらしげしげとそれを眺めて、そして気が付いた。
一目見たときは、所謂「ブーメランパンツ」というものだと思ったけど、よく見たら、後ろ側がほぼヒモだ。

もしかして、アレか。
Tバックというやつか。

「…………………………」

これは、天啓だと思った。

これだ。これしかない。

これだったら、いくらヒル魔だって気付くだろう。
え? 小さくね? って思うだろう。
ケツヒモじゃね? って思うだろう。

ここまでのものなら、気にせずにはいられないだろう。
「テメェなに考えてやがる!」と怒鳴ってくるヒル魔の声が、もう聞こえてくるようだ。

これだ。これしかない。

ただ手の中で一瞬チラリと値札が見えて、それを目にしたとき後ろ側がヒモだったときよりも驚いた。

ウソだろ。高すぎだろ。

なんでこんな布少ねーのに、そんな値段すんだよ。
一センチ四方辺りで幾らになるんだ。

自分的には、パンツにかける費用としては論外だし、ちょっとしたイタズラにかける費用としても、躊躇が生まれるくらいの額。

「……………………」

でもさっき、確かにこれに運命を感じてしまった。
何か目に見えない力が引き合わせてくれたように思った。

昨日の失敗により覚えたガッカリ感を思い出す。
これなら絶対、大丈夫。

今度こそヒル魔に、「パンツくらいテメェで買え!」と言える。

それを思えば、これくらい、これくらい…………。

結局その誘惑に逆らえず、運命に従ってそのパンツをレジへと運び、大枚を払ってTバックを手に入れた。






その日のヒル魔は、部活が終わって真っすぐ帰ってきて、今は一緒にメシなど食ってる。

葉っぱを洗ってちぎっただけのサラダと買ってきた惣菜を並べただけの食卓だけど、なにせ今日はパンツ騒動で色々と時間をとられてしまったので仕方ない。

食にも対して拘りのないヒル魔は、とりあえず量だけ与えておけば大人しくそれを食べて満足する。
手抜きな夕食が済むと、ヒル魔がまたパチパチとパソコンを触ってるのをソファに座って横目で眺めた。

風呂は、まだかな。
まだ風呂には、入らねーのかな。

買ってきたパンツは、カバンの奥底に隠すようにしまってある。
今日は、あれを出す。

「風呂湧いてるけど」などと声をかけたくなるけど、なんか不自然かと思ってぐっと堪える。

風呂に入れ。
早く、入れ。

そういう祈りが通じたのかは分からないけど、ヒル魔がすっと立ち上がって、パソコンの前から離れる。

なんだ、風呂か。どうなんだ。

気になってしょうがないけど、気にしてない風を装ってまったく頭に入ってこないテレビを眺め見る。
オレとテレビの間をのっそり歩いて通ったヒル魔の向かう先がどこか、視線をやらずに気配で探る。

もしかしてキッチンに向かっただけだろうか。
喉が渇いたとかで、冷蔵庫へ向かったのかも。

期待が外れたらガッカリするから、あえてそんな予想を立てる。

ただヒル魔の気配はキッチンを通り越して、風呂場の方へと向かっていった。

「……………………」

これは、そうなのか? 風呂なのか?

手に汗握る思いで、でも確認にいくにはまだ早いとぐっと堪えていたら、神経の研ぎ澄まされた耳に、シャワーの水音が聞こえてきた。

風呂だ。

なぜか心配で、そのシャワーの音がすぐ止まりはしないかとちょっと間をあける。
止まない。これは、風呂だ。ヒル魔が、風呂に入った。

「……………………」

別に、普段通りだ。
ヒル魔が風呂に入って、そしたらオレは、脱衣所にヒル魔着替えを用意する。
なにもオカシイことはない。

そう思うけど、カバンの中からパンツを取り出したら、なぜかかなり緊張感があった。

小さい。
しかも、なんか、パンツだらけの下着店で見たときでも結構なシロモノだと思ったけど、家の中で見ると更にドギツい感じがする。

ヤベー。これはヤベェ。

これを目にしたら、ヒル魔はどう思うだろうか。
いつものように風呂からあがって、用意されたパンツを履こうとしてこれだったら、ヒル魔はどうするだろうか。

Tバックを握りしめ、浮かれるオレ。
かなりダメな感じだけど、ウキウキが止まらない。

重大なミッションに挑むスパイのような気持ちで、そのパンツとそれから着替えを持って風呂場へそろそろと近づく。
脱衣所のドアを開けたら、当然風呂場のドアは閉まって、中でヒル魔がシャワーを浴びているようだった。

洗濯機の上に、着替えとタオルを載せる。
順番はいつも、上からタオル、パンツ、Tシャツ、スウェット。

一番上がタオルだから、明らかに布が少なすぎる異質なパンツは隠される。

ヒル魔が「アレ?」と思うのは、タオルを手に取ったときだろうか。
それとも、いざ履こうとパンツを手に取ったときだろうか。

なにかが小さく「くかか」と音を立ててるなと思ったら、堪えきれてない自分の笑い声だった。

危ない危ない。
ヒル魔に何か怪しいと感づかれては困るので、それ以上笑いが漏れないうちにまたそろりそろりと脱衣所を後にした。



ソファに座り、テレビのチャンネルを回す。
どうせどれ見てたって頭になんか入ってこないのは分かってるので、適当なバラエティを流して、あとはずっと風呂の方へと神経を傾けていた。

「うわ!」とか言うだろうか。
ビックリして、思わず声をあげたりなんかするだろうか。

ヒル魔のそんなところは見たことないけど、さすがにあのパンツ見たら「うぉ」くらい言うんじゃないだろうか。

オレだったら言う。
オレのパンツを手に取ってそれがTバックだったら「うぉっ」ってなる。

うぉってなって、コラー! ってなる。
誰だ!

そうなる。

ヒル魔は、どうなるだろうか。

テレビから聞こえる笑い声の歓声と拍手の音が、自分へ向けられてるものに思えてくる。
そのくらい浮かれてる。

今日こそは、今度こそは、驚いて怒るヒル魔とそれをあしらうオレ、という構図が出来上がる。

そう思ってテレビからの歓声を浴びながらふるふると期待に打ち震えていたら、スウェットを着て髪をぺたっとさせたヒル魔が、のんびりと前を横切っていった。

「……………………」

手には牛乳パックを持っている。
そんでそのまま直接口を付けて飲んで、ぽいっとテーブルの上に置いた。

「……………………」

アレ?

「風呂、上がったの…………?」
「ハ?」

返ってきたヒル魔の声は「バカじゃねーの?」って感じだ。
まぁ、それはそうだ。
どう見ても、風呂上りの様相だ。

いつものようにTシャツにスウェットで、肩にタオルをかけている。
濡れた髪を乱雑に拭い牛乳を飲む。
まったくいつも通り、なんの変哲もない風呂上りの日常だ。

「……………………」

え? パンツは?

ここで不自然な態度をとってはダメだと思うけど、咄嗟に勢いよく立ち上がってしまう。
そういう不審な動作をヒル魔はまったく気にした様子を見せなかったけど、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ、今度は急な動きにならないようそっと歩き出して、脱衣所の方に向かった。

それでの半分くらい歩いたところで、はやる気持ちでどうしても速足程度になったけど。

「………………」

脱衣所の中を覗き見る。
見るのは、洗濯機の上だ。

服はない。そりゃそうだ。ヒル魔が着てた。
それはさっき見た。

「……………………」

パンツは?

確かに、ここに置いた。置いたよな? あのパンツを。

脱衣所の入り口から除いただけじゃ、洗濯機の上には何もない。
パンツもない。

いやでもそんなわけねーだろと思って中に足を踏み入れ、もしかしてどっかに落っこちてんじゃないかと、洗濯機の前や横を探す。
ない。

身を乗り出して、裏側まで確認してみる。
ない。

「……………………」

パンツがない。

ないわけない。おかしいだろ。
だってここになかったら、ないってことは。

……………………履いてるってことじゃん。

「えぇー…………」

嘘だろ。そんなわけない。
履かない。アレは履かない。

いっそ捨てたか?
あんなパンツを目にして、頭にきて捨てたのか?

だとしたら今ヒル魔はノーパンなのか?

しかしそれにしたって、なんでなんのリアクションもねーんだよ。
怒って捨てるにしたって、オレの渾身の悪戯に対して、なんで何も言ってこねーんだよ。

洗濯機の回り以外も、脱衣所の中から風呂場の中まで探したけど、結局パンツは見つからなかった。
ゴミ箱にもないし、リビングへ戻る途中にもなかった。

ということは、ヒル魔が、履いてるか、持ってるか、どっちかだ。

「……………………」

何事もなかった風を装って、極めて自然になるようゆっくりとソファに座る。
ヒル魔は相変わらず、何をそんなにすることがあるんだかパソコンに向かってパチパチカチカチ作業中だ。

パンツがなかった。なくなってた。
どこにもないということは、ヒル魔が履いてるか持ってるかだけど、パンツを持ち歩く理由なんてない。

じゃぁやっぱり履いてるのか? アレを?

いやいや、おかしいだろ。
いつものパンツと同じように、何も気にせず、なんの感想もなく、なんの引っかかりもなく履いたのか? 自然に? 当たり前のように?

後ろヒモなのに??

用意されてたら、なんの疑問もなく履いちゃうのか?
たとえばもし、オレが荒縄とか置いといてたらどーすんの?
お前大丈夫なの?

「……………………」

椅子に腰かけているヒル魔の腰の辺りを見る。
どれだけ見ても、スウェットの中身が透けて見えることはなくて、中がどうなってるかなんて分からない。

あれを履いてるなんて思えない。
でもあれを履いてないとしたら、他にパンツはなかったはずだから、パンツ自体を履いてないってことになる。

履いてるのか? ノーパンなのか?

いっそ立って歩いてくれれば、ケツのとこにパンツの線が出るか出ないかとかで分かるだろうか。
いやでもTバックだ。あれを履いてたってパンツの線は出ない。

どうやっても分からない。でも何かヒントはないかと股間部ばかりを凝視する。

アレを履いてるとしたら、どうやって仕舞ってるんだろう。
全部収まったんだろうか。

「どこ見てんだよスケベ野郎」
「……………………」

ヒル魔の視線は一回だってパソコンの画面から動いてなかったのに、なぜ分かったのかは分からないけど淡々と突っ込まれた。

「………………」

それからやっとパソコンから視線を外して、座ったまま体を少しこちらへ向ける。
そこまでなっても、どうしても視線は下半身の辺りをチラチラ見てしまう。

ヒル魔の顔は、普通な感じだ。
飄々として、冷めてるような、興味なさそうな、普段の顔だ。

いやお前、そんな普通な顔してるけど、Tバックなんじゃねーの?
Tバック履いてそんな普通な顔なの?

もしくは、ノーパンじゃねーの?
ノーパンかTバックのヤツが、なにシレっと普通の顔してんの?

「………………あのパンツ、履いてんの?」

本当だったら、パンツのことを言い出すのはヒル魔のはずだったのに。
ヒル魔が「なんだよこれ!」って言って、そんで「パンツくらい自分で買え!」って言ってやるはずだったのに。

でももうあのパンツの行方が気になりすぎて、我慢できずに自分から切り出した。

どうなの? 履いてんの?

悪戯は失敗で、しかもその悪戯を咎められているような気分で、自然と声が小さくなる。
くだらねーことしてんなとでも思われたのかな。

相手にされてないって感じは、なんか惨めで滑稽だ。

パンツを買うときにはあんなに高揚していた気持ちがしょんぼりと落ち込む。
高かったのに。

「………………」

ヒル魔が椅子から立ち上がって、オレの座るソファの目の前まで歩いてきた。
前に立たれると、顔の下くらいにある腰に、やっぱり目がいった。

「確かめてみろよ」
「……………………え?」

ヒル魔が自分の腹を下から撫でるように触ると、Tシャツが捲れて白い腹が見えた。

それから手首を掴まれて、ゆっくりとその手をヒル魔の方へ引き寄せられる。

ぼんやりと白い腹を見てるうちに、引っ張られる手はその見ていた白い腹にペタリと触れて、それからするすると、ゴムのウエスト部からスウェットの中に手が入る。

履いてるのか、履いてないのか、指先が核心の部分にあたる。

「…………………………」

ヒル魔の目がすっと細められて、ニヤァ、っと笑った。


…………………………なるほど。なるほど。


'16.09.28