ヒルルイと冬




風呂上りのヒル魔の髪は、当然いつものように逆立ってはいなくて、水を含んでペタリと垂れている。
そうやって髪を降ろしてると結構長さがあって、首が隠れるくらい。
今日もヒル魔の部屋で、そのヒル魔の濡れた髪を後ろから見て、ちょっと伸びたかなぁ、と思う。

そんでそのせいなのか、あとは寒くなってきた気温のせいなのか、最近困ったことがある。

「髪ちゃんと拭けよ」
「…………………………」

風呂上り、肩にタオルをかけたまま裸足でペタペタ歩いてるヒル魔に注意をしたら、そうだろうとは思ってたけど、やっぱり普通に無視された。
ヒル魔は、自分の都合の悪いことや面倒くさいことは、全部聞こえなかったフリをする。子供か。

「髪」
「…………………………」

シカトしてればそのうちオレがあきらめて、うやむやになると思ってんだ。
まぁ、だいたいの場合においてそれは概ね正しいんだけど、最近のこの濡れた髪問題に関しては、聞こえなかったフリでしょうがねェなぁとあきらめる程度の域を既に超えてる。

夏はまだよかった。
ヒル魔がこうして風呂上りに濡れたままの髪でウロウロしてても、寝るまでにはすっかり乾いていたから。

問題は冬だ。
別にヒル魔が寒い中濡れた髪のままウロウロして風邪をひくとかだったら構わないけど、最近気温のせいかあきらかに夏より乾くのが乾くまでの時間が遅くなってて、ベッドに入るときでもまだ髪が湿っていることがよくある。

そうすると、濡れるんだよ。枕やら、シーツやら。
その濡れた頭でくっついてこようとするのも不快だ。

そこまでの長髪じゃないんだから、ドライヤーでとまではいかなくても、もっとちゃんとタオルで水気をとってやれば、乾くまでの時間もずっと短くなる。そうすれば、ベッドに入る頃には完全に乾いてるはずだ。

ヒル魔の頭は明らかに雑に拭っただけでしかない。
それをちゃんと拭けと要求するのは、間違ったことだろうか。

「おい」

優しく言い聞かせる程度じゃ聞く気はないようなので、多少怒気をはらんで声をかけても、やっぱりヒル魔はツンとしてまま一切何も聞こえてないようなフリして冷蔵庫から牛乳を取り出したりしてる。

ヒル魔はこの話題は自分にとって不利益でしかないと判断したらしく、これはもう徹底無視の構えだ。

ただ、こちらの怒っている雰囲気に多少思うところはあるのか、普段だったら言わなきゃパックのまま口をつけて飲む牛乳を、キチンとコップに注いでた。

「……………………」

そういうのを見ると、なんとなく、可愛らしいなぁと思わなくもない。
フルシカトの構えではあるけど、一応なんか怒られているらしいということは認識していて、牛乳の件もいつも注意されることを思い出して、コップを使ったりしたんだろう。

なんか小言が始まりそうだし、そのうえ更に怒られ事項が追加されたり、それによって怒られが長引いたりするのが嫌だからという何の反省もないその場だけの行動だとは思うけど、シカトしながらもこちらの機嫌を伺う様子があるのは、まぁ、可愛げがある。

「髪乾かせよ」

ただその可愛らしさにも誤魔化されずに再度注意を促したら、ヒル魔の「聞こえないフリ」が一瞬崩れて、明らかにムっとした空気を出してきた。

「……………………」

なんとなく、ヒル魔の考えが分かる。
コイツは、牛乳をコップを使って飲んだことで、自分は妥協してやったと思ってるんだ。歩み寄ってやったと。なんだったらもう、褒められても良いくらいに思ってる。

なのにオレがそれを一切評価せずに、変わらずイラついた調子で小言を言うので、怒ってる。

褒めるわけねーだろ。飲み物コップで飲んだくらいで。
百歩譲って面倒くさがりのテメェが自主的にコップを使ったことを評価してやったとしても、それとこれとは別問題だから。
牛乳をコップを使って正しく飲んだから、髪は乾かさなくても良いということにはなんねーから。

ヒル魔がダメ人間だということは、付き合い始めてから割とすぐに気が付いた。
倫理観とかもそうだけど、なんというか、計算高くてキッチリしてるように見えて、「必要ない」と思うことに関しては、とことん怠惰に生きてる。

場所が把握できれてば整理整頓なんて必要ないし、多少の埃じゃ死なないから掃除機なんて必要ない。
栄養が満たされてれば食事に彩なんて必要ないし、牛乳飲むのにコップは必要ない。

ヒル魔が「必要ない」と思うことを要求すると、ヒル魔はそれを「オレのワガママ」だと認識する。
だから今コップを使って牛乳を飲んだことは、ヒル魔にとって「オレのワガママを叶えてやった」認識だ。

「髪」
「……………………」

ワガママを叶えてやったのに褒められなかったヒル魔は完全に気分を害したようで、どうやら作戦を「聞こえないフリ」から「オレは怒ってるアピール」に切り替えた。
立ったまま牛乳の入ったコップをぐいっと煽ると、そのまま勢いよくダン、と前のダイニングテーブルに叩きつけるように置く。
チラっと確認すると、透明なコップには1センチほどだけまだ牛乳が残っている。ヒル魔はプイっと顔をそむけるようにしてもう牛乳には興味を失ったとばかりにペタペタ歩いてそこから離れた。

「………………」

あれは、嫌がらせだ。
あと少しくらい飲み切れば良いものを、わざとちょっとだけ残して、片付けるときにオレがイラつけば良いと思ってる。

「はー…………」

なんて嫌な野郎だと思うと、自然とため息が口をついてでた。

そんな態度されてそうですかとすぐにコップを片付ける気になんかなれるわけもなく、別に死ぬわけでもないしあのコップについてはもう無視することに決めた。
まぁ、明日の朝くらいには無視も限界になって、結局オレが片付けることになるとは思うけど。

イラついてるヒル魔にはもう何を言っても無駄なので、髪のことももうあきらめた。とりあえず、今日は。

ソファに座って、テレビでも見てよう。
無視だ無視。ヒル魔のことはもう無視。

ヒル魔の「怒ってるアピール」に対して「オレも怒ってるアピール」で返すのは子供じみてるし、そんなことしたからってヒル魔が反省するわけでも下手に出るわけでもないから無意味なんだけど、それくらいしないと気が収まらない。

ソファに浅く腰かけて後ろにもたれかかり、テレビをつけて低俗なバラエティにチャンネルを合わせる。
明らかに後付けされたわざとらしい笑い声にヒル魔が「うるせー」とでも文句をつけてこればいいケンカの切っ掛けになるかもしれないと思って、音量をわざといつもより大きくした。

どっかペタペタ歩いてたヒル魔は、PCラックにでも向かうかなと思ってたけど、なにやらノートPCを抱えてこちらへやってきて、それをソファの前のローテーブルに置いた。
ソファには座らずに座面を背もたれにするようにその前に座って、ノートの蓋を開けてる。

斜め前に見えるヒル魔の後ろ頭に、わざわざ近くにきたってことは、不愛想な態度ではあるけれどこれはヒル魔からの歩み寄りかな? と思ったけど、すぐに本当の理由の方に思い当たった。

ホットカーペットだ。
フローリングの部屋の中、ホットカーペットがあるこのローテーブル周りは暖かい。

PCラックがある場所は部屋の隅で見るからに寒々しく、コイツはオレの機嫌を伺いたくてそばに寄ってきたわけではなく、動物のように暖かい場所を求めてやってきただけだ。

「……………………」

その推察が正しいものだと裏付けるように、ヒル魔は斜め後ろでソファに座るオレの存在などまるで気付いてすらいないとでも言うような態度で、パチパチと自分の前のPCを弄ってる。

なんて無神経な野郎だ。
そんなだったら、いっそ別室にでも行ってほしい。
濡れたヒル魔の頭がチラチラと視界に入るとイライラが増すばかりだ。

きっとコイツはまた今日もこの濡れた頭のままでベッドに入ってくるし、その頃にはオレが怒ってたことも、それで雰囲気が悪くなってたことも、もしかしたら自分が怒ってたことまで忘れてて、寝心地の良い体制を探してオレ胸のあたりに頭を突っ込んできたりするんだ。

その仕草自体は甘えた感じで可愛いと思わなくもないけど、頭が濡れてたら別だ。
冷たいし、オレの服も濡れるし。

だいたいコイツ自身、枕やシーツが濡れるのは嫌なはずなんだよ。
濡れた髪のままベッドに入ったときは、寝返りをうつたびに濡れた箇所を避けるように、ジリジリとオレの領域を侵犯してくる。
その結果身体がくっつくことになるから、余計オレが濡れるんだけど。

下手したらオレが一瞬トイレに立った隙に、すっかりオレの方の場所を占領してたりする。

未だペタリと濡れたまま乾く気配のないヒル魔の頭を見ていると、今日もまたベッドの中で乾いた陣地の攻防戦が行われるんだなと思いうんざりする。
イライラした気分のままヒル魔の後ろ頭を睨みつけても、ヒル魔がその視線に気づくことはないし、もしかしたら気付いてるかもしれないけどまた無視してるんだろう。

もうちょっとだけちゃんと拭けば、寝る頃にはきっと支障がないほどには乾いてるはずなのに。

「……………………」

テレビよりもヒル魔の頭ばかり気になって、ほぼ無意識のうちにヒル魔の肩にかかったままのタオルに手を伸ばした。
これのせいで! と割と憎しみをぶつける感じでそのまま乱雑にわしわしとタオルで頭を掻きまわしたら、怒って手を振り払ってくるかなと思ったヒル魔は、予想に反してかき回されるままに頭をぐらぐらさせながらも大人しくしてた。

多分、多少痛いだろうと思うくらいの力でタオルをガシガシと動かしてるのに、文句も言わずにされるがままになってる。

「…………………………」

半ば嫌がらせのような気持ちでやったことだから、反論や反撃がないことにちょっと拍子抜けする。
でも、よく考えたらちょうど良いなと気が付いたので、ソファの上を移動してヒル魔を脚で挟むように真後ろに座りなおし、今度は両手でタオルを持って、髪を逆なでたり挟んだりして丁寧に水気を拭った。

ヒル魔はそうされてる自分の頭のことなど意に介していないように相変わらずパチパチとキーボードを打つ音が聞こえる。

まぁ大人しくしてるならちょうど良い。
そのまま十分にタオルドライして、もう良いなと思えたところでタオルも取り上げた。
このままこの濡れているタオルをコイツの肩にかけといたら、その辺に、ヘタしたらベッドの上なんかに放り出したりするから。

タオルを洗濯機へ放り込むのに席を外したら、それから戻ったときにはヒル魔はペタペタとどっかに歩いて行って、クローゼットの奥から機械を持ち出してはなにやら線を繋いだりと、意味のわからない作業に精を出してた。

これは、頭を拭かれている間、意図して大人しくしてたと思って良いのだろうか。
それとも、ただ単純にその間はPCでする作業があったからで、拭き終わるまで座ってたのは偶然だったんだろうか。

いずれにしても、その日ベッドに入ったヒル魔の頭は、髪の根本は多少ヒンヤリしてるかな? と思えるくらいになっていて、久しぶりにヒル魔の頭を避けずに快適に眠ることが出来た。





そういうわけでそれ以降、風呂上りのヒル魔の頭を狙う生活が始まった。

といっても、冬のヒル魔を捕まえるのは簡単だった。
家の中をウロウロペタペタ歩き回ってはいるけど、基本的にはホットカーペットがあるローテーブルを拠点としていて、そこに座って作業を始めた頃合いに、後ろのソファに座って脚で挟んで捕まえる。

勝手に髪を拭いててもヒル魔は文句は言わないし、どうせだったらとドライヤーまでかけてみたけど、それでも意外にも大人しく座ってた。
ドライヤーが近いと熱くて嫌なのか、身体がだんだん前傾するようにふらーっと頭が逃げていくけど、距離を離しめにしてやってればそのまま動かずそこにいて、PC画面を見るために少し俯き加減の頭がちょうど良い。

それから、ヒル魔の頭をちゃんとドライヤーで乾かすと、意外とふわふわに仕上がることがわかった。
ちょっとクセがあるのか、手櫛で髪を起こすようにしながら乾かすと、根本がふんわりと立ち上がり、緩くウェーブしたようになる。

それがなぜだか、ちょっと楽しい。
あれに似ている。ペットの、毛づくろいに。

例えば品評会みたいなのにペットを出場させるときとか、毛並みを綺麗に整えたり、ブラッシングしたりするだろう。
そんで、これは良い出来だ、と思ったりするんだろう。

そういう気持ち。

ヒル魔の髪が完全に乾くと、なにか一個作品を仕上げたような気分になる。

今日もふわふわに仕上げた頭を見下ろしてちょっとした満足感を覚える。
毛並みが良くて、健康そうだ。これならば品評会でも、きっと中々高評価だろう。

ヒル魔は「ヤメロ」とも何とも言わないから、きっとまぁどうでも良いんだろう。
もともと、髪が濡れてようとどうでも良いと生きてきたんだから、勝手に乾かされたってどうでも良いんだ。

オレはちょっと楽しいし、寝るのも快適になったし、良いこと尽くめだ。



アレ? っと思ったのは、そういう生活を続けて一週間。

ソファに座ってダラダラテレビを見てるうちにウトウトしていたらしく、半分寝かかっていたところに、何かに脚を触られる感触で目が覚めた。

「んぁ?」

寝ぼけたような頭で「何かが膝を押してるな」と思って目を開けると、肩にタオルをかけたヒル魔が、自分の足で押すようにオレの脚を広げさせると、なぜかそのまま前に座り、その脚の間に収まった。
眼前にヒル魔の後ろ頭が見える。

「え?」

ヒル魔は特に何を言うでもなく無言のままで、そのままちょんと座っている。

なんだこりゃと考える思考がまとまる前に、濡れて束になったヒル魔の髪の先に水の球を見つけて、それが今にもポタリと落ちそうでとっさに肩のタオルを手に取ってそれを抑えた。

「ん?」

つい習慣でそのままポンポンと挟んで叩くように髪を拭いてるうちに、ぼやけてた思考がハッキリしてくる。
なんだ。今の。

「……………………」

無言のまま脚の間に入ってきたヒル魔は、別にPCを広げるでも何をするでもなく、ただじっと髪を拭かれるままに座ってる。

それから、気付いた。
髪が、びしょびしょだ。

いや、ヒル魔髪が濡れてるのはいつものことで、だからオレが拭いていたわけだけど、それにしてもびしょびしょだ。

先ほどの、水滴が落ちそうになっていた後ろ髪を思い出す。
ヒル魔が自分の頭を拭くのが雑だっていっても、ポタポタと滴を落として歩くほどじゃなかった。
今の髪には、その「雑」の痕跡すらない。
風呂からあがって、そのままなんじゃないかと思うくらいのびしょびしょ加減だ。

アレ? もしかしてコイツ。

「髪、拭いたか?」
「…………………………」

自分で髪、拭いてなくねーか?
自分で髪を拭くという行為を、放棄してねーか?

いやいや。なんでだよ。

多分これまでヒル魔は、「自分に支障がない」ところまで、髪を拭いていたはずなんだ。
オレがギャンギャンと文句を言っても、自分に支障がないから、それ以上を求めるのはオレのワガママであり自分には関係ない、みたいな感じに思ってたはずだ。

その考えがそもそもどうかと思うけど、だからオレは「オレのワガママ」とされる部分について、オレが労力をかけて改善していたわけだ。
今回で言うと、ヒル魔が満足するまで拭いた髪にオレは満足ではないので、その後オレが満足に足るまで乾かした。

ヒル魔の髪を、わしわしと拭きながら考える。

こんなにびしょびしょでは、ヒル魔は困るはずだ。
ヒル魔の大好きな意味不明の機器たちだって、濡れて良いことなんかないだろう。

考え事をしながらでも、ほとんど無意識のうちに手は慣れた作業をどんどん進めて、ふと気が付けば、ヒル魔のふわふわと髪が仕上がった。

出来上がってカチリとドライヤーのスイッチを切ったら、ヒル魔がすっと立ち上がって、そのままペタペタどっかへ歩いていった。

「……………………」

なんだ。今の。

多分、まだオレは半分寝ぼけていたような感じだったと思う。
流れ作業のようにドライヤを仕舞いに洗面台へ向かって、戻ってソファに座る頃には明日の予定なんかをぼんやり考えていて、だからその出来事について、そのときは深く考えることなく流してしまった。



そんでそれ以来、ヒル魔は風呂から上がるとまっすぐオレのもとへやってきて、勝手にぐいぐいと脚の間に収まるようになった。

それはどうだよ。
なに無言で髪を拭いてもらうの待ってんだよ。

お前、なんかメチャクチャバカみたいなんだけど。

ヒル魔は多分、一週間ほどオレが髪を乾かしてやっていたことで、髪をちゃんと乾かすと意外と快適だということに気付いたんだろう。
枕も濡れないし、ベッドの中でくっついてもオレが邪険に扱ったりもしないし。

だから、髪をちゃんと乾かすことにした。
オレの脚の間に収まることで。

なんでだよ。
そこは、自分でドライヤーをかけるようになるトコじゃねーのかよ。

コイツもう、自分で髪拭く気ない。
待ってたら拭いてもらえると思ってる。

ダメ人間だと思ってた。思ってたけど、よりダメ人間になってんじゃねーか。

いや、オレが悪いのか? オレが毎日せっせと髪を乾かしてやってたからいけないわけか?
オレがヒル魔のダメさ加減を増長してるのか?

しかし今日も今日で、ふと気づけばヒル魔の頭をふわふわに仕上げてしまった。

だってヒル魔に小言を言ったって改善されるわけもないし、放っておいたらベッドで不快な思いをするのは結局オレだし。

でもどうだよ。
いいのか。これ。

「お前、オレが居なかったどうすんだよ。びしょびしょで暮らすの?」
「ずっとテメェがいりゃいーだろ」
「…………………………」

……………………あぁ、そう。


'16.12.16