ヒルルイと葉柱家




いつもの通り葉柱がバイクで泥門まで迎えに来て、いつもの通り飯食ってオレの家。そして今はソファの上。

これもまたいつもの通り葉柱の腰を抱き寄せると、そうされた葉柱の方は、なんかいつもの通りじゃなかった。

「………………」

身体くっつけて雰囲気出すと、葉柱はいつもにまにまをと顔を緩めて、それを堪えるように下唇を噛んだりして、でもやっぱりニヤけた顔を隠しきれずにデレデレしたりする。
そんでキスしたら、なんかきゅくくみたいな音を出して笑って、目ェ瞑って、首をすくめて、オレの服を掴んでグイグイ引っ張ってくる。

「………………」

それが今は、腰を抱いてもなんかむっつりと黙って、困ったような拗ねたような顔してうつむき加減に下の方を見てる。

まぁ、飯食ってるあたりからなんか変だなーとは思ってたけど。
なんか考えこんでいるような、心ここにあらずというような。

別に何か怒ってる感じではなかったし、メンドクセーから特に触れなかったけど。
そもそもコレは珍妙な生き物だから、常人がその思想を推し量ることなんかできねーし。

「あの…………」

だから別段気にせずに、いつもの通り楽しくて気持ちのいいことをしようと思ったら、腕に力を籠めるよりちょっと先に、葉柱がうつむいたまま、そうやってなにか言いかける。

「ア?」
「……………………」

そんでまた、へにゃっとした顔して黙る。

なんだよ。
それ、急用? そうでもねーなら、その話は後にしろよ。

「あのー……」

そのまま黙ってるなら無視しようかと思ったけど、葉柱はまた「むーん」とか「うーん」みたいなことをちっちゃく言って、ついでにコチラの顔色を窺うようにチラっと見てくる。

葉柱はよく意味の分からないことで怒ってテンション上げたりしてて、そういうのは別に一発ヤっちまえば大人しくなるから構わずにコトを進めるんだけど、なにやら今回は様子が違う。
怒ってないし、テンション上げてないし、どちらかといえば、なんかしょんぼりした空気さえ出してる。

「………………なんだよ」

頭のトサカさえヘタってるように見えて、なんとなくペタリと髪に触ってそう言ってみたら、葉柱はなぜか縋るような表情をして顔を上げる。

「………今日は、ダメかも」

……………………ア?

ダメって、なにが?
まさか、これから行おうとしてた、楽しくて気持ちいなにかのコト?

「つーか、あんま、アレかも」
「はァ?」
「これからあんま、泊まったりとかダメかも…………」

つーか、なんで全部「かも」なんだよ。
ダメかもだけど、ダメじゃねーかもなわけか?

そもそも葉柱はしょんぼりしてるから、気持ちいことがしたくないわけでも、泊まりたくないわけでもないんだろう。
「かも」なんてのは多分、ダメなんだろうけど、ダメなのが嫌だなぁという気持ちの表れだ。

一回エロい的な雰囲気になったら、大抵のことはそんなもん後でいいだろと意に介さないんだけど、今の珍しい様子にはなんとなく興味を惹かれる。

「なんで」

ホント、なんで。

だって抱き寄せてる葉柱は、ダメかもなんて言いつつも腕を回し返してきてて、全然このまま持ち込んでもOKみたいな雰囲気だしてる。


「………………」

それでも試しに葉柱を押し倒そうとしてみたら、いつもだったらコロンと転がるところ、確かに体に力を入れて、申し訳程度には抵抗してる。

なるほど。一応本気か。

それから葉柱はチラっと時計を見て、また小っちゃく「キョウカエル」みたいなコトを言う。
でも、完全に帰りたくなさそうな顔で。

これは押したら全然いけるだろ。というか、押されたくて言ってんじゃねーのとすら思う。

「ひ、ひるま…………」

もう意味もわかんねーし、葉柱の変わった様子への興味もだんだん薄れてきたというか、正直なところ、ちょっと身体を固くして抵抗する態度を見せる葉柱にムラムラきてて、こういうの結構燃えるなと思ってる。

だから腕に籠める力をちょっと強くして、抱き寄せる動きに葉柱が体を引こうとするタイミングで押し倒してみた。

うまい具合にソファに転がった葉柱は、ビックリしたような顔してる。
そんで2秒くらいポカンとした顔して、それからやっとはっとしたような顔を見せて体の間に腕を突っ込むと、それを突っ張るようにしてイヤイヤみたいな動きをする。

なんかお前、隙だらけだな。
隙だらけで、そのくせ抵抗して、オレ、こういうのイイかも。

「ちょ、きけよ……っ」

服の下に手を突っ込んだら、慌てたように顔を赤くして裾を引っ張ってる。

これはもうそういうプレイだろうという気分になって、脱がそうとするオレと脱がされまいとする葉柱の攻防を楽しんでたら、葉柱のポケットから携帯の着信音が聞こえてきた。

それだけなら別段気にすることもなかったけど、その音が聞こえた瞬間に、葉柱があからさまにギクっとした顔する。
そんで急にキョロキョロして、そわそわ、ハラハラ、おどおど、みたいな、よく分からない態度をとる。

ただ確実に、イチャイチャプレイの範疇くらいだったはずの抵抗に力が入って、腕をぐっと突っ張ると、できた隙間から這い出るようにしてソファを抜け出した。

なのになぜか、いまだなり続ける電話には出ずに、そうすれば鳴りやむとでもいうかのように、ポケットの上から携帯を抑えてる。

「……………………」

お前、まさか、アレか?
浮気してるとか言い出すんじゃねーだろうな。

オレの前では出れねーような相手からか?
そういう経緯でのセックス拒否なわけか?

たださっきの煮え切らないような態度からして、二股だとか、両天秤にかけてるとか、そういう最中なわけか?

「……………………」

もしもうセックスしてやがったらコロス。

まんじりとしてる葉柱のポケットを抑える手を叩いて払い、そのポケットに手を突っ込んだ。

すぐ手にあたる携帯を掴んで引き抜くと、もっと慌てるかと思った葉柱は、別にそんなことはなくただムスっとしたまま黙ってる。

なんだそれ、意味わかんねーな。

葉柱の反応の意味が分からな過ぎて、一瞬沸騰しそうなくらいに覚えたムカつきは続かずに、でも消えるわけでもなく発散の仕方が分からない。

そういう思いは、携帯の着信の文字を見たら、よけい分からなくなった。

「………………家?」

携帯のディスプレイには、なんかアホみたいに「家」とだけ出てる。
家ってなんだよ。どういう登録の仕方だ。

浮気相手の家?
いや、どう考えても、普通そんな入れ方しねーだろ。
あと、普通携帯だろ。

「………………」

思わず口に出た着信相手の「家」という言葉に、葉柱はやっぱりって感じで口をとがらせてまた拗ねたような表情をつくる。

思った通りの相手だったってこと?
というか、「家」って、多分、そうだよな?
家。

「出れば」

携帯をぽいっと投げ渡したら、葉柱はまるっとした手でなんなく受け止める。
なんかお前持つと、携帯ちっちゃく見えるな。

葉柱は手の中の携帯にチラっと一瞥くれて、それからなぜかオレのことを上目遣いような感じで伺い見る。

別に何を言うでもなくそれを見てたら、葉柱は依然鳴りやまない携帯にあきらめたように、通話ボタンを押して耳を寄せた。

「…………なに」

そんでぶっきらぼうに、そんなこと言ってる。

「うん。そう。…………別に」

素っ気ねーな。
家って、家だろ?

親。相手はおそらく、母親。

葉柱はもそもそと、「うん」と「ううん」だけで会話を続けて、最後にまた「うん」と言って通話を終えた。

「……………………」

通話後の葉柱は、よりブスっとした顔になって、もう視線は上げずに自分のつま先あたりを見ながらまたちっちゃく「カエル」とか言ってる。

雰囲気的には、怒られた後の子供だ。
雰囲気的にはっていうか、多分、実際に怒られた後の子供なんだろう。

早く帰ってこいとでも言われたんだろうな。
というか、「これからはあんまり泊まれねーかも」みてーなこと言ってたな。

その辺ひっくるめて、怒られたのか。

確かに最近の葉柱は、部活終わりに泥門まで迎えにきては、そのままオレん家にきて、ダラダライチャイチャして、セックスして、そうするとそのまま泊まってく。
んで、朝には泥門寄って、そのまま賊学へ登校。

よくよく考えれば、全然家に帰ってない。

葉柱はそもそも優等生とは言えない人間に育ってんだから、ちょっとくらいの外泊にごちゃごちゃいうような家庭じゃないだろうとは思うけど、あまりに度が過ぎたってことか。

「なんだって?」
「…………カエッテコイッテ」

拗ねてんな。

「なんか、そんな頻繁に泊まってばっかりいたら、迷惑だろって…………」

そう言った葉柱は、ちょっとだけ不安が混じったような目でコチラを伺い見る。

「一人暮らしだから平気っていったけど、ヒジョウシキだって」

いや、別にオレは迷惑ではねーけど。
まぁそれは、親の方も方便なんだろうな。

「非常識」というのは、まぁ葉柱に対して半分、それからその相手、つまりはオレに対して半分なんだろう。

「………………」

カエルとか言ってる葉柱は、そのくせまだ拗ねたような顔をしてじっとしてるだけで、まったく帰る準備を進めない。

なんだろう。オレに「帰るなよ」とでも言って欲しいのか。

別にそのくらい言ったっていいけど、言われたらお前困るんじゃねーの?

葉柱はもう、親の権力と金に関して使い放題というか、むしゃぶりついてると言っても過言ではないくらいのスネカジリだから、反抗期の不良といえども、最大のスポンサーを本気で怒らせたりするのはマズいと思っているんだろう。

「それに、そんなに泊まらせてもらうなら、お礼も必要だしウチにも連れてこいって」

なんかもう面倒くさくなって、「帰れば」という言葉が出る直前に、葉柱が目も合わせず一気にそうやって言い切った。

「………………ア?」

それまでうだうだもじもじしてた葉柱は、言った後には緊張に身体を強張らせるようにしたまま、何もない右斜め下をじっと見てる。
「…………………………」

もしかして、それを言おうと、ダラダラと帰るタイミングを引っ張って伸ばしてたのか。

「行くわけねーだろ」

行くわけねェ。

オレが行ってどうしろっていうんだよ。

まぁ、葉柱の親が考えてそうなことは分かる。
葉柱は、オレを「一人暮らしのオトモダチ」と言っているようだけど、その説明だと多分、同級生だとは思われてないんだろう。
そうそういねーから。一人暮らしの高校生は。

悪い大人と悪い遊びに勤しんでんじゃねーかと疑われてんだと思う。
悪ガキの火遊び程度じゃない、ヘタすりゃ後ろに手が回るようなことでもしてんじゃないかと思われてんだ。

だから、「お礼するから連れてこい」なんてのは、ただの方便だ。
連れてこれるわけなんてねーと思ってる。
そんで、紹介もできない相手とは手を切れってことだ。

「…………そうだよな」

行かないと言ったら、葉柱は「なんで」「なんで」とアホみたいにゴネルかと思ったのに、意外とアッサリそういって、またしょんぼりとトサカをヘタれさせてる。

そうだろ。
まぁテメェも、まさか親にカレシを紹介しようとするほどのバカじゃなくってよかったぜ。

「……………………」

話はそれで終わりで、葉柱はそうやってしょんぼりしたまま帰るのかと思ったら、なぜかにじりにじりと近寄ってきて、潜り込むようにして腕の中に納まってきた。

帰んねーのかよ、とか言うのはさすがに酷いだろうか。
まぁ別に、帰らないなら帰らないで、こっちはかまわねーし。

セックスすんのかな。

どっちともつかないような態度の葉柱に、試しに腰のあたりを撫でてみたら、腕にぎゅーっと力を入れて、ただただしがみついてきた。

「………………」

お前なぁ。
そんな顔で可愛い子ぶってんじゃねーぞ。

なんというか葉柱は、「お姫様体質」だ。
不機嫌そうにしたり、イヤイヤと駄々をこねるような空気を出せば、周りがなんとかしてくれると思ってるフシがある。

多分、賊学の連中が甘やかすせいだ。

あの中じゃ、葉柱が何を言わなくとも、葉柱さん葉柱さんとせっせと世話を焼いてくれる家臣が揃ってる。
拗ねた顔の一つでも見せれば、皆慌てふためいてご機嫌取りに必死だ。

そうなると分かっててやってるワケじゃねェみてーだけど、そうなって当然とは思ってるっぽい。
人間としての本質がお姫様だ。

あいにくここはお前の王国じゃねーんだから、そうやって甘えた仕草とったからって、なにもかも思い通りにいくとでも思ったら大間違いだからな。










「ただいまー」

そういうわけで、翌週土曜日の夕方。
閑静な住宅街に似つかわしくないバイクに2ケツで、その中でもとりわけ大きな一軒家の前に、葉柱と2人で降り立った。

「…………………」

どういうわけだよ。

まぁそうかもな。
葉柱が、むにゃむにゃした変な態度取り始めた時点で、嫌な予感はしてたんだ。

いつまでもズルズルとしがみ付いてる葉柱を撫でながら、なぜかうっかり「土曜日ならいいぜ」みたいなことを言ったときの、葉柱のビックリした顔を思い出す。
それから、すぐにへにゃっと眉を下げて、きゅーと鳴いたこと。

もう意味わかんねー生物だ。
そんで、その意味のわからない生物の生家まで、こうしてノコノコとやってきた自分自身も、もう意味が分からない。

友達を連れてくという建前だけど、実際は友達以上のことをしてる相手を連れてるわりには、なんの緊張感もなく葉柱が玄関のドアを開ける。

「おかえりなさい」

開いた扉の奥からは、パタパタとスリッパの音を鳴らして、一目で葉柱の血縁者だとわかる女が玄関口までやってきた。

「いらっしゃい」

お前、母親似なんだな。

「ただいま。これ言ってたヒル魔」

靴を脱ぎながら行われる葉柱の雑な紹介に、とりあえず軽く頭を下げる。

言われた母親の方は、上品な服装に上品な笑い方、でもギョロリとした目が頭のてっぺんからつま先までを一瞬で舐めて、それからまたニンマリと笑って「ようこそ」なんて言う。

完全に値踏みされてんじゃーねか。

「オジャマシマス」

でももうここまで来てしまったからにはしょうがない。
夕飯に招待されているので、それ食って、適当に雑談して、控えめに笑って、必要なら多少のごまを擦って、早々においとまさせてもらおう。
多分それだけで、葉柱の親は満足するはずだ。

金髪にピアスのスタイルは真面目な優等生には見えないだろうけど、葉柱のなりからして、七三眼鏡なんか連れてくる方がおかしいし、賊学の連中だってこんな感じだ。
同じ高校生で、多少ヤンチャしてますが、アメフト仲間です、ってな雰囲気を出しとけば、これからは連続の外泊でも安心して葉柱を送り出すだろう。

正直そういう作った態度を葉柱に見せるのはムカつく感じがあったけど、葉柱の方はオレの様子を気にする素振りもないとうか、お前はもっとオレに気をつかえよ。

「メシできてる?」
「ご馳走にしたのよ」

居心地悪く思ってるオレをまったく気にせず、葉柱はずかずかと家の中に上がり込み、案内するとか促すとかいう気づかいも当然みせず、廊下のようになっている通路を進み、そのままリビングと思わしき部屋に入っていく。

しょうがないので黙ってその後ろに続いて、思った通りリビングだった部屋の中に入る。

葉柱家は、なんとなく純和風な家を想像していたけどそんなことはなく、外から見た外観は、どちらかというと小洒落た洋風の作りで、リビングの中もソファにガラスのローテーブル。LDKの作りになってて、対面型キッチンに大き目のダイニングテーブルがあった。

「いらっしゃい」

そんで、ソファには完全にマフィアが座ってた。

なるほど。洋風だ。

「…………おじゃましてます」

なんで親父がいんだよ。

頭を抱えたくなるのを我慢して、マフィアがニコニコ笑いながら立ち上がるの合わせてまた軽く会釈する。

「よく来たね」

これから演説でもぶち上げようとしてるかのような通る声で、そう言ってにこやかに手を差し出してくる。

「………………」

それはおかしいだろうと思いつつも、出されたからにはしょうがないので、こちらも手を差し出して握手を交わす。

すぐに離されるだろうと思ってた手は、思った以上に強い力でぐっと握られたまま離されない。
そんで、母親がそうしたよりもゆっくりじっくりと、ギョロついた視線が頭から足先までを往復した。

母親の方は、そうしているのがバレないようにと一瞬だけの視線だったけど、このオヤジはあきらかに、「今あなたを値踏みしていますよ」ということを、あえてアピールしているようだ。

目でも逸らした方が可愛げがあるかなと思ったけど、露骨に挑発的なやり方に、思わずまっすぐ視線をかえす。

「まぁ座りなさい」

そういう行動をどうとられたかは分からないけど、オヤジは上機嫌のような笑顔をたたえたまま、既にいくつかの料理が並んでいるダイニングテーブルの方へこちらを促した。

もっとも、笑ってるのは顔だけで、胸中どう思ってるのかは知らねーけど。

4人掛けのテーブルの椅子を引いて、先にオヤジが腰かける。
こちらが動くより先に葉柱がオヤジの対角線上の椅子に座り、そうするともう残るのは親父の隣か正面。

どっちも勘弁願いたい場所だけど、消去法でしょうがなく葉柱の隣、ドンの正面の椅子を引いて腰かけた。

つーか、ほんとなんで居んだよ。
仕事してろよ糞公務員。
それか、秘書と温泉にでも行ってろよ。

隣の葉柱がノンキに「オヤジ居たんだ」みたいなことを言ってるのが聞こえてきたので、このマフィアは普段からこの時間に家にいるわけではなく、坊ちゃんのオトモダチがやってくると聞いてわざわざ待ち構えていたのだと知る。
なんでだよ。

「そういや兄貴は?」
「今日はお友達とお約束があるんですって」

糞議員様も、オトモダチとでもアイジンとても、オヤクソクしてくれてりゃ良かったのに。

「ヒル魔くんだったね。ヒル魔くんは、お酒はイケるクチかな?」

おいオッサン頭イカレてんのか。

こっちは制服のブレザーきた完全な未成年だぞ。

「うん。未成年の飲酒はよくない。それはよくないが、保護者のもと、その晩酌に付き合う程度であれば、それはかまわない」

こちらがなにも返す前に、うんうんと何か勝手に納得するようにそう言って、ついで「母さんビール」みたいなこと言うと、その母さんの方もニコニコしながら冷蔵庫から瓶ビールをとりだし、それからコップを2つ持ってくる。

ババァ。テメェもか。

そもそも、コイツ健全な青少年がなんたらみたいなこと謳ってなかったか?
デタラメにも程があるだろ。

まぁ息子が既にこんなんなってんだから、そんなもんに説得力もクソもねーか。

だってその息子は、未成年に酒を進める親父になんの疑問ももたず、なんか「オレも」「オレも」とか言いながら、席を立ってキッチンの母親のもとへ自分の分のグラスを強請りに行ってる。

止めろよ。親父を。オレも、じゃねーよバカか。

「ダメよ。ルイちゃん弱いんだから」

…………ルイちゃん?

「じゃけぇ、ヒル魔も飲むならいーじゃん」

……………………じゃけぇ?

いやいや待て待て。
ツッコミどころが多すぎて、もう処理しきれねーよ。

ルイちゃんは、まぁいい。
葉柱家では全員葉柱なんだから、下の名前で呼ぶか、「母さん」などの立場の名称で呼び合うのが自然だ。

「ちゃん」付けなのはどうかと思うけど、そんなの人の勝手だ。
葉柱の珍妙な顔に似合わない可愛らしい響きが出てきたんでちょっと面食らったけど、そこまで気にすることじゃない。

で、「じゃけぇ」はなんだよ。

そこで、コイツの兄貴が、そういえばなんか独特の方言で話していたことを思い出す。
それか?

普段葉柱はまるっきり標準語を喋るけど、東京暮らしが長い地方出身者が、同郷のものと話すときだけ言葉が戻るあの現象か?

あとサラっと流しそうになったけど、「弱いんだから」も相当おかしいだろ。

葉柱は、酒に弱くない。
どんだけ飲んだって、顔が赤くなって多少呂律がまわってないかな? くらいだけで、上機嫌で延々飲み続け、翌朝だってケロリとしてる。

それを「弱い」と評価して、しかも言われた葉柱が全然否定してないところを見ると、多分葉柱家はそれ以上なんだ。
化け物か。
いや、顔で既に充分化け物ハウスだけど、そんなとこまでか。

テーブルに置かれた瓶ビールは既に栓が空いてて、混乱気味に情報を処理している間に親父がそれを手に持つと、まぁまぁみたいなことを言いながら、傾けるように差し出してくる。

「どうも」

しょうがないのでコップを手に取りビールを注がれ、それから置かれた瓶を手に取り親父の持つコップへ注ぎ返した。
テーブルの上に置きなおした瓶は、葉柱がまた「オレも」「オレも」とか言いながら手に取って、自分のコップに上機嫌でビールを注いでる。

お前もうムカつくからどっか行けよ。

そういう気分は億尾にも出さずに、「よく来たね」とか言いながら差し出された親父のコップに軽く当てるようグラスを差し出して、無難に乾杯を交わす。

付き合う程度でいいなら、まぁこっちもまったく飲めないってワケじゃねーし、まぁいい。
グラスの中のよく冷えたビールに口をつけてる間に、親父はぐーっとグラスの中のビールを一息で飲み干した。

置かれたコップが空になっているので、また瓶をとってビールを注いだら、親父は満足そうにそれを受けて、それから何を思ってるのか置かれた瓶をすぐ手に取ると、また笑顔でこちらに差し出してくる。

………………ア?

一口飲んだだけのこちらのコップは、まだ8割程度には中身が残ってる。
まさか、そのちょっとだけを注ぎ足そうってワケではないんだろう。

マジか。

「晩酌にちょっと付き合う程度」って話はどこ行ったんだよ。

親父の意図を察して、一瞬自分の手の中のコップを見つめる。
完全に試されてるなと思うと引く気にはなれなくて、そのままコップをまた口元に運んで、今度は一息でそれを飲み干した。

空になったグラスを差し出したら、「うんうん」と満足げな親父がまた並々とビールを注いでくる。

そうやって置かれた瓶はまた葉柱が「オレも」「オレも」と手を出して、既に空になってる自分のコップ半分注いだところで早々に中瓶1本が空になる。
というか、なにテメェまでアッというまに飲み干してんだ。

「ビールなくなったー」

そんで、キッチンの中の母親に、ノンキにビールのオカワリを要求してる。

コイツもう死んでくれよ。

「遠慮せずに食べなさい」

親父は流石に二杯目までイッキする気はないらしく、一口ほど口をつけただけで置かれたグラスに安堵する。

テーブルの上に既に並んでいたサラダや前菜のような小洒落た食べ物を勧められて、遠慮なくいただくことにする。

正直、空きっ腹にイッキしたビールのせいで胃が熱い。
そこまで強くねーんだよオレは。
食べずに飲んでたら早々にツブれる自信がある。

ただ少し食べるうちに親父のコップが空になり、酌をするとご返杯とばかりに瓶を奪われ、ニコニコとこちらのコップに視線を寄越す。

ほぼまるまる残ってるビールをまたイッキに煽って、空のコップを差し出すと、目を開いてにーっと口角をあげる親父の顔が、葉柱にソックリだ。

親父はイッキ飲みこそしないものの、かなりのペースで杯を空けていき、そしてビールを注ぐと、言外にこちらにも瓶を差し向けて、杯を空けるように要求する。
拷問か。

「ヒル魔くんお肉好きかしら~?」

延々と飲まされ続けながら、名前も分からない食べ物に箸を伸ばしていると、キッチンの奥からニコニコの母親がなにやら皿を抱えてやってくる。

親父と、オレと、葉柱と。
それぞれの前に重厚そうな皿に、これまた重厚そうな分厚いステーキが乗った皿が給仕される。

香草と、肉の焼ける匂い。

まさに「ご馳走」が眼前に並べられて、なのに親父は皿を一瞥すると、なぜか少しだけ眉を顰める。

「なんだ、スキヤキが良かったんじゃないのか?」
「スキヤキなんて遠慮して食べにくいじゃありませんか」
「若いもんは遠慮なんかしたらいかん。なぁヒル魔くん」

うるせーよ。
顔に似合わないほのぼのホームドラマを始めてんじゃねェ。
あとビールを飲むのをヤメロ。

「オレこの草のやつきらいー」

そんで葉柱は、皿のうえにのってる付け合せの香草をつまんで文句を言ってる
お前なんでそんな寛いでんだよ。

「遠慮せずに食べなさい」

言われなくても遠慮なんかする気もなかったけど、親父に促されてナイフとフォークを手に取る。

「……………………」

なんだこれ。
超美味ェ。

チラっと横目で葉柱を見ると、葉柱も同様に肉に齧り付いてるけど、特に感動した様子もない。
ニコニコしてるけど、別にコンビニで買った肉まん食ってるときだってそんな顔だ。

つまりはこれは、葉柱にとって割と日常な食事か。
一体グラム幾らするのか想像するのも怖いような眼前の肉を見る。

ただそういう高級食材を日常的に摂取している葉柱を見るに、グラム単価なら、葉柱の肉のほうが高そうだ。

アレは、こういう食べ物でできてるんだな。
通りで抱き心地がいいわけだ。

「オカワリあるからどんどん食べてね」
「ドウモ」
「ルイちゃんは小食だからつまらなくて、今日は張り切って沢山つくったのよ」

なに言ってんだババァ。

と言いかけた言葉は、喉元から先に行くまえに押し留めた。

なんかさっきから、この母親は、口を開けば意味不明なことばっかり言ってねーか?

「………………」

葉柱を見る。
ノーツッコミだ。

葉柱は、小食じゃない。

「あんまり食べないから、身体も小さいし、心配なのよ」

葉柱は、小さくない。

「やめろよ」

ようやっと入った葉柱からのツッコミは、否定じゃなくてただの文句だ。
なんか、ヤレヤレ、みたいな感じの。

いや、否定しろよ。
否定しないってことは、テメェも思ってんの?
自分が、小食で、小さいと思ってんの?

鏡見たことあんのかテメェ。

「お兄ちゃんみたいにちゃんと食べないから、身体弱いのよ」
「うるせーなー」
「……………………」

なるほど。お兄ちゃんか。
あれと比べたら、小食で小さいかもな。
きっと兄貴の方は風邪のひとつもひかないだろうから、それと比べたららさぞ病弱にも思えることだろう。

比較元が、大分間違ってる。

というか、葉柱家にきてからというものの、この葉柱のゆるゆるした態度。
なんか分かった。

葉柱がお姫様体質なのは、賊学のせいだと思ってたけど、そうじゃないらしい。

ここだ。諸悪の根源は。

第一子が規格外だったせいで、生まれた第二子が華奢で小さくてか弱いと錯覚した両親が、葉柱姫を培養したんだ。

葉柱が、賊学での下にも置かぬ扱いを当然だと思ってることにも納得だ。
生まれたときから、末っ子姫として甘やかされてきたんだから。

「ヒル魔くんのところには、よくルイがお邪魔してるみたいだね」

疲労なのか酔いなのか、自分の頭が「なんかもう何もかもどうでもいいな」と回転を止めようとしてたところ、親父から話しかけられてどうにかまた動き出す。

「はぁ」

ふわっと遠くに行きかけてた意識を取り戻すと、なぜか眼前にはワイングラスが置かれてる。
おいどっから出てきた。

「頻繁にお邪魔させてもらって悪いね」
「………………いえ」

ニコニコしながらも、有無を言わさず赤い液体が注がれる。
そんでそのままじーっと見てくる親父の視線が、言外にさぁ飲めと要求してる。

「……………………」

うすうす気づいてはいたけど、やっぱりこのオッサンは、オレのことが気に食わないらしい。
多分感覚的には、娘がカレシを連れてきたときの親父の対応だ。

なんでだよ。

葉柱が連れてきた相手には、全部そういう対応なのか?
それとも親父の直感で、オレがこの末っ子姫を実はバコバコに犯しまくってることに勘付いてるとでもいうのか?

親父はこちらのグラスに注ぎ終わると、そのまま自分のグラスも同様にワインで満たす。

「迷惑かけてすまないね」

葉柱の親は、頻繁に外泊する葉柱の素行を心配していると思ってた。
だから、「ただの若造」が顔みせて、適当に談笑でもすれば万事OKだとも。

それが根本的に間違っていたらしい。

本質はもっと単純だ。
このオヤジは、葉柱が外の人間に懐いているのが気に食わないのだ。

多少仲良し程度ならともかく、親父より優先される人間がいるのが気に入らない。
ヤキモチだ。

「だから迷惑じゃねーって言ったじゃん。なぁ」
「…………まぁ」

なんか葉柱はいつの間にか結構な上機嫌になってて、いつから飲んでたのか分からないワイングラスをきゅーっと煽る。
ワインって、そんな飲み方する飲み物か?

「面倒だったら追い返してかまわないから」

そんで親父もグラスのワインをイッキ飲みして、こちらが注がずとも瓶を手に取り自分で注ぐ。
そんでまた、笑顔でその瓶をこちらに差し向けてきた。

…………オレも空けろってか。

手元のグラスを見る。
きっとこれもまた、高いワインなんだろうな。
それを、こんなバカみてーな飲み方で消費するとは。

「…………っいや、いつでも歓迎します」

最初の頃よりも挑発と強制の色を隠さなくなった親父の不躾な視線と態度にチリっと反抗心が芽生え、ヤケクソのようにワインをイッキ飲みして、さらには完全に求められてるものと違う答えを選んで返す。

「………………」

入ってからずーっと笑顔を張り付けてた親父の顔が、一瞬だけピクリと歪む。

ザマァみやがれ。
だいたい、可愛い息子がとられちゃったヤキモチで、未成年相手にアルハラかますなんざ大人げねーんだよ。

どうやら息子に嫌われてくない思いが強すぎて、正面切って批判したり恫喝したりできねェみてーだけど、結果選んだ手段が酒でツブすってのはどうなんだ。

「ほらなー。言ったろ、迷惑じゃないってー」

挑発を返されたのに気付いた親父とウラハラに、のんびり葉柱は褒められたと思ってご機嫌で、これまたのんびり笑ってる。

こうなったらどこまででもやってやると思って、固まった親父に、さぁどうぞ注いでくださいとばかりに今度はコチラから笑顔で空になったグラスを差し出した。

ただ親父が固まってたのは本当に一瞬だけで、すぐにまた柔和でアクドイ絶妙な笑顔に戻ると、まったく冷静ですよとでもいうようにとくとくと優雅にワインをサーブする。

親父は多分、オレが酔いつぶれるとか吐いて倒れるとか泣いて帰るとか、そういうことになったら、溜飲が下がるんだ。
そこまで分かってんだから、フリだけでもそうしてやれば、親父もご機嫌になるだろうし良いだろうと分かってる。

なのになぜか、一瞬ムカっときた衝動に従って、軽くケンカを切り返してしまった。
なにやってんだ。
そんなことしたって、メリットなんかひとつもねーのに。

しかしもう、さっきの言葉と態度をなかったことにもできない。

「ドウゾ」

親父より先に自分のグラスを一気に空けて、まだ中身の残る相手の杯に「ご返杯攻撃」をやり返した。
にっこり笑って瓶をつきつけるのは、なるほど気分がいーわ。

自分が先にしかけたことだけに、親父もノーとは言わずに自分もグラスを空けてそれを受ける。

「そういえば、ヒル魔くんもアメフト部なんだってね」

ほー。早々に話題を変えるか。

「迷惑かけてー」などと言ってくるのは、オレに「いやこっちこそスミマセン」とでも言わせたいんだろうと思うけど、こちらにそうするツモリがサラサラないのことを先ほどの1ターンで見抜いたらしい。

なるほど政治家ってのは、機を見るに敏感なもんだなァ。

「はい」
「私もアメフトが好きでね」

正直親父が発する言葉の内容よりも、手元のグラスの中身の方が気になってた。

やってやるぜこの野郎、とは確かに思ったけど、ずっとご返杯合戦をして飲んでる量は両者同じなのに、この親父は顔色ひとつ変わってねーんだよ。
顔に出ないタイプなのか、それとも本当に余裕綽々なのか。
後者の気がしてならない。

オレも顔に出るタイプじゃねーから、あとは態度に出さなければこちらの底は割れないと思うけど、実際のトコロはそう長々と戦える気がしてねーよ。

「あぁ、そうだ母さん、いただいた日本酒があっただろ」


…………コイツは本当に、心底、オレのことが嫌いなんだなぁ。










「遅くなったから、今日は泊まってきなさい」

空になったグラスがテーブルに置かれたコツンという音で、急に目が覚めたような感覚で正面の親父の顔が目に飛び込んでくる。

アレ、オレ、寝てねーよな?
瞼は死ぬほど重たいけど目は閉じてねーし、口だって口角に力を入れて笑ってる。

一瞬意識がどっか行ってただけで、顔には出てねーはずだ。

親父と自分が会話するのを、少し上の方からぼんやり眺めて見てた、ような記憶がある。
ウソ。本当は覚えてない。

でも、多分、グラグラと定まらない視界に気分を悪くしながらも、適切に相槌をいれてたような気がするし、適度に質問をしたり、返答をしたりしてたはず。

ウソ。覚えてねーよ。

「少し飲んだから、風呂はやめといた方がいいかな」

少し? ほー。少し。

そうだな。少し、飲んだな。
未成年だけど、保護者のもと、晩酌にちょっと付き合う程度な。

チラっと時計を確認したら、5時間程度だ。
とりすぎた水分で膨れ上がった胃が痛ェのも、些末な問題だ。

そういえばずっと葉柱を見てないような気がして、アイツどこ行ったんだんだよと視線を回したら、居ないと思った葉柱はすぐ隣にいて、なんかムイムイとイカを食いながら日本酒を舐めてた。

「………………」

いいけど。
イカ、好きなんだな。

「じゃぁ客間にお布団用意しますね」

ババァも居たか。
夜が更けても、目力凄ェな。

「えー、いーよ。オレの部屋で」
「狭いんじゃないかしら?」
「へーき」

いーよ。どこでも。横になれるなら。

葉柱にオレを抱えて布団まで持ってって欲しいくらいだけど、この親父の前でそうされるのは負けを宣言するようで癪に障るので、文字通り最後の力を振り絞るようにして、まだまだ余裕でしたけどね、という体を装ってサラっと立ち上がる。

2階にある葉柱の部屋へ続く階段を見たときは、万里の長城かと思った。
曲がりくねって、巨大で、長い。そして、ウネウネと動く。

実際はそうじゃないと思うけど、視界がぐわんぐわんと回ってて、全然それを登り切れる気がしない。

そう思ってたのに、なぜか一瞬後にはテレポートして、ベッドと机のある部屋の床に座ってた。
なんだ。ドコだ。

ついた手に柔らかい感触があって、座ってたのは床だけど、床に敷かれた布団の上だった。

なるほど。葉柱の部屋か。
いつの間にきて、あと布団は、いつ敷かれたんだ。

なんにせよ、良かった。ここは、ゴールだろう。
部屋の中には葉柱しかいないし、もぅ倒れこんでいいし、目も閉じて良い。
天国だ。

「むふふ」

布団はベッドの横に一組用意されてるから、当然これがオレので、葉柱は通常通りベッドで寝ればいい。

なのになぜか、ちょっと顔を赤くした葉柱は、オレと同様に布団の上に座って横からぐいぐい押すようにくっついてくる。

「あのさ…………」

お前酒臭ェ。
ヤベェ。気分悪ィ。

近寄るんじゃねーよ、と伝えるには口を開く必要があり、今はそれすら出来そうにない。

「あのさ、アリガト」
「…………………………」

あぁ、そう。

それは、良かった。
曲りなりにも、多少は、分かってたかよ。

このオレが、わざわざこんなとこまで出向いてやったこととか。
イラついたって適度に好青年ぶって振る舞ってみせたこととか。
叩けばいくらでも埃が出る親父殿相手にも、脅迫手帳を振りかざしたりしなかったこととか。

そういうのを、このオレが、わざわざ、そうしてやったんだということを、まるで分ってないかと思ってたから。

このオレが。
この、オレが、だ。

このオレがそうまでしてやってんのに、お姫様で、溺愛されたワガママ末っ子野郎は、そんなこと当然だと思ってんじゃねーかと思ってたから。
いー気分で肉くって酒飲んでイカ食って寛いでたようだったからよ。

どの程度かは知らねーが、テメェの中に多少なりとも労いや感謝の気持ちがあるとはありがてー限りだよ。

「オヤジ、ヒル魔のこと気に入ってたな」

……………………。

テメェの目はフシアナか?

どう考えてもアイツはオレのこと殺しにかかってただろうが。

「くふふ」

…………まぁ、いい。いいよ。

葉柱は、嬉しいらしい。
なんかまた珍妙な声で笑ってるし。

葉柱は、あのマフィアのドンのような親父が、普通に、好きなんだろう。
そんで、当然オレには惚れてやがるから、そういうもの同士が、仲が良い方が、いい、のだろう。

つまるところ、オレがあの糞マフィアに強く出ない理由なんて、それだけだ。
ムカつく挑発を軽く、でもないけど、だいたいは受け流したのは、結局それだ。

オレが親父に嫌われたら、葉柱は悲しいのだろう。
そんで、オレが親父のことなど嫌いだとなったら、それはそれでまた悲しいのだろう。

それだけの理由で、なぜか、親父には嫌われないように振る舞わなければいけないような気がするし、親父を嫌ってもいけない気がする。

結局のところ、オレは葉柱が可愛くて、可愛くて、「世界の半分をくれ」くらいまでの願いなら、多分、どうにか叶えてしまうのだ。

その可愛い葉柱は、なんかごろにゃんって感じで、デカイ身体を丸めるようにして胸元に懐いてきてる。

「………………」

頭に触ると、くるると鳴く。

なんか、お前、のんきだな。
基本的に。

「はー…………」

息を吐いたら、改めて自分の酒臭さに辟易する。
寄りかかってくる葉柱に倒されないように突っ張ってた手から力を抜いて、そのまま仰向けに倒れた。

ヤベー。視界が回る。

目を閉じたら、どっちが上かもわからなくなった。
仰向けに倒れたと思ったけど、それすらももう定かじゃない。

胸の上の葉柱は重たいけど、ちょうど良い重さだ
ちょうど良い重さで、ちょうど良い大きさで、ちょうど良い。

これは、ちょうど良いなぁ。

葉柱を抱えるように腕を回してみる。
形もちょうど良い。

葉柱がくっ付いたままずりずりとずり上がってきて、首の辺りに顔を埋めるような位置に納まった。
そうだな。その位置が、ちょうど良い。

平衡感覚が大分怪しく、脳みそがぐるりと頭の中で回っている感覚があるけど、葉柱を抱えていればその重みで上下の判断はできた。
葉柱の手が二の腕の辺りを撫でてきて、そうするとなにか、水の上に浮いたものの上に乗って、揺らされてるようなそんな感じ。

なんかこの部屋天井高ェな。そう見えるだけか?
あの雑誌、見たかったやつだ。明日持って帰ろう。
電灯、平べったいな。
椅子は、黒いな。

多分、酔ってる。
目についたものにイチイチふわーっと思考が移動して、まとまったことが考えられない。
でも、まとめて考えなきゃいけない何かが特にあったかというと、それも分からないし、多分、無い。

「電気消せ」

普通に喋ったつもりだったけど、言った声は大分擦れてた。

上に乗った葉柱がなんかもぞもぞ動いたな、と思ったら、急に電気が消える。
リモコンか。ハイテクだ。

部屋が暗くなって、自分が目を開けてるのか閉じてるのか分からなくなった。
まぁ、どっちでも良いか。どうせ、何も見えない。

「……………………」

自分が眠ろうとしてたのか、既にちょっと寝てたのか曖昧なくらいのトコロで、はたと意識が少し現実に帰る。

「…………なにシテんだよ」

腰の辺りが、なんか気持ちイイ。
酔ってふわふわしてる、とかじゃなくて、物理的に気持ちい。

「むふん?」

暗くて、シルエットくらいしか分からないけど、葉柱が顔を上げて、多分笑った。
その間もずっと腰は気持ちよくて、葉柱の手が、明らかに、的確に、腰骨と、太ももと、あとは性器を気持ちいい感じに撫でまわしてた。

「ヤラねーぞ」

まさかとは思うけど、一応言っとくよ。
まさかヤル気なわけねーとは思うけどよ。一応な。

ヤラねーよ。

「ん、ひるま…………」

雰囲気出してんじゃねェ。
イカレてんのか。

「お前ベッド行けよ」

ここはオレの布団だから、お前はベッドで、一人で寝ろ。

「なんで」

え? オレはそれを、説明しなくちゃいけねーの?
なんで今はセックスをしないかとか、なんでお前はベッドに戻るべきだとか、そういうのをイチイチ説明しなくちゃいけないワケか?

葉柱の頭が近づいてきたので顔を背けたら、怒ったようなスネたような感じで、耳に噛みついてきた。

さっきまでムイムイとイカを食ってた唇に、耳を食べられてる。

例えば今、ガチャリと部屋のドアが開いて、この状況を葉柱父が見たりしたら、オレは、日本刀で両断されるんだろうなぁ、と思う。
日本刀。なんとなく、日本刀。

葉柱家には、多分、日本刀があるだろう。
なんとなく。ありそうだろ。
あの親父は、そういうのが好きそうだ。

床の間なんかに、チョンと飾ってある。
それをスラリと引き抜いて、袈裟斬りに斬られる。

「も、ヤメロ…………」

声に力が入らないのは、飲みすぎのせいだ。
でも葉柱はそういう声を聞いて、「本気の抵抗じゃねーな。そういうプレイだな」という解釈をしているのか、一向に止める気配がない。

お前ほんとオメデテーな。

「…………ア?」

すっかり発情した様子を見せてる葉柱には何を言っても通じそうにないので、力づくで退かそうと腕を上げようとしたら、思ってるのとはウラハラに自分の腕はまったく上がらず、指がちょっと動いた程度だった。

あぁ、コレは、動けねーわ。
飲みすぎにも程がある。

「葉柱、退け…………」

腕も上がらないくらいなんだから、そりゃ声にだって力なんか入らない。

そうやって抵抗らしい抵抗を見せないから葉柱はオレが本気で否定はしてないと思って止めないんだと思ってたけど、暗闇に慣れてきた目が、それまでシルエットしか分からなかった葉柱の表情を認識した。

葉柱は目が合うと、性器を撫でながらニンマリと笑った。
目をやや細めて、口の両端をにーっと上げて。

なるほど。コイツは、オレが全然動けないことを、気付いてる。

ヤベェ。レ×プされる。

「コ、ロスぞ…………あっ」

よく訓練された葉柱は、こちらが声を荒げる前に、下着の中に手を突っ込んできた。

「ひるま…………」

つーかコイツも、普通な顔して大概酔ってんな。
そうでなきゃ、このオレに、こんな傍若無人なマネしたらどうなるかを考えねェわけねーんだから。

そんでそれよりもまず、両親ともに在宅中の実家で、コトに及ぼうなんてするわけない。

そうだった。葉柱の家だ。

ドアの外に意識を集中する。
誰もいない。階段を上る音だって聞こえてきてない。
今のトコロは。

「ハバシラ」

動けないけど、名前を呼んだら、その呼ばれ方で葉柱はちゃんと意図を察して顔を近づけてくる。

「ん…………」

葉柱の口の中は、とても気持ち良い。
キスで一旦作業を中断させて、どうにか葉柱を諫めようと思ってたけど、どうしよう。
もういいか。別に。

あー。気持ちい。

正直、葉柱が「じゃけぇ」とか言い出してた時点で、バックで突きまくって「もぅだめじゃけぇ~」みたいなことを言わせたいなどと思ってた。
親父が居た手前、なるべく考えねェようにしてたけど。
セックスしてェ。

もっとも今は、アレは勃っても足腰たたねーから、そういうプレイはできねェわけだけど。
ヘタしたら、「もうダメ」的なことを言わされるのは、こっちの可能性がある。

「ぅん、んっ…………」

思考が「やめようか」と「やっちまうか」を往復してる間に、キスしてる葉柱は勝手にどんどん発情してる。
声出してんじゃねェよ。

やっぱダメだな。
この感じで挿入行為なんかしたら、コイツは多分盛大に喘ぎまくるだろう。
そんで葉柱が「もう死んじゃうー」とか言ってる間に、オレが親父に殺されるわ。

「ハバシラ」

さっきは「キスしろ」の意味で名前を呼んで、今度は「もうヤメロ」の意。
どっちも葉柱はちゃんと汲んで、名残惜しそうにむちゅむちゅと二回くらい唇で挟むようにキスしてから、大人しく顔を離す。

「ん…………」

………………。

完全に出来上がった顔してんな。
どうしたもんだコレは。

「…………しゃぶるだけならさせてやるよ」

しょうがないので、妥協案を出してやる。
妥協案というか、コイツをどうこうするのはナシだけど、オレは既に出さなきゃ納まんねーし。
完全にオレだけに都合が良い案だけど。

「なんだよそれ。テメェが良い思いするだけジャン」

まぁな。

でも葉柱は、そうやって文句みたいなことを言いながらも、にまにまと顔を緩めてパンツを脱がしにかかってきてる。
ドスケベ野郎が。

キスと簡単な愛撫で半端に勃ってる性器を見て、葉柱はさらににまーっとほほを緩める。
舌をちょっと覗かせて自分の唇を舐める様に、いやがおうにも期待が高まる。

「は………………」

ヤバイ。超気持ちい。

コイツ口の中熱いな。
飲んでるから?

目を閉じたら、やっぱりぐるぐると世界が回って、もう葉柱を抱えてもいないから、どっちが上か下かも分からなくなった。

そうやってふわふわ浮かんでるような感覚の中、性器だけがあからさまに気持ちいい。

濡れてて、ヌルヌルしてる何かが、気持ちいいことをしてる。
腰溶けそう。もう溶けてるかも。

身体が動かないのは、力を入れる方法が分からないから。
当然、込み上がる射精感を堪える方法も、今はよく分からない。

なんか勿体ない気もしてるけどどうしようもない。
そもそも、なんで勿体ないんだろう。気持ちいい。もう出したい。

も、出る。

って、言ったような気がするし、気がしただけかもしれない。
ただ強烈に気持ちよくて、腰から下は、多分、どこかに行ってしまった。

もう、ない。










目を開けたとき、まず見えたのが見慣れない天井で、一瞬だけ自分の居場所が分からなくて混乱した。
ただ、混乱したのと同時くらいには、そういえば葉柱の家に泊まったんだってことは思い出して、ついでに、殴りつけられてるような頭痛もやってくる。

頭痛ェ。
フザケンナ。

どういう経緯であれ、自分で飲んだ酒で自分の頭が痛いことに関して、責めるべき相手は自分しかいないのだけど、痛みでイライラしたらそういう理屈はどうでも良くて、なにかに八つ当たりしたい。

当然、葉柱に。

「……………………」

横になってると床に触れる頭が圧迫されて、それよりはどこにも頭が接地しないように座ってた方が頭痛がマシになるような気がして上半身を起こす。

「…………なんでだよ」

身体を起こして、動く脚と布団の摩擦で気が付いた。
裸だ。下半身が。

そうだったか? いや、どうだった?

上は、なんかTシャツを着てる。多分、葉柱の。
Tシャツ? 着たか?

周りを見たら、着てきてた制服のシャツが明らかに放り投げられた感じでくちゃっと放置されてる。

まてまて。思い出せ。
どいういう経緯で、オレは裸にTシャツ一枚で寝てたんだよ。

その「思い出す」などという作業をするには、脳に働いてもらわなければならず、集中しようとすればするだけ頭痛が増してくる。

昨日の記憶は、ところどころ欠落してる。
それはもう多分、取り戻せない。
酔っ払いのメモリとはそういうものだ。

だから欠落していない記憶の断片から、失われている個所を推察していくしかない。

葉柱の部屋に来るまでは、当然制服だったはずだ。
そんで、確か、フェラチオさせた記憶がある。

そのときに脱いだか?
制服着てた?
いや、そもそもその時点でTシャツだったか?

ダメだ。
覚えてねェ。

フェラチオさせてるときの記憶なんて、「チ×コ気持ちい」しかねーよ。

もういいか。いいわ。

葉柱の部屋での記憶なんて、あってもなくても困らない。
葉柱家で気にすべきことは、葉柱の部屋に入るまでと、あとは、葉柱部屋から出てって再度両親を顔をあわせるこれからだけだ。

そういえば今何時だろう。

どこに時計があるかも知らないのでぐるっと部屋を見まわしたら、布団から葉柱の頭がちょっと見えた。

なんでテメェまで布団で寝てんだよ。

「……………………」

そんで、なんで裸なんだよ。

ムカつくから布団ひっぺがしてたたき起こそうかと思ったら、めくった布団の下の葉柱は、やっぱり裸にTシャツ一枚だけ来てた。

ウソだろ。え? セックスしたか?

いやいや、セックスはしてねーだろ。
流石に。そんな記憶は、カケラもない。

どう記憶を辿っても、セックス的な行動の記録は残ってない。

まさかコイツ、泥酔して寝たか気絶したかのオレ相手に、好き勝手やったんじゃねーだろうな。
意識してみると、なんかタマが軽い気がする。
いやでもそれは、口でヌいたからだよな?

昨日は葉柱の下半身をむき出しにするような事象は、起こらなかったはずだろ。
なんで丸出してんだよ。

もう怖ェよ。なんなんだコイツ。自由か。

シカトしよう。
セックス云々とかももう考えないことにしよう。

別に、葉柱の部屋で葉柱がどんな格好をしてたって勝手だ。
理由や経緯を知る必要もないし、そもそも理由なく裸になったかもしれないし。

どうでもいい。
シカトだな。

とりあえず、葉柱と、それから自分の下半身と掛布団で覆って隠す。
こうすれば、普通だ。着衣の状態にしか見えない。

「なんじゃぁー! 友達がきとるんか!!」

ビリビリビリ、と、壁が震えたかと思った。
一体何百メートル離れた相手と話したら、そういう声量になるんだよ。

兄貴だな。
声の出どころは一階で、おそらく母親とでも話しているのだと思うけど、相手の声は聞こえないのに兄貴の言葉はハッキリわかる。

そういや、昨日は友達とどうとか言ってたな。
深夜か夜が明けてからなのかは分からないけど、帰ってきたらしい。

「まだ寝ちょうか! メシじゃけぇ起こしてきちゃるき!」

……………………ア?

それからすぐに、ドカンドカンとしか形容しようのない、凡そ足音と呼ぶには荒々しすぎる音が、階段を上って近づいてくるのが聞こえた。

オイオイ、待てよ。
起こしてきてやるって、多分、オレと葉柱のことだよな。

「オイッ」

この、1つの布団に仲良く納まってるこの部屋に。

「葉柱っ」

声をかけたくらいじゃ起きる気配の無い葉柱を、膝で蹴る。

「………………ぅん」

うん、じゃねーよ。

昨日酔って見た葉柱家の階段は、とてつもなく長く曲がりくねったものに思えた。
が、足音の数と近づく距離から察するに全然そんなことはなく、普通の、一軒家の階段だ。

多分もう数歩で、部屋の前につく。

「……………………」

寝起きの頭が、頭痛も忘れてぎゅるーっと大急ぎで回転を始める。

一緒の布団に入ってるのは問題だ。
別に男同士なんだからとはいったって、ベッドがあるのにわざわざ2人布団に納まるとか意味わかんねーから。

じゃぁ布団を出るか?
ただ、残念なことに下半身が裸だ。
同じ布団に入ってなくても、パンツ履いてねェとかもう正気の沙汰じゃねーだろ。

葉柱を布団から追い出して、いや、こいつも下は丸出しじゃねーか。
あー、でも、追い出して、とりあえずベッドに詰め込めば…………。

「ルイー! おるんかー!!」

声はもう、ドアのすぐ前から聞こえた。

このままノックされても返答がなかったら、寝てると思って起こしに入ってくるだろう。
葉柱が起きる気配を見せない以上、オレがちょっと入ってこないで下さいと言うのもおかしすぎる。

「メシじゃぁー!」

もう猶予は多分十数秒もない、などと考えた瞬間には、大声とともにバーンとドアが開いた。
閉じていても響いてきていた声が、ドアを開けると更に大きくきこえる。

「……………………」
「お? なんじゃ、トモダチって、泥門か」

まさかノックも問いかけもなしにノータイムで入ってくることは想定してなかったから、結局なにも対応なんてしてないまま、布団の上に座るオレ、そしてその同じ布団の中でまだ眠る葉柱、という構図そのままのご提供になった。

「………………ドーモ」

オレを顔を見てちょっと驚いたような顔をしてる兄貴に、なんと返したものか分からなくて、結局そんななんの中身もない言葉が出る。

だってこの状況、布団で隠れてるとはいえむき出しの下半身で、横に葉柱をたずさえて、オレに何を言えってんだよ。

「ルイはまぁだ寝ちょるんか」
「………………はぁ」

もし、もしこの男が、まるで朝ドラのように、もう起きなさーい! とばかりに布団を掴んでひっぺがしたりしたらどうしよう。
思わず、掛布団をぎゅっと握る。

「メシじゃけェ、起こして降りてきんしゃい」

葉柱兄は、弟のオトモダチが顔を見知った他高のアメフト部員だったことにはちょっと驚いたようだったけど、それ以外はあっけらかんとしたもので、なんの動揺もツッコミもないまま、それだけいってまたドカンドカンと足音を鳴らしながら、一階へと降りていった。

「………………」

なんだ。今の。
ノーリアクションか。なんでだよ。

「…………ぅーん、ん? うぉ、ひるま。なんで、あ、ウチきて泊まったんだっけ」

そんでテメェは、コトが過ぎ去ってからシャキシャキ起きてんじゃねーよ。

「メシだって」
「おー」

まだ多少ぼんやりした感じを残してる葉柱が布団から立ち上がる。

「え?」

そんで、布団から出て晒される何も着用してない自分の下半身を見て、なぜかビックリしたような顔をする。
それから「もぅ」みたいなことを言ってこちらをチラ見して、まったく、とでも言いたげに小さくため息をつく。

オイコロスぞ。

葉柱はそのまま無言でクローゼットらしき個所に向かうと、そそくさとパンツを履いて着替えてる。
ついでにぽいぽいっとオレ用と思わしき服も投げ渡してきたので、とりあえずはそれに着替えた。

もういい。いいか。
アニキは仲良く一つの布団に納まってることに関して、なんのリアクションもなかったけど、それはなんの驚きも感想もないってことだ。

運動部なんて、合宿にでも行けば大部屋で雑魚寝のように一緒に寝ることもある。
それと同じくらいの感覚で、なにも気にしなかったのかもしれない。

まぁ、合宿でも布団は一人一枚あるはずで、朝起きて一つの布団に2人納まってたら、オレだったらドン引きだけどな。

あの兄貴は、見た目もそうだけど、精神だってそう繊細にできれるとは思えない。
まさにセッ×スの最中、とかじゃなければ、なにも気にしないし、気付かないし、どうでも良いのかも。

なぜか葉柱は、部屋から出る前に、ご機嫌にすり寄ってきて、ちゅっとキスをして離れていった。
家で、親の居ぬ間に、みたいなシチュエーションに、なんらかの興奮を見出しているらしい。

あぁ、そう。








「またいつで遊びにいらっしゃいね」

予定外に泊まり、朝食までご馳走になり、最後玄関まで見送りにきた母親と親父の顔から見てそれらを全部無難にこなせたと思ってまぁいいのだろう。

母親が朝からバッチリメイクなのは良いとして、親父もこの後出かけるからとかってスーツを着てた。
その縦縞の3点スーツをやめろ。マフィアが。

「うん。またおいで」

昨夜、酒で殴り合うみたいな飲みを交わしたわりには、今の親父の言葉はわりと本心のように見えなくもない。
葉柱が「気に入ってたな」などと言ったのは、そこまで的外れじゃないのかも。

どういう経緯で、そう思ったのかは分からないけど。

でもこれで、わざわざこんなとこまでやってきた目的は完了だ。
オトモダチとして紹介も済んだし、これからまた葉柱を家に泊まらせてのセッ×ス三昧が続けられる。
ウチでなら、限界を超えるような酒を飲むこともないし、全裸で寝たってなんら気にしないで良い。

「次来るときにはヒル魔ちゃんの好きなもの作るから、今度教えてね」

二度と来るかババァ。
いつ「ちゃん」付けにクラスチェンジしやがった。

「遊んでくる、夜帰るから。メシいらねー」

玄関では葉柱も隣で靴を履いて、一緒にお出かけする用意になってる。

疲れた。とても疲れた。から、この後オレん家にいったら、葉柱をサンドバックにしようと思う。
そのくらいの権利が、オレにはあるはずだ。

「なんじゃ、もう帰るんか」

じゃぁ、と玄関のドアを開けようとしたところで、朝食時同じテーブルには姿の無かった兄貴が、濡れた頭でぺたぺたと奥からでてきた。
シャワーでも浴びていたらしい。

「ルイが泥門と仲良しじゃったとはなぁ」

仲良しというか、正確には奴隷だけどな。

「試合では敵だけどな!」

奴隷だろ。お前、もしかして忘れてねェか?


「ガハハ、そうじゃな。同じ布団で寝るくらい仲良しでも、試合では別じゃな!」


ピシリ、と、空気が凍ったような音が聞こえた気がした。

「…………………………」

急激に、周りの温度が下がっていってるような気がしてる。

ただそう感じてるのはオレと親父だけのようで、兄貴と葉柱はガハハむききと笑ってるし、母親はただニコニコしてた。

「…………オジャマシマシタ」

瞬きも忘れたように見開かれた親父の目が動き出す前に、凍った空気をたたき割るように早口で言ってすぐノブに手をかけた。
何を言われる前にドアを開けて、返事もまたずに外に出る。

葉柱も置いてくるつもりで飛び出したのに、閉じかけるドアの隙間から葉柱もヌルリと出てきて、「なぁ、家帰る? それか、ホテル行く?」とか言ってる。

発情してんじゃねーよ。
今の空気をなんとも思わなかったのか。

なんかもぅ凄ェな。お前。

閉口して葉柱を見る。
のんきな顔だ。

のんきで、ぼんやり姫だ。

「次、いつオレん家くる?」

殴られに? もしくは、殺されに?

「……………………………………」
「ん?」

二度と行かねーよ。

頼むから、世界の半分で勘弁しろ。


'16.05.31