「ん〜ん〜〜v」

申し訳程度に設置されたキッチンで、そろそろ帰ってくるであろう家主を待って料理を作る。
男が二人住むにはやや狭いアパート。
それでも転がり込んできたサンジに文句の出ようはずもない。

3年前に交通事故にあって、幸い大事にはいたらなかったものの長期の入院でバイトはクビ。
だらだら腐っているうちに大学も退学になって、金も住む所もなくなって行き着いたのがゾロの家。
ゾロは別に文句も言わないし、卒業して社会人になったりして、なんだかすっかり住み着いたサンジを養ってくれていた。

ふと、料理の手をとめてサンジが振り返る。

———また・・・。

最近、時々耳につくようになった時計の秒針のようなコチコチという機械音。
最初は気にしなかったのに、だんだん大きくなってくる気がする。
部屋のどの時計とも違う音。
そんなに長い間聞こえているワケじゃないが気になってしかたがない。
音がきこえなくなっても、しばらく緊張して動けないでいたらガチャリと玄関のドアが開いた。

「ただいま」
「あ、おかえり・・・」

しまった、料理の途中なのにボンヤリしてしまった。
キッチンに後ろを向いて突っ立っていることを不審に思われないように慌てて料理の手を再開した。

「・・・また、聞こえたのか?」
「あー、いや・・・別に・・・」
「気にすんなよ」

ぎゅ、と負担がかかりすぎない程度の力で後ろから抱き込まれた。

「・・・おぅ」

ゾロの体温は、なんて安心するのだろう。
例え今例の機械音が聞こえてきたとしても、ゾロの強い心音でかき消されてしまうに違いない。
肩からふっと力が抜けて、自分で思っていた以上に緊張していたのだなと思った。

「もぅいいから座ってメシできんの待ってろ」
「んー、離れがたい・・・」
「あほ」

ゾロの手が、サンジを落ち着けるという以上の意図を持って触れてきたのに気付いて見えない後ろの脚を蹴ってやる。

「今日も疲れたなー」
「だから座って休んでろって」
「んー、気力の充電」
「ぐぁ、苦しいっつーの」

軽くじゃれあいながら完成間近だった料理を仕上げて、皿に盛ってゾロに運ばせた。

「いただきます」
「あ、待て待てゾロ。『いただきますのキスは』?」
「あ?なんだそりゃ、聞いた事ねェよ」
「今日からウチの家訓だ」
「知ったたけどやっぱりアホだなテメェは」

ぐっと身を乗り出してテーブルの上で軽くキスをした。
思わず笑ってしまったが「テメェが言い出したクセに」とか言いながらゾロも笑っていた。

「バカップルみたいだなオレら」
「今ごろ気付いたのか」

風呂に入るときも寝るときも、もちろんバカップルのように始終一緒だった。
きっとこういうのを幸せって呼ぶんだろうな、と思った。










今日も今日とて若奥さまは、せかせかと家事をこなして旦那さまの帰りを待つ。
夕飯は何にしようかとか考えながら大して広くも無い部屋に掃除機をかける。

(ゾロが魚が好きだけどな)
(最近魚続いてたし、体力つけるために肉かな。肉)
(なぁんて体力つけてどうするきだっつーのオレ!)

かなり恥かしい思考回路だ。
楽しい気分で掃除をつづけながら、突然はっと顔を上げた。

————聞こえる・・・。

コチコチと。
やっぱりこの前より大きいような気がする。
ゾロは気のせいだとか、疲れてるんだろうとかいうけど、自分にははっきりと聞こえるのだ。

部屋中の、時計という時計に耳をあててみる。
これも違う、あれも違う。
音が止まない。
時計という時計の電池を全て抜き取った。
壁掛け時計も、目覚し時計も。
それでも止まない。

ふとい時刻を表示しているビデオデッキの小窓に気付いて、ラックからひっぱりだしたソレを床に叩きつけた。
止まない。
音が止まない。

布団を引っ張り出して頭から被った。
どこから聞こえてくるのかわからない。
止まない。
音が止まない。










「ただい・・・ま・・・・・・」

ゾロが帰ってきて、床に転がっているビデオデッキをみて表情をゆがめた。

「サンジ?」
「あ、ゴメ・・・ゾロ、ビデオ・・・」
「それはいい、どうした?」
「だって、音が、音が・・・」

ゾロが近づいてきて、ぎゅっと握りこんだ布団を優しく剥がされた。

「ゾロには聞こえないのか!?き、機械の音が・・・」
「サンジ」
「ずっと、今も・・・っ」

ぐっと上を向かされてゾロの両耳を手で覆われた。

「ぁ・・・?」
「手で耳を塞いだときに聞こえる音って腕の筋肉が動く音なんだってよ」

いわれて耳を澄ませると、なんだかゴウゴウという音が聞こえる。
筋肉の動く音。血液の流れる音。
機械じゃなくて、生命が奏でる音。
気が付いたら、機械の音は聞こえなくなっていた。

「まだ聞こえるか?」
「・・・・・いや、止んだ」
「そうか」

ゾロが笑ったのにつられてサンジ笑う。
落ち着いてあらたえて部屋を見回せば、時計から抜き取った電池が床を転がってるわ、壊れたデッキからはなんだかワケのわからない機械片がとびだしてるわで酷い有様だ。
それから、夕飯の買い物もせずに布団に篭りっきりだったのを思い出した。

「あ、そうだ、ゴメンオレ飯作ってねぇんだ」
「あー、いい。たまには外で食うか」
「安月給のくせにムリすんな」
「ウルセー、オレはエリートコースまっしぐらだっつーの」
「ウソつけー」

食事から帰って、もぅ一回アレやってくれと布団の中で両耳をゾロに塞いでもらう。
相変わらず温かい力強い音に安心して眠りに落ちた。










「まだかなー」

今日の夕食は奮発してイイ肉を買ってのスキヤキ。

(赤貧の家計に大打撃だな)
(でもゾロには精力、じゃなかった体力つけて・・・)
(ふふ)

サンジは一人上手だった。
時間はいつもゾロ帰ってくる時間を少し過ぎたくらい。
下準備を全てすませて、あとはゾロがそこに座れば料理の出来上がりだ。
なのに。

30分待って、一時間待って。
それでも帰ってこない。

「遅いなー・・・」

いつも計ったように同じ時間に帰ってきていたのに。
まぁ仕事だし、ちょっとくらい遅くなることもある。
大幅に帰るのが遅れるようなことや、夕食がいらなくなるようなことがあれば前もって連絡してくるハズだし。

————また・・・。

コチコチ

———————まただ。

前よりも一層酷い音。
咄嗟に辺りを見ても、そんな音が聞こえてきそうな機械類は全てゾロが昨日のうちにサンジの目の届かない場所に電源を抜いてしまってくれた。

————どこから。

聞こえてくるのかわからない。
右を向いても、左を向いても同じ方向から聞こえてくるような気がする。

コチコチ

音が酷くなる。
キリキリとゼンマイを巻くような音すら聞こえてくるような。

コチコチ

テーブルの上に目を落とす。
ゾロからの連絡がいつ入ってもいいように待機させておいた携帯電話が目に入って、ソレを壁に投げつけた。
蓋が取れて電池パックの飛び出た携帯。

コチコチ

また布団を被る。
玄関を見てもまだゾロは帰ってこない。

コチコチ

止まない。

コチコチ

音が。
酷くなる。

ゾロが帰ってきてくれて、昨日のように耳を塞いでくれたらいいのに。
そうだ、あの音が聞きたい。
力強い生命の動く音が聞きたい。

ふと気が付いて自分の手を見下ろした。
ゾロ程温かく力強くなくても、自分のソレでもまだましになる気がした。
そっと掌を耳に押し当てる。

————聞こえた。

コチコチ

ドコから聞こえてくるのかわからなかったそれ。

コチコチ

機械の音。止まないそれ。

「————オレ・・・?」

ぐっと押し当てた掌からハッキリと聞こえる機械の音。
離れても離れてもつきまとう音。

「オレは・・・」

————なに?

ガチャリと玄関のドアが開いた。
ゾロだ。

「サンジ?」

サンジ。それがオレの名前。
コックを目指してて、有名なレストランのオーナーに育てられて。

コチコチ

三年前に交通事故にあって、幸い大事には————。

コチコチ

交通事故にあって————。


コチコチ


コチコチ


「死んだ?」

死んだ。サンジは死んだ。
死んだ。死んだ。死んだ死んだ死んだ————。

コチコチ

掌から生命の音は聞こえない。
なぜならオレは作られた———。

「———機械」

ゾロが溜め息をついた。
緩慢な動作でサンジに歩み寄ってくる。

「また、思い出しちまったか・・・」

(———また?)

コチコチ

「そんな記憶は入れてねェはずなのに」

(入れる、記憶を入れる・・・)

コチコチ

「大丈夫だ、またスグ直るから」

コチコチ

ゾロがサンジのクビの後ろにある『電源』に触れた。

「い・・・やだゾロやめ——」



コチコ・・・



ブツリと、画面が暗転した。










「ん〜ん〜〜v」

申し訳程度に設置されたキッチンで、そろそろ帰ってくるであろう家主を待って料理を作る。
男が二人住むにはやや狭いアパート。
それでも転がり込んできたサンジに文句の出ようはずもない。

3年前に交通事故にあって、幸い大事にはいたらなかったものの長期の入院でバイトはクビ。
だらだら腐っているうちに大学も退学になって、金も住む所もなくなって行き着いたのがゾロの家。
ゾロは別に文句も言わないし、卒業して社会人になったりして、なんだかすっかり住み着いたサンジを養ってくれていた。

ふと、料理の手をとめてサンジが振り返る。

———また・・・。


'02.10.23