ヒルルイと怪談




「ヒル魔、ヒル魔……」

誰かが肩を揺すってくる。
水中から水面に上がるようにして意識が覚醒して、でもまだ眠たくて意識が微睡む。
ゆらゆら水の上を漂ってるみたいに。

「なぁ、起きろって」

誰かってのが葉柱だってのは、すぐに分かった。
ベッドの上で肩を掴んで、遠慮がちに、そのくせ確実に揺さぶって起こそうとしてくる。

薄くだけ目を開けると、まだ暗い。
カーテンの隙間から、街頭の明かりが入ってきてるくらい。

「ヒル魔っ……」

なんなんだよ。寝かせろよ。
テメェ昨日何回してやったと思ってんだ。

「うるせー、もーしねェ、寝かせろ」

鬱陶しくて、目を閉じたまま手を払いのける。
それなのに葉柱はめげずにまた肩を掴んできて、眠ろうとする意識を繋ぎとめてくるから腹が立つ。

「違うって」

なにが違うんだよ。
満足させてやっただろ。
最後の方、「もぅシヌ」って騒いでたじゃん。

でも正直、もしセックスで死ぬことがあるなら、オレの方が先だろ。
マジ一回咥えこんだら離さねェからなコイツ。

「ヒル魔、起きろよ……」

葉柱の手が、肩から頭に移って髪を撫でてくる。
いつもはそうされんのは気持ちいけど、今はただ睡眠を邪魔してくるだけでうざったい。

「るせーな……」

諦めそうにない葉柱に、寝返りをうつ要領で上に伸し掛かる。
目を開けるのが億劫で、瞑ったまま顔を触り位置を確かめ、口を見つけてそれに吸い付く。

オレもう勃つ気しねェんだけど、言ってもどうせ聞きやがらねェからなコイツ。
だからって手や指だけじゃ満足なんてしねェし、ホント性欲強すぎんだろ。

して欲しいなら勃たせろよ、と思って葉柱の手を脚の間に導くと、それを振り切るようにして払われ、胸に手をあてて押し返された。

「あ? なんだよ……」
「だから違くて、外っ」

セックスしてくれってお願いじゃねェの?
そりゃ助かるけど、こんな夜中にそれ以外になんの用があってわざわざ起こしたりしてくんだよ。

「窓のとこ、なんかいる…………」

なぜか葉柱が、誰もいないのに小声でコソコソとそんなことを言う。

確かに窓からは、何かがガラスにバタバタと当たるような音が聞こえる。
ただ、気を付けてないと気づかないくらいの、ほんの僅かな音だ。

コイツ、よくこんな小さい物音で目ェ覚めんな。
しかも、ヤリまくってシヌって騒いでたスグ後で。
分かってたけど、お前絶対死なねェよ。

「あ、そう」

よかったな。じゃぁ寝るから。

「寝んなよ」
「………なんでだよ」
「気になんねェの?」

なんねーよ。どうでもいいだろ。
そりゃオレだって、ジェイソンマスクを被った男が斧で窓ガラスをブチ破って入ってきたら気にするよ。
だからもしそうなったなら存分に起こせ。
そんで、そうなるまでは起こしてくんな。

「風だろ」
「風なんて吹いてねェ」
「ネコだろ」
「ここ3階だろっ」

ここは葉柱んちで、小さい独身用のマンションの3階だ。
外観を思い出してみると、音が聞こえてくる窓があるベランダに、ネコなんかが伝ってこれそうな場所はない。

「じゃ、知らねーよ」

ホントどうでもいい。

「ヒル魔、お前ちょっと見てこいよ」

なんでだよ。勘弁しろよマジで。
こっちは疲れてんだよ。なんでか教えてやろうか?
テメェがもう一回もう一回って、強請りまくって、そのくせバックより正常位がいいとかでヤラせまくるからだろ。
前からして、前からしてってよ。

テメェの脚抱え上げて、しかもしがみ付かれて、善がりまくってる裏にオレの苦労があるのを少しは分かれ。
だからって騎乗位でなんかしたら、ホント歯止めのきかないコイツに殺されるし。

「テメェが行け」
「だって…………」

バカな問答をしてるうちに、多少は頭がさえてくる。
だからって、やっぱり葉柱の言ってることはくだらなくて、どうでもいいってことには変わりない。

「なんか、変なのだったらどうすんだよ」

どうすんだよって、なにがだよ。
だいたい、「変なの」ってなんだ。
それで、仮に「変なの」がいたとして、オレならいいのかよ。

あー、はいはい。
賊学の番長さんは、お化けが怖いんでちゅねー。
そのくせテレビで心霊現象を扱ってると熱心に見たりして、こういう夜に余計に怖がってんだから世話ねェよ。
趣味か? それ。
相変わらずマゾチックな趣味もってんな。
せいぜい一人で楽しめよ。

「なぁ……」

もう無視することに決めて答えないでいたら、葉柱がしつこく身体を揺すってくる。
ホント勘弁してくれ。
放っておいたら、朝までそうやって続ける気か?

「コロスぞ」

低い声でそれだけ言ったら、肩を掴む手が一瞬止まって、でもスグに気を取り直したように揺さぶりが再開される。
こいつもう死ねばいいのに。

昨日のうちに、ヤリ殺しておけばよかった。
あぁ、でもダメか。返り討ちにされるわ。

「………………」
「待て待て、置いてくなよ」

葉柱の命令を聞くなんてまっぴらゴメンだったけど、それよりも早く眠りたい気持ちの方が勝って、音の正体を確かめてやろうと無言で布団を除けてベッドから立ち上がる。
葉柱はなんでか焦った声を出して、手首を掴んで後ろからついてくる。

カーテンの前に立つと、ガラスを叩く音は、やっぱり気のせいでもなんでもなくて、不定期に、バタバタと何かに叩かれるような音を出す。
強さも、弱かったり強かったり一定じゃない。

聞こえてくるのは、地面に近い下の方から。

シャッと勢いよくカーテンを開けたら、手首を掴む葉柱の力がぎゅっと強くなる。
チラっと顔を確認したら、目を瞑ってた。
バカみたいだなお前。

「なんも無ェな」

風でとんできた何かが偶然ベランダに乗り上げて、風に煽られながらガラスに当たって音でもたててんだろうと思ってたけど、ガラスの向こうをみてもそれらしいものは何もない。

「やっぱり…………」

何がやっぱりなんだよ。
やっぱり心霊現象だとでも言いてェのか。
そんなワケねーだろ。

「ちょ、開けんなよ、危ねェって」

窓の鍵を開けると、葉柱が慌てたように制止してくる。

「何がだよ」
「入ってきたらどーすんだよ」

それこそ、何がだよ。

窓の外は暗くてよく分からないけど、ベランダには何もないように思える。
でも音は相変わらず続いていて、やっぱり地面にほど近いところから。

「怖ェならあっち行ってろ」

そう言うと、葉柱は迷った気配を見せたけど、結局手首をしっかりつかんだままその場に残る。
怖くなんかねーよ、って意地はってるか、もしくは一人で離れる方が怖いと思ってるのかもしれない。

窓を開けるカラカラという音が、静かな暗い闇によく響く。
葉柱は手首を握ってきたままだったけど、一歩後ろに下がって窓から極力離れようとしてる。

腕、長くてよかったな。けど、どうせならもっと他のことに有効に使えよ。

窓を完全に開けてしゃがみこんだら、よくやく音の正体がわかった。

「あぁ」
「え、なに?」
「コウモリがいんな」

ガラス越しでは黒くてよく分からなかったけど、スズメよりも小さい塊が、怪我でもしたのかベランダに倒れたまま羽をバタつかせてた。
この羽がガラスにあたって、音をたてていたんだろう。

ほらな、心霊現象の正体なんて、そんなもんだ。
夜中にカーテン開けても、長い髪を振り乱した白い着物の女が窓に張り付いてるなんてことはないし、当然ジェイソンマスクを被った殺人鬼がいることだってない。

「え? なんで? 呼んだの?」

は? なにを? コウモリを? オレが?
何言ってんだコイツ。バカかよ。

心底呆れた視線で見たら、葉柱は「いや、悪魔とコウモリって、なんか仲間っぽいじゃん」とか、多分フォローのつもりなんだろう言葉をもごもごと言う。
もうどうでもいいけどな。
とりあえず寝かせてくれ。

「じゃ、もういいな」
「待て待て」

音の正体も分かったし、これで眠れるだろうと思って踵を返そうとすると、手首を掴んでる葉柱に止められる。

「放っとくのかよ」
「なにが?」
「朝、べランダでコウモリが死んでたら、なんかオレかなり嫌なんだけど」

まぁ、そうかもな。
自分ちのベランダに、動物の死体があるのなんて、気分のいいものじゃない。

「じゃ、外に蹴り出しとけよ」
「鬼かよ」

なんなんだよ。
どうでもいいだろ。

葉柱がやっと掴んだ手首を離したかと思ったら、リビングの方へいって、それから小さい段ボール箱を抱えて戻ってくる。
なにそれ、まさかこのコウモリを、手厚く保護しようとか思ってんの?

戻ってきた葉柱の手元をみると、ご丁寧に箱の中にタオルまで敷いてある。

それから葉柱が窓際にそーっとしゃがんでコウモリを見る。
手を伸ばすと気配を察したのかそのコウモリが一際大きくハネをバタつかせて、葉柱が「ふわっ」とかマヌケな声を上げて下がる。

まぁ、好きにしてくれ。

「なぁなぁ、ここに入れろよ」
「はー? テメェでやれよ」
「いーじゃん。悪魔とコウモリって、仲間っぽいじゃん」

まだそのネタで引っ張るのかよ。
つーか、なんなの? 怖ェの? コウモリ。
触るの怖けりゃ、やっぱ外に蹴りだしとけよ。
そっちだったら、代わりにやってやってもいいし。

「な?」

そう思ったけど、なんとなくアホっぽい顔の葉柱が困った顔して頼んでくるのを見ると、しょーがねーなーって気がしてくるから不思議だ。

「うわ、そんな持ち方でいいのかよ」

とりあえず、なんでもいいから早く終わらせたいしと思って、地面に転がってるコウモリを、羽を摘まんで持ち上げる。
身体はスズメより小さいくらいなのに、羽を広げると結構デカい。

それを葉柱が持ってきた段ボール箱に放り込むと、コウモリがまたバタバタと暴れて今度は羽が段ボールにあたって音をたてる。

「おぉー、怖ェー……」

怖ェのかよ。

そのくせ葉柱はコウモリに触ろうとして手を伸ばして、でもやっぱり止める、みたいなのをバカみたいに繰り返す。

「もういいな?」

今度こそ、これで眠れるだろうと思って言うと、葉柱は少し不満そうな顔をしたけど、ベッドに戻るのを止められたりはしなかった。
葉柱も、段ボールを窓の近くに置いてそっと蓋をすると、スグに隣に潜り込んでくる。

ベランダにいたときよりも、聞こえる音が大きくなってうざったいが、眠れないほどじゃない。
葉柱は、段ボールをチラチラ気にしてるようだけど、もう睡眠の邪魔はしてこなかった。

「なぁ、音、聞こえなくなったけど」

そうでもなかった。

「寝たんだろ」

だから、テメェも寝ろ。
そんで、オレを寝かせろ。







深夜の葉柱のバカ騒ぎに付き合ったせいで、目が覚めたのはとっくに昼を回った頃だった。

だいたいいつも葉柱が先に起きて、リビングの方でテレビなんか見てたりするんだけど、今日はまだベッドの中にいる。
コウモリが気になり過ぎて、中々眠れなかったのかもしれない。

珍しいなーと思って頭を撫でると、長い腕がもぞもぞ動いて、身体に触るとそのままスルスルと抱き着かれる。
こうやって黙ってりゃ、可愛いと言えないこともないな。
眠りながらもこうしてくっついてくるなんて、中々可愛いとこあるじゃん。

そう思って背中に手を回して抱き着き返すと、葉柱が急にパチっと目を開いた。
そんでデカい目が、急にギョロギョロと辺りを見回すように動く。

え? 何? 起きたの?
ていうか、お前って、起きるときいつもそんな感じなの?
普通、もっとじんわり目とか開けるんじゃねェの。
なんか気持ち悪ィなお前。
目がデカいせいで、余計に。

「あ、コウモリ」

そんで葉柱は、寝起きとは思えないテキパキしたテンションでそう言って、スグにベッドから抜け出す。

向かった先は当然夜コウモリを捕獲した段ボール箱で、上の蓋が折ってあり中は見えない。
葉柱がそれに手を伸ばして、それからなぜか躊躇って動きを止める。

「なぁ……」
「開けねェぞ」

そこまで面倒みられるか。

先に回って言った言葉に葉柱はむっつりだまって、でもそれ以上は食い下がらずに、覚悟を決めたように段ボールに向き直る。

箱の中からはもうすっかり音なんて聞こえないし、もしかしたら死んだのかもなーなんて思ってそれを見てたら、葉柱がそーっと蓋を開くのと同時に、コウモリが元気いっぱいに飛び出してきた。

「うわーっ!」

そんで、葉柱も元気いっぱいに叫びだす。

「うわーっ! うわーっ!!」
「うるせーよ」

コウモリの飛ぶ姿って、こんななんだな。
鳥なんかと違って、どっちかっつったら虫みたいな軌道で、部屋の中を飛び回ってる。

そんで、コウモリが近づいてくると、葉柱は「ふわわ」みたいなマヌケな声を出して、そのくせ逃げることも攻撃することも思いつかないのか、手を肩の位置まで上げたままで固まって、アホみたいに突っ立ってる。

「ヒル魔! ヒル魔っ!」
「なんだよ」
「コウモリがっ!」

見てんだから分かるよ。
飛んでんだよな。
コウモリは飛ぶもんなんだよ。
知らなかったなら、これからは覚えとけ。

なんか、このまま放っといたら、葉柱は泣くんじゃねーかななんて考える。
それはとても面白そうだ、と思ったけど、叫び続ける葉柱を前にしたら、それまで待ってはいられなくなった。
だって、うるさすぎる。

コイツはホントにバカだなと思ってベッドから抜け出し、窓を全開に開いてやると、狭い部屋を縦横無尽に暴れまわっていたコウモリは、その窓からハタハタと飛んで出て行った。

「うわぁー…………」

葉柱は、何を興奮してんのか顔を赤くして、コウモリがもう見えなくなるまで遠ざかると、ようやく思い出したように体の緊張を解いて、バカみたいに上げていた腕を下ろす。

「怪我してたんじゃなかったのかな?」
「治ったんだろ」

テメェの手厚い看護でよ。

「行っちゃったな」
「よかっただろーが」
「懐いたら、飼おうかと思ってたのに……」

怖くて触れもしなかったくせに、なに言ってやがる。

なのに葉柱は、本気でちょっと残念そうな顔をしてる。
今だって叫びまわってたくせに、ホント変なやつ。

「じゃ、オレが代わりにいてやろーか」

悪魔とコウモリって仲間っぽいんだろ、と冗談で言ってみたら、葉柱はポカンとした顔をして、それからスグに嬉しそうに笑った。

「ばーか」

そのくせ、口はそんな軽口を叩く。

でも、葉柱が近くに寄ってきて、腕を掴んで引っ張られると、自分がとんでもない失言をしたことを知る。

だって思った通り葉柱はオレをベッドに引っ張って行って、そのまま強く引き倒される。
葉柱の上に乗りあげるような形になると、脚が腰に絡んできて、ぎゅっと引き寄せられた。

下の葉柱がにゅっと腕を伸ばしてきて、期待した表情で唇を舐めてる。

あ、これ、オレ殺されるわ。

テメェ葉柱。
オレが腹上死なんてしたら、化けて出てやるからな。


'13.05.25